十九 堀田正敦の蝦夷行き
「はい。お聞きしても居ますれば、大変な事に御座います」
北国に詳しい幕閣、北の各藩取り纏めの重責を担える御方と言えば御上(幕閣)の中でも堀田様以外に無かろう。越中侯(白河侯、松平定信)に大番頭の身から若年寄に抜擢されて、後(寛政四年十一月)に光太夫(大黒屋光太夫)等を連れてネモロ(根室)に来たアダム・ラスクマン対応の任に当たったのだ。
侯の指示があったとはいえ、指揮して蝦夷地に目付、石川左近将監様(石川忠房)と村上大学様(村上義礼)のお二人を派遣したのは堀田様だ。今にとやかく言われもする信牌をラスクマンに手渡したのもそのお二人なのだ。
また、吾が初めてオランダ正月の宴(後に新元会と称される)を開くに、裏で法眼様(桂川甫周国瑞)と堀田様の御支援が有った。特別な計らいで光太夫の出席も叶ったのだ。
「オロシヤが軍隊は訓練された者どもによって組織されております。されど、その軍隊は陸に在る者(陸軍)も海にある者(海軍)も、ヨーロッパに向けられております。
(仙台の)漂流民がこの日本に帰って来るにカナスダと言う港を出立した。その港で何艘もの軍船を見た、
林の如く帆柱が林立していたと言うのも、また、オロシヤの王様がモスクワよりもカナスダ(港)に近いペテルブルグに王宮を移して居るというのも、ヨーロッパに在る異国からの侵攻に備えての事で御座いましょう。
(カナスダの)港近くのそこここに、海に向かって大砲が据え付けられて有ったと言う事もそれを裏付けるものでございましょう。
レザノフが一行は、蝦夷よりも北に在るカムチャッカ半島に御座いますバウラツケと言う港を根城にしているのではないでしょうか。
蝦夷にも択捉などの島々にも近ければ、そこを拠点にしているので御座いましょう。
オロシヤ人が生活していた、軍船が有った。兵隊が居たと寄りもした漂流民から聞いております。
されど、海獣の毛皮や海の幸を扱う商売人等がために、北の利益を守らんがために兵隊が駐留しているらしいと聞いてもおれば、それほどの軍隊(数)が実在しているわけでは無いと想像できます。
さすれば一連の襲撃は、レザノフオ一行によるものにすぎないのではないでしょうか。
王様の期待(使命)に応えられなかった、正に交易を断られた腹いせに御座いましょう。
今は守りを固めるがための出番となりましょうか。兵の数を多くして対処出来る物と思われます。
されど、オロシヤの大砲、火力は相当な物とも聞いておりますれば、出陣が先でもそれに対抗出来るほどの武器の開発、造船が必要でも御座いましょう」
「・・・・」
思いもしていなかった回答だったか、侯は沈黙した。
「余計な事かもしれませぬが、
御国を守ると言えば北もさることながら南の事も考えねばなりません。
世界は大きく動いて御座います。南蛮人(ポルトガル)、和蘭人(オランダ)に代わって、仏蘭西人(フランス)、英吉利人(イギリス)が今や脅威に御座います。
オランダはフランスによって攻め滅ばされ国そのものが消失しております上に、アジア諸国との交易を目的にしたオランダが東インド会社もその存在が事実上無くなっていると聞きもして御座います。
交易を求めて吾国周辺の海に見え隠れするはフランスとイギリスが船に御座います。特にイギリスは、我が国同様に鎖国政策を採る隣国、唐(中国)清朝に、強引に開国を迫っていると聞きもして御座います。
(中国、清朝は鎖国政策を採り、当時、広州(広東省に位置する)を海外との唯一の窓口にしていた)
先に「捕影問答」と称して吾が書を差し上げたは、オロシヤばかりでなく、イギリスの交易要求や襲撃にも備える必要があるゆえで御座います。
カピタンやその随行員に聞く、僅かに知る世界の情報に有りますれば確証の取りようが御座いませんけれども、これからは世界を視野にして御国を守らんがための政策を考える時になっているのではないでしょうか」
己の首も危ないのだ。下手に開国論を口に出来ない。されど世界の書を読みもすれば天文、地理、測量、化学、諸々に吾国が後れを取っているのは事実だ。
(参考図ー択捉島、松前藩の場所)
