夫は生前、何気ない日常会話の中で
俺がガンになって
告知されたり、
余命宣告を受けた時は全部話してほしい。
俺は治療はしない。
延命措置もいらない。
俺は旅に出る。
と言っていました。
夫の脳腫瘍が分かって余命宣告を受けた時
夫は記憶障がいと見当識障がいで
自分の状況が全く理解出来ず
病識も持てませんでした。
何度説明してもすぐに忘れてしまって
覚えることが出来ず
俺は何の病気?
あとどれくらい生きられるの?
俺はどうしたらいい?
などと何回も聞いていました。
主治医は
抗がん剤治療が全く効かなかったので
放射線治療も検討しましたが
夫の意識がしっかりしていた時に
放射線治療の事を聞いたら
治療しないと拒否したそうです。
のちに私も夫に聞きましたが
やはり放射線治療は拒否しました。
夫は認知機能が著しく低下していたため
闘病中にほぼ会話が出来ませんでしたが
その中でも我に返って
正気に戻るというか、
意識がしっかりしている時もあって
そんな時には辛そうな顔で
「(治療は)もうええって」
と何度も言っていました。
夫の意志が痛いほど分かっていても
闘病中辛そうにしていても
やっぱり頑張って治療してほしい。
少しでも長く生きてほしい。
家族みんなそう思っていました。
延命措置をするかしないか
早急に決めてほしいと
主治医から話しがあった時
家族と話し合った結果
夫の意志を尊重して
延命措置をしないという選択をしました。
その決断は
本当に夫の意思を尊重出来たのか?
家族の気持ちは尊重出来たのか?
その決断は正しかったのか?
間違っていたのか?
今となっては分かりません。
この時は
短期間で急激に悪くなっていくばかりの夫を前に
いったい何が起こっているのか
理解できたような出来ていないような状態で
日々変わっていく夫の病状に
心も身体もついて行けず
毎日が必死でした。
だから今
闘病中の事を振り返ってみても
その答えは出ません。
正しいのか
間違っているのか
ということではなく
ただあるのは
延命措置はしないと決断した。
その時はそれが精一杯の決断だった。
その事実だけです。