新潟県糸魚川市一の宮1-3-34
中央に拝殿があり、拝殿の左後ろに奴奈川神社本殿 右後ろに天津神社本殿が配置されています。
奴奈川神社本殿
高志国の女王とされる奴奈川姫と奴奈川姫に求婚にやって来た大国主の命を祀っています。
御祭神
奴奈川媛命(ヌノカワ姫命)
八千矛命(ヤチホコ命 大国主命)
この地方はかつて「沼川郷」と称され、「高志国の女王」「ヒスイの女神」といわれた奴奈川姫命が住んでいたとされる場所です。
「古事記」には大国主命が出雲の国からこの地に上陸して姫と契りを結んだという逸話が描かれおり、この大国主命の高志国への遠征は、糸魚川の翡翠を手に入れるためとの説もあります。
糸魚川周辺は翡翠の産地で、この一帯を治めていた奴奈川族が翡翠を管理していたといわれます。
奴奈川姫の像
天津神社本殿
12代景行天皇(在任71年~130年)御代の創立とされ、2000年の歴史ある神社です。
御祭神
瓊々杵尊 (ニニギ尊)
天児屋根命 (アメノコヤネ命)
天太玉命 (アメノフトダマ命)
アメノコヤネ命は中臣氏(後の藤原氏)の祖神、マメノフトダマ命は忌部氏の祖神とされています。2柱は、天の岩戸に隠れた天照大神を岩戸から出す際に活躍した神で、天孫降臨の際にはニニギ尊に従いました。
衣紋所
拝殿
翡翠(ヒスイ)文化
ヒスイの勾玉は北海道から沖縄まで全国各地で発掘され、縄文時代から弥生時代にかけて広く浸透していました。
ヒスイは鉄よりも硬く、勾玉の制作方法は石の粉を使って根気強く削り、小さいものでも1年以上かかったといわれます。
そこまでの時間と労力とかけて作るほど貴重なもので偽造が難しいことから、ヒスイを持っていけば様々なものと交換できる今の貨幣のような役割をしていたと考えます。
忽然と姿を消したヒスイの謎
ヒスイ文化は縄文時代から3500年続いた後、奈良時代に忽然と姿を消し、昭和になるまで原産地もわからなくなっていました。
通説では仏教の広がりで信仰の対象から離れ、興味が薄れていったといわれています。
しかし、発掘されたヒスイの勾玉には、大事に鉄箱に保管され、隠すように埋められているものも見つかっており、興味が薄れたとは思えず、なにか意図的に消し去られたかのような印象も受けます。
乙巳の変で蘇我入鹿が暗殺され、父の蝦夷が「珍宝を焼いた」と記録があります。これは、それまでヒスイを独占していた蘇我氏が、産地情報や生産技術を隠したのではないか。という説を唱える方もいます。
あるいは、当時の大和朝廷が、出雲や高志の日本海勢力を遠ざけるために呪術的な要素のあったヒスイを排除したとも考えられています。
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