1988年3月 

 

浪人生活を無事に終えられ

4月からは大学生だったその頃

 

よく聴いていたアルバム

・小田和正『BETWEEN THE WORD & THE HEART』

・中島みゆき『中島みゆき』

・吉田拓郎『MUCH BETTER

 

これら4作を聴くと今でも当時の気持ちや友人、出来事の断片を鮮明に思い出すことができます。←日本語おかしいですか?笑

 

 

 

 泉谷さんに辿り着くまで

 

拓郎さんの『MUCH BETTER』に「眠れない夜」という曲が収録されています。※「眠れぬ夜」ではなく。

これは泉谷さんのカヴァーです。

 

泉谷さんオリジナル(1974年)

 

 

 

 

 

高校1年で知り合ったO君。

 

のちに僕が、今でもECHOES辻仁成)をたまに聴くのは、このO君がまず好きだったからです。

 

既に聴き惚れていた甲斐バンド

のちに『REPEAT&FADE』の松藤さん盤にて、辻仁成による作詞がありました。

※『REPEAT&FADE』は甲斐バンドのラストアルバムでメンバーそれぞれが1枚のレコードを担当(4曲収録)の4枚組LPでした。

 

 

 

人の繋がりは-音楽業界にしても、僕個人の偶然にしても-何かと面白いものだなと思ったものでした。←ブログでもこの感覚をしばし貰ってきています。そうあなたから。

 

 

あるとき。

 

金欠だったO君を救済すべく?O君所有のLP『唄の市 Ⅲ』をいくばくかの値段で譲り受けました。

 

これ

 

 

 

「春夏秋冬」よりも、拓郎さん経由で知った「眠れない夜」の方が好きでした。「春夏秋冬」を噛みしめられるには、僕の感性が未熟で鈍感、なにかと未経験だったんだと思います。

 

 

 

 

 1988年12月7日
『IZUMIYA・SELF COVERS』発表

↑これ

 

 

セルフカバーあれこれ

今でこそセルフカバーアルバムは珍しくありませんが、当時の僕には新鮮でした。

 

本稿最初に触れたこの当時よく聴いていたアルバムで取り上げた長渕剛の『NEVER CHANGE』もセルフカバー作品です。

 

長渕剛を聞いてきた人の評価が概ねよろしくなかったです(笑)

僕は結構好きでした。でも「明日へ向かって」は原曲の、口を開けば言い訳ばかりして奥底に沈み込めた本心を、魂を震わせ居ても立ってもいられなくなるほどの頑なさで以て背中を強く押してくれた勇気が、このアルバムでは、チャルメラ吹いて商店街をスキップしているウキウキ感あふれ出る美容整形激変(※個人の感想です個人の感想です個人の感想です)でした。(笑)

受け入れられるまでに相当な年月を要しました。

 

 

ですので「なんだよこの『逆流』はガーンプンプン」と怒り熱弁を軽く10分は奮った友人の気持ちもよく分かります。このアルバム収録で世間一般的にはヒットしたシングルバージョンの「乾杯」も、積極的には聞きたくなるようなテイクではありません。

あれ?このアルバムはでも全体的には好きです汗

 

 

・・・ということで、聴く側にとって、楽曲の「御色なおし」はその歌を好きになった瞬間に「手を加え」「いじる」感を拭えず、原曲への思い入れを越えるのが難しい性質のものだと思います。←個人の感想。

作り手側の意図や意気込み必然性を、聴く側の拘りが受け入れ難くしてしまうのかもしれません。

 

でもでも、みゆきさんのセルフカバーの「ローリング(アルバム『中島みゆき』最後の歌)(1993年『時代 -Time goes around-』でセルフカバー)は凄く好きです。

 

この「ローリング」の演奏は、海外のミュージシャンです。レコーディングの際、その彼等が「(歌詞は日本語だから分からないけれども)こういう歌なんだろ?」と話しかけられたそうです。「伝わるんだな」とみゆきさんが感慨深くなったとライナーノーツに記していました。

好きなエピソードです。

 

ローリング一節

 

Rollin’ Age 淋しさを

Rollin’ Age 他人(ひと)に言うな

軽く軽く 傷ついていけ

Rollin' Age 笑いながら

Rollin' Age 荒野にいる

僕は 僕は 荒野にいる

 

 

拓郎さんの「落陽」「祭りのあと」

1989年にシングル曲としてセルフカバーされています。※「落陽」のスタジオレコーディング作品の発表はこの時が初めて。

うううううううううううむ、でした(笑)※当時

当時、拓郎さんがはまっていたコンピューターによる打ち込みサウンドでした。

 

参考

 

 

 

ということで

 

原曲を知ってしまっているとセルフカバー曲を気に入るハードルを無意識に高く設定してしまっています。

 

ちなみに

 

セルフカバー曲やアルバム作品で「いいなあ」「うまいなあ」と思う唸るのは浜田省吾

『Promised Land~約束の地』から浜田省吾は入学しました。が、厚顔無恥で不勉強で『Sand Castel』がセルフカバー作品だと知った時は舌を巻きに巻いて巻き巻きになりました。

(のちのセルフカバー作品はリアルタイムで聴いて来ましたがホントすばらっしいです。)

 

泉谷さんの『IZUMIYA・SELF COVERS』もそれと同じ接し方が出来たようです。

 

 

 

 泉谷さん

 

今日触れたいのは書きたいのは

泉谷さんです。

 

僕のそれまでの泉谷さんの認知度というのは、フォーライフレコードを小室さん拓郎さん陽水さんとともに立ち上げた人、つまりそれなりにそこそこ凄い人、けれどもその頃TVで見かけた泉谷さんは-役者としてではなく素で-無茶苦茶なことをして叫ぶ人(そういうオファーを貰い引き受けていただけだったのかもしれません)でした。

 

拓郎さんのカバー「眠れない夜」で、そのすそ野を広げて、また、泉谷さん自身、そのあたりから音楽活動に力点を置き直した印象があります。否、正確には、僕の興味関心がそう変化しただけです。

 

 

オリジナルの「春夏秋冬」を知っていましたので、このアルバムのオープニングの「春夏秋冬」は、当時の僕には衝撃的なアレンジでした。

 

誹りを承知で印象を吐露しますと、英国風なバンドサウンドでした。そしてそれに負けずに勝手に歌う泉谷さん。時に流れるように歌う泉谷さん。隙間があってどう解釈したらいいか爪痕や余韻を残す歌詞。

聴いていて、ひっかかりがあり、矛盾しますが単純に心地いいアルバムでした。

 

演奏は、、、

 

泉谷さんのバンドLOSERは、

村上ポンタ秀一 Drums

CHABO仲井戸麗市 Guitar

下山淳 Guitar

吉田健 Bass

 

ゲストには

忌野清志郎

鮎川誠

山口冨士夫(村八分)

 

...ほか錚々たる顔ぶれ。

 

 

1歩目は -御多分に漏れず&十人並みで- 

「春夏秋冬」。

 

が、しかし

連行するがごとく強烈に引っ張ってくれたのは

IZUMIYA・SELF COVERS』でした。

 

 

 

 

ちなみに

小田さん、正やん(伊勢正三)がリード🎸ギター、坂崎さん、大友康平(drums)、JI稲垣潤一、山本潤子(ハイ・ファイ・セット)、白井貴子、渡辺美里。

このセッションはもんのすごいです。

※このイベントには我らが財津さんも参加していました。

1994年 日本を救えコンサート@日本武道館

 

 

泉谷さんが立ち上がる時、歌う時その多くは、人間には防ぎようがない自然災害に巻き込まれ打ちのめされ、立ち上がれず苦しんでいる人が大勢いる時。

 

自分にできることは何か

真摯に向き合い行動に移し

声をかける

自分には出来ないことも

自分に出来ることも

両方を熟知している

そして歌う

 

 

 

 

また

 

 

 

この言葉も強く僕の中に刻まれています。

 

「コロナで苦しんでいる人がたくさんいるから自分だけ楽しむのは気が引ける」と思っているならそれは間違いだぞ

(一言一句正確な再現ではありません)

 

 

 

役者としては言うまでなく

シンガーソングライターとして

その行動力や存在感

 

僕は泉谷さんが好きだったりします。

 

 

 

 

各曲ちょっと試聴可能

 

 

 

ここまでありがとうございましたランニング