Hello!リサです。
見に来てくれてありがとうございます!
本日は、枠を取払えば無限になるお話です。
私達は既に常に完璧です。私達は元々完璧そのものなのです。
しかし、とてもそうとは思えない。
それは「私」を作ったからです。
完璧な世界そのものである私達が、そこから「私」を作った瞬間に世界と分離します。
すると、この広大な世界で生きていく「ちっぽけな私」の物語がスタートします。
「到底叶わないような願い事を1つ叶えてあげる」と言われたとします。
あなたはどんな願い事をするでしょうか?
宝くじを当ててもらう?死んだ人を生き返らせる?空を飛ぶ?
どのような願い事でも良いのですが、“到底叶わない”とは誰にとって到底叶わないのか?ということです。
そう。「私」にとって、ですよね?
「良い」「悪い」「持ってる」「持ってない」なども同じです。
私達は無意識にいつでも「私」という存在を枠として抱えています。
「私」は何歳とか。
「私」はこんな経験をしてきたとか。
「私」はこんな思い出があるとか。
「私」はこんなトラウマがあるとか。
確固たる「私」という存在がいて、この肉体に過去の記憶や体験が搭載されていると思っています。
本当にそうなのでしょうか?
たとえばあなたが記憶喪失になったとします。
あなたは自分のことを何一つ残らず忘れてしまいました。
その時、そこに「私」は存在しているでしょうか?
年齢や経験や思い出やトラウマは存在しているでしょうか?
していませんよね?
「私」の記憶がない時「私」は存在出来ないのです。
それらはすべて思考であるからです。
では、なぜ私達は経験したと思っているのでしょうか?思い出があると思っているのでしょうか?トラウマを抱えていると思っているのでしょうか?
今、それらはありますか?たった今です。
過去にそういう経験、思い出、トラウマがあったのかもしれません。
しかし、今ないですよね?
その経験、思い出、トラウマが幸せ過ぎて楽しくて楽しくて仕方のないものであるのなら何回思い出していただいても構いません。
だってそれを思い出す事は絶対的に楽しいことですから笑
しかし、思い出すのも嫌になるような辛くて二度と体験したくないようものであるのなら。
それらを今思い出す必要はありません。
だって今、それらは絶対的に無いのですから。
何度も何度もそれらを思い出してエンドレスリピートする必要は無いのです。
皆さんは真面目過ぎるのです。
前後の辻褄が合っていなければならないと勝手に思い込んでいます。
辻褄など合っていなくて全く構いません。
今日「恋人が大好き」でも、明日「恋人が大嫌い」になって良いのです笑
それどころか、今「ダイエット始める!」と宣言して1秒後に「ダイエット?なんだっけ?」となっても良いのです笑
それに罪悪感を覚える必要は全くありません。
真面目に辻褄を合わせ続けるということは、「私」という枠を強固にする作業なのです。
それは「私」という最初の分離から、「恋人が大好きな私」や「ダイエットに成功した私」とさらなる分離を量産し続けます。
さらなる分離はハードルを増やしていくようなものです。
そうして「ちっぽけな私」は、そのハードルをクリアしなければ望みは手に入らないと勘違いをするようになっていくのです。
しかし反対に言えば、それらの枠をぶち壊していけば私達は無限の存在であるということです。
無限の存在とは本来の私達そのものであり、既に常に完璧であるということです。
あなたが何かを望む時。そしてそれを手に入れる為に何らかの条件があるように感じられる時。
その条件は果たして本当にあるのでしょうか?
「私」という枠があるから無理だと思っていませんか?
枠をぶち壊して本来のあなたに戻っていきましょう。
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