軍事上の事ならば、オロシヤの大砲が火力の事も、否、ヨーロッパ諸国が持つ鉄砲や大砲が事も、造船が技術等も学ばねばなるまい。
「分かって居る。其方のお陰で吾の目も世界を見るようになった。
だが、イギリスが事等は戻って来てからの事になるの。
蝦夷に行くにしても、考えても置こう」
一区切りついたようなお話し方だ。
「不謹慎な考えになりますが、蝦夷に行けばまだ見たこともない鳥、獣に草花、木々を目にもしましょうか。また、海や川の幸等を口にすることも出来ましょう。
行は(蝦夷行き)大変なことで御座いましょうが、これまでに最上様(最上徳内)から得もした鳥や獣が皮類、毛皮(剥製)を今度は生きたままに現地に観察する機会を得たと思いますれば、侯にとってまたとない好機で御座いましょう。
(我が)邦に稀とも言われるタンチョウ(丹頂鶴)が実物をも、運が良ければノウチクスリ(釧路)に見ることも出来ましょうか」
「ハハハ、物は考えよう、かの?」
重い話の緊張が解れた様にも思った。
「はい。(北辺探事の)補遺が稿を纏めるに、(侯から)参考にせよと仰せで御借りした最上様の「蝦夷草紙」と近藤様(近藤重蔵)の「辺要分界図考」でしたが、漂流民が語る北国の島々の名や位置の検証がためよりもそこに載る鳥類の絵図、島々の絵図等に大層驚きもした所で御座います。
侯の行く先々は限られた時と場所にも御座いましょう。されど、後々の記録がためにも是非に絵師や絵図を得意とする者もお供にした方が良いかと存じます」
「(蝦夷行きが)決まりもしたら、供の人選もまた吾の仕事の一つになろう」
「はい。左様に御座いましょう。侯が熱心に収集している鳥類が図を見るは吾にとっても楽しみで御座います。是非に絵師をお連れ下され。
また(侯と)御一緒に何人が蝦夷に渡るのか分かりませんが、医者がお供はこの江戸に居る者と、お国許に居る者とから選ぶようになりましょう。
どちらに在ろうとも、必ず御一人は日頃から侯が体調を良くに知る者をお選び下され。
それが堀田様の健康を守る最良の方法とも成りましょう」
「前に話もしたが、(吾が)蝦夷に関心を抱いたは周庵殿(工藤平助)の「赤蝦夷風説考」を読んでからじゃ。
蝦夷地を開拓すれば御上(幕府)の財政が豊かに成る。日本を憂い、(仙台)藩にもこのような事を進言する者が居たかと感心もした。
同時に、初めて蝦夷(地)を見てみたい、行っても見たいと思ったものよ。二十の代の頃のことぞ。
亡くなった耕牛殿(吉雄耕牛)や出島のカピタン等から得た情報だと言いながら、海外の事情にも詳しいのに驚きもした。医者でありながら豪放磊落な御仁でもあったの。
其方を関藩(一関藩)から(仙台)藩に引き抜いたのも周庵殿と知って驚きもした。其方は藩医でも有るが、今では蘭学の大家だでの。世間は広いようで狭い。
吾も妻も子も、今に病と有れば周庵殿が倅(工藤源四郎、藩医)に世話を掛けておる。蝦夷に行くに、彼を随行の一人に加えようかの」
言いながら、侯のお顔が緩んだのは確かだ。
「もう一つ、蝦夷からのこれまでの報告を見もすれば、オロシヤを相手に今後に交渉することも有り得るかと思いもする。
そこで必要となるはオロシヤ語を知る者、通訳が出来る者となるが、其方の推薦出来る者とて居るかの?
あの、石巻の漂民は如何かの?」
咄嗟に津太夫が顔を思いもした。だが、聞き覚えし物ばかり、綴りが曖昧、ダメと思いもした。交渉が上に両国で何ぞ覚書を作る事もありうるかと思えば直のこと推薦出来ない。
「ご承知のように、漂流民が今も元気に有るとお聞きして居るは津太夫と左平と言う者に御座います。
彼等のオロシヤ語は、(オロシヤに)長く居たとて耳学問に御座いますれば綴りが曖昧に御座います。
綴りも発音も、またその意味するところも大黒屋光太夫殿ほどに期待することは出来ません。凡そ八年も居たイルクーツクで覚えたオロシヤ語は、モスクワやペテルブルグで語られるオロシヤ語と違って居るかとも思います。
許されるなら、大黒屋(光太夫)殿を連れて行くのが一番かと思います。
それが叶わぬとなれば津太夫、左平殿でしょうか」
黙って頷く堀田様だ。