Hello!リサです。
見に来てくれてありがとうございます!
本日は、本来の「私」についてのお話です。
「私」はどこにいるのでしょう?
「私」は思考ではありません。「私」は肉体でもありません。
本来の「私」は鏡のようなものです。
本来の「私」は映すことしか出来ません。
そこに実体はありません。
つまり、鏡(本来の私)に「私」と思っているキャラクターが映っているだけなのです。
鏡(本来の私)に様々な事が映ります。
不安、恐怖、悲しみ、絶望、罪悪感、希望、喜び、楽しさ、感謝…それがただ映っているだけなのです。
しかし、エゴ(思考)はソレが「私」に起きていると思っています。
確固たる「私」が実在していて、その「私」に不安が起きていると思っています。
ですが、起きている事といえば、鏡(本来の私)に「私は不安」が映っているだけなのです。
「私」が不安なのではなく、「私が不安」なのです。
「私」と「不安」は同じものであり、どちらも鏡(本来の私)そのものではないことに気付く事が出来るでしょうか?
確固たる「私」は存在しません。
私は過去、何度も「わかった」と「わからない」を繰り返しました。
確固たる「私」が「理解した」かったからです。
ですが、私が「わかった」その後に、私が「わからない」を何度も何度も繰り返しました。
そうしてようやく「わかる」事の出来る「誰か」は居ないという事に気付く事ができました。
これは底なし沼のようなものです。
沼を探求して探求して探求すれば、いつか底(わかる私)に辿り着くと思っていたのです。
しかし、そもそも最初から“底”など存在していないのです。
何故なら“底なし沼”だからです笑
確固たる「私」はハナから存在しておらず、全ては鏡(本来の私達)に映る幻のようなものだったのです。
本来の私達は“映るもの”ではなく、“映すもの”であります。
これが「私」と思っているソレは“映るもの”ですか?それとも“映すもの”ですか?
本来の私達は決して目には見えません。目に見えたとしたならば、ソレは“映るもの”だからです。五感では本来の私達を感じる事は出来ません。
しかし、本来の私達は確実に存在しています。
なぜなら、私達はこの世界を認識出来ているからです。
間違いなく、鏡(本来の私達)に世界は映っているでしょう?
ですから、安心して心ゆくまでこの世界を楽しんでいきましょう。
すべては私達そのものなのですから…。
人気ブログランキング
にほんブログ村