前回に引き続き、日本三霊山のひとつの霊峰白山で、白山信仰の三馬場のひとつ 平泉寺白山神社をご案内します。
平泉寺白山神社
(福井県勝山市平泉寺町平泉寺56−63)
717年白山信仰の開祖 泰澄大師より創建され、最盛期の戦国時代には日本で最大規模の宗教都市となり8000人余りの僧兵を擁しました。
現境内の規模は最盛期の10分の1程度にすぎません。また、一面は苔で覆われおり「苔寺」と呼ばれ人気の観光スポットです。
平泉寺の復興
1574年一向一揆との戦いで全山が焼失し滅ぼされますが、1583年に平泉寺に戻ってきた顕海が、弟子の専海と日海を率いて再興に着手し、豊臣秀吉などの崇敬を受けて復興させます。
一の鳥居
日本三霊山
白山、富士山、立山の三山で、山岳信仰の対象になってきました。
白山禅定道 白山三馬場
白山山頂までの修行道で、道中には修行場となる滝や岩屋があります。その道の起点となったのが馬場といい、越前、加賀、美濃の三方あります。白山山頂までの修行道のことです。
白山三馬場の神社
加賀馬場 白山比咩神社(石川県白山市)
越前馬場 平泉寺白山神社(福井県勝山市)
美野馬場 長滝白山神社(岐阜県郡上市)
白山信仰の祖 泰澄
この白山を開いたと伝わるのが泰澄です。泰澄は奈良時代に元正天皇の病を祈祷で治したり、大流行した天然痘を鎮めるなど、「伝説の高僧」として知られます。
泰澄は神仏習合の祖
「泰澄和尚伝記」には、泰澄の夢に女性が現れ、白山を開くよう導いたとあります。その後、白山に登ると十一面観音が現れ、それが夢に出てきた白山神だと気づき「神と仏が同体である」と悟ったとわれます。
国名勝 旧玄成院庭園
室町幕府の将軍を補佐した管領の細川高国による作庭と伝えられ、1930年に文部省により国の名勝の指定を受けています。
御神木
泰澄が植えたと伝えられています。
御手洗池
修行中の泰澄が女神(白山大神)と出会い、白山登拝と開山のきっかけを作ったと言われる場所です。
二の鳥居
この鳥居は両部鳥居と呼ばれ、神仏習合の形式です。中央の額には「白山三所大権現」と書かれており、鳥居の中央に屋根がついているのはこの額を護るためです。額内の三所とは白山の御前峰、大汝峰、別山を指しています。
拝殿
江戸時代に作られた寄棟檜皮葺で平安時代の風情を残しています。の一向一揆で全焼する前の拝殿は、幅が46間(およそ83メートル)あったようで、京都の三十三間堂より大きな建物でした。
本社(御前峰御本社)
伊弉諾尊(いざなみのみこと)をお祀りしています。総ヒノキの入母屋造(いりおもやづくり)で外観は白木造りです。
別山社
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)を祀っています。天忍穂耳尊は、天照大神の子で天孫降臨された瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父にあたります。
三の鳥居
納経所跡
法華経を写経し、その一部ずつ日本六十六ヶ所の神社に納めながら諸国を巡礼しました。江戸時代には盛んに行われましたが、越前での納経所はここだけです。
楠木正成の供養塔
かつてはここに三之宮の拝殿があり、楠木正成の甥の恵秀律師がこの拝殿でお勤めをしていると楠木正成が鎧甲の武者姿で目の前に現れたので、不思議に思い調べてみると、この日に正成が湊川の合戦で戦死していたことを知ったといいます。
その後、恵秀律師はここに供養の石塔を建てました。
三之宮
祀られているのは、栲幡千々姫尊で安産の神様として知られています。
白山禅定道
泰澄大師が登ったとされる白山への登山道です。1996年に歴史の道100選に選定されました。
縁結観音菩薩
貴船神社
今宮神社
御朱印
ご覧いただき
ありがとうございました。