花山神社 小松市菩提町リ1-1
神社名の由来となった花山法皇のゆかりの神社です。
花山法皇
大河ドラマに登場する花山法皇は、紫式部の父、藤原為時の出世のきっかけを作った人物ともいわれます。花山法皇は、政治や芸術などで才を発揮するも「困った人、特に女性関係は・・・」が一般的な印象と思われます。
一方では、溺愛する妻の忯子が懐妊するも急死し、それを嘆き契機となって出家したという一途な面もあるようで、出家後の法皇のおんな癖は忯子の面影を追ってともいわれています。
一の鳥居
二の鳥居
花山神社
由緒によると、もとは「白山神社」で登録されていましたが、地元では花山法皇にゆかりがあることから花山神社とも呼ばれていました。昭和52年に花山神社と改称されたとあります。
また、明治政府の廃仏毀釈の圧力に僧形の本尊を隠し、白山神社として神像を新たに造り白山神社の名称で本尊を祀りながら通していたともあります。
三の鳥居
花山神社の由来
1.菩提村花山神社に奉安される御神体は四体の木像であり、皆僧形にて内一体は頭巾を冠しており、これ花山法皇様で、他の三体は侍臣、藤原實定、藤原義懐、藤原惟成ならずやと。
2.花山法皇様奉葬の後、侍臣等、陵傍に草盧を結びてその冥福を祈りたり、その子孫繁栄し、村を成すに至る。
3.菩提村の起源、法皇様の王柩を、法皇が丘に奉葬せる時、河原村より菩提院を此の地に移築せり、その後この地を菩提と呼ぶにいたる。
花山法皇と小松市
小松市は花山法皇と縁の深い地で、「小松」の名は、寛和2年(986年)花山法皇巡幸の際に梯川(かけはしがわ)の畔に花園と松を植えて別荘を建て、その跡地を住民が「園の小松原」と云い伝えたという伝承も一つの説です。
花山法皇は小松で亡くなった?
小松市に菩提町という場所があり、法皇は晩年をここで過ごして亡くなった。という伝承が伝わっています。また、向かいの山を見て、死後はあの山の頂上に葬ってほしいと語ったともいわれます。
花山法皇のゆかりの地 那谷寺
那谷寺は、もとは「岩屋寺」と名付けられ白山修験者の拠りどころとなっていました。
986年 花山法皇が行幸した際に、法皇が「私が求めている観音霊場三十三カ所はすべてこの山にある」といって、西国三十三カ所霊場の第一番・那智山と第三十三番・谷汲山の一字ずつを取って「那谷寺」と命名したといわれています。
那谷寺(石川県小松市那谷町ユ122)
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