坂本城址公園
滋賀県大津市下阪本3丁目
明智光秀が織田信長の命により1571年比叡山焼き討ちの後、交通の要衝である琵琶湖の南湖西岸に築きました。
その規模は大天守、小天守の2つの天守を有し、ポルトガル宣教師ルイス・フロイスは「城は豪壮華麗で、信長が建てた城(安土城)につぐ」と記しています。
信長政権下では安土城、長浜城、大溝城と湖上交通網の一角を担い、京に繋がる港町として繁栄しました。
明智光秀の像
明智光秀
謎の多い人物で誕生年は不明で、主君の織田信長よりも年上とも年下とも言われております。父親など詳しい出自も分かっておらず、明智家の生まれという事が分かっているのみです。
斎藤道三、朝倉義景、足利義昭などに仕え、最終的に織田信長に仕えます。織田家中では羽柴秀吉に並び、トップクラスの大出世を果たします。信長の正室濃姫と光秀は従兄弟同士であり、仕官や出世にはその口添えがあったのではともいわれています。
織田信長には大変信頼されていたようです。
光秀は比叡山の焼き討ちに積極的に取り組む等、信長の政策には同調していた様子が伺われます。
また「石ころのような自分をここまで取り立ててくれた信長様には代々しっかり使えるように」と言っており、信長には強く恩義を感じていました。
しかし後に、信長を裏切り「本能寺の変」を起こしてします。
その動機は「怨恨説」「将来不安説」「四国出兵阻止説」「光秀の野望説」または「黒幕説」など様々ありますが、未だに謎です。
坂本城の終焉
1582年6月2日、本能寺の変により織田信長を討った明智光秀は、その後の山崎の合戦で羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に敗れ、坂本城へ戻る途中に命を落としました。
坂本城は、いとこの明智左馬助光春が守るも包囲され、本丸に火を放ち光秀の妻子や自身の妻らとともに自害しました。
明智光秀の埋蔵金伝説
明智光秀の埋蔵金は琵琶湖に沈んでいる???
本能寺の変の後、信長の居城である安土城の豊富な金銀財宝を、坂本城に運んだといわれます。
山崎の合戦で敗れた後、秀吉軍の追撃を受けて、その財宝を坂本城の本丸から琵琶湖の湖上に投げて沈めたという伝説が伝わっています。
今でも湖畔を探している人がいるようです。
光秀がもう少し我慢し、信長が長生きしていれば、今の日本はどうなっていたのでしょうか?
もしかしたら、今より大国となっていて、戦勝国として米国のような立場になっていたかも? その世界も見てみたかったです。
近江ちゃんぽん
近江の名物 ちゃんぽん亭の「近江ちゃんぽん」です。
長崎ちゃんぽんより麺が細く、スープはしょうゆ味であっさりでした。
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