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もうどうでもいいのさ

つまらぬことは考えないで

そこからの道を急ぐのさ

それがもっとも肝心さ

 

長く暑い一日が終わり

振り返る時は すべては灰色に

心の中は 荒れ果てつきて

先を見ることさえ 苦しみを覚える

 

かわる かわる 目の前が

かわってそれでおしまいさ

されど私の人生は

されど私の人生は

 

まぼろしの道はいくつにもわかれ

どのように生くべきか定かではなし

ただひたすらにレールの上を 

まっすぐに進みゆけばと思うのだが

 

一時停車をこころみてみたが

冷たい風は 私の中を

きょうきのごとく さまよい歩き

果てて この世を去ることのみ

 

かわる かわる 目の前が

かわってそれでおしまいさ

されど私の人生は

されど私の人生は

 

 

 

されど私の人生 

作詞・作曲:斉藤哲夫

1971年

 

(注)文字の表記:僕の心情に合わせています。

 

 

 

 

代表的なところではビートルズ。彼等の歌は、この世に発表されてからとうに50年経過しています。人によってはその心酔ゆえ、偉大ながらも身近な存在。

 

僕の場合。

なが~い時の経過に加えて、遥か海を越えた場所からの歌。陳腐な言い方を恥ずかしげもなくしてしまうと、彼等の歌は、-その昔から,今なら更に- 時間も空間も越えて聴こえて来る感じ。突き詰めて考えてみようとすると、不思議な感覚。古くも新しくも懐かしくもなく、けど、とてもいい。とってもイイ。

 

ところが

 

日本の歌となると -これは僕個人の音楽体験に倚りかかっているに過ぎませんが- そうはいかなくなります。

 

今日では、もうかれこれ50年も前の歌。

「50年」「ごじゅうねん」

筆記するにも声に出してみるのにも

5秒とかかりません。

 

けれども、そこに思い(想い)を馳せる時、自分の人生に重ね合わせてみようとする時、その重さを感じないではいられなくなります。

 

 

僕が「されど私の人生」という歌を知ったのは、1984年夏あたりです。

そう、この頃から僕は拓郎さんを本格的に聴き始めました。そして好きになり、途切れることなく(←重要⇒)今日まで聴いてきています。

 

「されど私の人生」は、拓郎さんの初期、初期も初期のライヴ・アルバム『よしだたくろうオン・ステージ ともだち』にて歌われました。

のちの、つま恋ほかLIVE作品でも歌われておりまして、観たり聴いたりが可能です。

1990年、僕が参加したLIVEでも歌って貰えましたグッ

 

 

シングル「されど私の人生」

斉藤哲夫さんが世に発表したのは、

1971年2月5日

 

『オンステージ ともだち』

1971年6月7日

 

拓郎さんの自作ではありません。

斉藤哲夫さんからの提供曲でもありません。

 

でもにもかかわらず

 

 

聴く者を圧倒する、心を突き刺す声。

その言葉に、そしてバックの最高最上の演奏に

心酔しました。今も震え、揺さぶられます。

 

(大事)

この歌をこの世に生み出したのは

斉藤哲夫さん。

 

言わない・言い過ぎない

人柄、流儀・美学、才能、技法、このどれに因ってであっても「作品」においてはこれ(言わない・言い過ぎない)が利いていると、受け手の心を響かせる。

雨がぽつりポツリ落ちてきた時のように。光が差し込んでくるように。水面に波紋が拡がっていくように。花が開くように。手を握られるように。微笑まれるように。あるいは、激しく肩を掴まれるように、ビンタされるように、ぶん殴られるかのように←はい、言い過ぎています。

 

 

「されど私の人生は」に続く言葉がないところが、僕を揺さぶるのです。

言葉として文字として示されていないだけで「ない」ということではない。

 

でも

 

されど私の人生は、

されど私の人生は・・・

 

ではなく

 

されど私の人生は

 

 

趣深くてたまらなくなります。

しみじみしてしまいます。

 

「歌詞の表記には句読点がみな無い」という指摘が聞こえてこそうです。

表記・つくり・作法としてはそうでしょう。

でも言葉になっていない心情が溢れている。

 

 

 

 

 

 

もうどうでもいいのさ

つまらぬことは考えないで

そこからの道を急ぐのさ

それがもっとも肝心さ

 

長く暑い一日が終わり

振り返る時は すべては灰色に

心の中は 荒れ果てつきて

先を見ることさえ 苦しみを覚える

 

かわる かわる 目の前が

かわってそれでおしまいさ

されど私の人生は

されど私の人生は

 

 

ちなみに。

 

 

怒りもて石を握った指先は

眠れる赤子をあやし抱き

怒りもて罪を穿った唇は

時の褥*に愛を呼ぶ

されど 寒さに痛み呼ぶ片耳は

されど 私の裏切りは

誰のせいでもない雨が降っている

日々の暮らしが降っている

 

もう誰一人 気にしてないよね

早く月日すべての悲しみを癒せ

月日すべての悲しみを癒せ

 

 

 

誰のせいでもない雨が

作詞・作曲:中島みゆき

1983年アルバム『予感』

B面1曲目

 

*:しとね:敷物(しきもの)、ふとん

 

 

 

たった3文字の「されど」なんですが。

されど拓郎さんとみゆきさん

 

横道。路地裏。

岡本おさみさん作詞の「祭りのあと」の歌詞に“慰安”という言葉が出てきます。のち、浜田省吾の「愛の世代の前に」という歌にも“慰安”という言葉が登場します。ちょっと興味深いのです。

 

 

 

 

1971年「されど私の人生」。

斉藤哲夫さんは1950年生まれ、カヴァーした拓郎さんは1946年生まれ。ふたりとも30歳にはまだまだな20代。20代でこれとは・こうだったとは!と僕自身が歳を重ねていくにつれ、いろいろ経験もした上で、感嘆感服しないではいられなくなります。

 

日増しにその説得力に心揺さぶられる次第です。指針お手本だったのです。優れた古典の域。

 

 

 

 

おまけ

 

◆その1

ちなみに斉藤哲夫さん。

「されど私の人生」は自身2枚目のシングル。

1枚目は「悩み多き者よ」。

この歌。これまたライヴ・アルバム『秋ゆく街で』で鈴木さん・小田さん時代のオフコースにカヴァーされ歌われています。

 

な・ものですから

あの時の!あの宮崎美子のあの!CMでお馴染み「今の君はピカピカに光って」を歌ったのと同じ人物!??となってしまいました。ちょっと世界観に隔たりを覚えた当時の僕でしたw 

ピカピカは作詞:糸井重里 作曲:鈴木慶一(はちみつぱい・ムーンライダーズ)

 

 

◆その2

 

今回初めて知りました。

2005年といえば、僕には最近

沁みる。さすがの産みの親。

温かい。

 

 

 

 

ここまでありがとうございました。