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酒井将吾オフィシャルブログ〜教育者の卵の大学生活〜

ブログ始めました。

関西出身の東京の某大学生で塾講をしています。


こんなところでそんなことを、とか、
そんなふうにあんなことを、とか、

鬱屈した日常を、少しだけ斜に視ることで、風を吹かせられたら…

と思います。

さてさて11月に入り、寒くなり僕の機嫌もうんと悪くなる季節が迫って参りました!笑

寒さで羽毛布団も出すのもめんどうで毎晩、凍えながらも薄いタオルケット1枚で睡眠するのも厳しくなってきたある日の夜。

大学に進学して教科書やプリントが多く積まれた机を整理していました。







入門力学。いらない。ポイ!

ファイマン量子力学。難しいからバイト先の後輩にあげよう。ポイ!

振動・波動学。分かったからポイ!

微分積分学。簡単過ぎるからポイ!






○○写真集......置いておこう。笑






といらないものはすぐに捨ててきれいな学習机になりました。

捨てた中のプリント類には色ペンなどで「重要」などを記したこれまでの大学生活を思い返していました。

捨てていく中でも、どうしても捨てられないものがあります。

もちろん、それは恐らく2度も使うことはないかもしれないもの。

もしかしたら、これは僕にとって宝物なのかもしれません。




センター現代文対策教材。





それは折り目だけが、はっきりと残ったもので中身は数ヶ所の傍線が引かれているだけで板書もなのもないものです。

しかし、それを見た瞬間、浪人時代の苦しき日々の中、ずっと暗闇に居た僕に光を照らし続けてくれた現代文講師(東進、河合塾で指導している方)を思い浮かび、今の僕の目標としているお方なのかもしれません。

あっ。「今でしょ!」って連呼している方ではありません。笑

その頃の自分と今の自分と比較して思い描いていた自分で居られているかは分かりませんが、くじけそうになった時は何度もこのテキストに救われたようにも感じられます。








まぁ重い話もこれまでとして、その中にあるおもしろい文章がありました!












2004年度センター国1の追試験問題。










何年ぐらい前だっただろうか。

センター国語には国1,2と2種類ありました。

みんなが手に入る問題集などに掲載される問題というのは国語2の問題であって国語1の問題は掲載されない。

深く闇の中にとじ込まれていくかの如く出て来ないんですよ。笑

もちろん予備校などの書庫には、よくある為、いい問題、文章があるときは教材にして用いるようです。

国語1よりも国語12の方が、ほんの少しだけ評論のレベルが高いというか。

しかし、ある年は逆転現象が起こり国語1の方が平均点が高かったこともあるようです。

大学によっては国語12じゃないと受験できないとももありました。

やっぱり、やって来る受験生の中には不注意な受験生もいて国語12で受験したのに国語1に解答してしまった人もいたようです。

日本史で受験しているのに世界史に解答してしまっているようなもんです。

もう念じるわけね。笑

鬼の一念矢も通さずと言わんばかりに

当たれ!偶然!

しかし×が10連続ぐらも続いて、ほとんど終わりです。笑

そういったことが、あまりにも多くて今の1本化に繋がったようです。









さてさて本題へ。。。











古い伝統社会に新しいものが持ち込まれると、これを拒絶する方向と素直に導ける方向と極論2通りに分かれてしまいます。

採用するか否かみたいなものです。

でも採用しないというのは、頭の固いというかアホみたいに思われがちですけど伝統的な社会の連関性の有機的な異端性は保たれます。

素直に受け入れるにしても伝統的というか古の様々な本質が粉微塵に砕け散ってしまいます。

不思議ですよね。

バイト先の先輩は猛烈にハロウィンを批判していました。

本来あるべき秋の作物を奉納を祝う祭りも今ではただの仮装祭り状態ですよね。

SNSでは翌日の渋谷ゴミ問題などが取り上げられていて。

新しいければなんでもいいってことではありません。

しかし、僕らは真正面にその事象と向き合った時に善なる判断ができるだろうか。

iPhoneでもなんでも新制なものや新しいものは、ほいっと手を伸ばしてしまいがちです。

プレステーションでもなんでも家庭ゲーム機と廃れつつあるゲームセンター。

ダム建設だってそうじゃないですか!?

昔だったら小川から水を引いたり、あるいは溜池から田んぼを耕したり、かつての農夫があったわけ。

受験勉強でも新しい問題集が出版されるとやりたくなってしまいがちですが、勉強というのは最もシンプルでいいと思います。

ただ1つだけ。

機械論的性質と機械が導いたのは別だということです。

機械論的性質というのは、いかにもメカニックというか。

理系の方ならお分かり頂けるとは思いますが、機械というのは無駄のものが一切伐採ないというものです。

ネジ1つとしてもピエムピアにしてもどんな小さなものでも強大な全体を支える一部になります。

近代的知恵謂わばサイエンスの勝利です。

安全第一のヘルメットを被った軍隊みたいなフル装備と日本昔話で登場してきそうなおむすびを自然囲まれたに丘の上でたいらげる鍬だけを持ったおじいさんとでは勝敗はついているわけ!

そういった対立は国境を越え、伝統的な農業の破壊・衰退へと繋がっている......難しいとこです。

ブラジルのアマゾン開拓がよくある例ですね。

アフリカや東南アジアでも熱帯地域な為、その地域にしか育たない作物が高く売れます。

カカオとかタバコとか色々、高級作物が手に入れられるが、それを必要とする民族なんか存在しない。

彼らはキャッサバとかタロイモとかちまちま食べていって生活しているわけ。

しかし、よそから来たものに住んできた場所を焼畑かなんかにして作物を信じられない低賃金で現住民に育てさせるそうです。

つまり、よっぽど金になるわけ。

もちろん日本もその一環です。

先進国はそういった金のなるものを高い販売ルータにのせて経済を動かす。

環境問題だ。やれ酸性雨だ。と議論する中もっと現実的に人間は自らの住む場所を四国一面分の環境を枯死させています。

もう戻りません。もう明確な政治的な責任があります。





















ただ

















こういった現実を知ることがとても大事です。



























もちろんそういったことを止める権力も権威もない僕たちができることは移り変わりゆくこの世界の真相を把握しなければなりません。