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酒井将吾オフィシャルブログ〜教育者の卵の大学生活〜

ブログ始めました。

関西出身の東京の某大学生で塾講をしています。


こんなところでそんなことを、とか、
そんなふうにあんなことを、とか、

鬱屈した日常を、少しだけ斜に視ることで、風を吹かせられたら…

と思います。

さてさて2016年度1発目のブログ。

大阪のとある予備校先の生徒に、「書いてや!」といわれ、謂われるがまま書き出したこのブログ。笑

教育を教える側に立ち、3度目の受験シーズンに突入しました。





唐突だけどさ、「マクドナルド」......みんなどう呼ぶ?
関西では基本「マクド」って言うけど、関東では原則「マック」らしい。
呼称の省略型に地方色が出るって興味深い話で、夜寒の候、ゆっくり考えてみたいテーマではあるよね。

きっとあるんだろうなー。例えば「ナルド」とか「マクル」とかいう呼称。笑
(やっぱないか・・・)



ん?

なんで久しぶりなのにそんな話題なんだって?


久しぶりだからだよ。
こういう身近な話題から再開しないと照れ臭いじゃん。



やあ、ごぶさた。
みんな元気だった?

待っていてくれたキミ、ありがとう。





さて今回は、件のマクドナルドでのこと。
今日久しぶりに立ちよった僕、100円ドリンク片手に座席をしばし占有。 

そして幾許かの大学の試験勉強。
いやー感謝してますマクドナルド様。笑
こんな安価で仕事に集中できる環境を提供していただけるなんて。


ん?仕事するには結構騒がしいんじゃないのって?
そうだね。快適な環境とは言い難いかもね。









かつてJ・K・ローリングがかの超大作『ハリーポッター』をファミリーレストランの片隅で執筆したとかいう話を耳にしたことがあって、それがあたかも苦労譚的文脈として語られていたように記憶しているけれど、僕は実のところそれは苦労でもなんでもなかったんじゃないのかなって思うんだよね。

屈託した冴えない現実と、そのなかで着実に紡ぎあげられつつある壮大な物語。
このギャップがたまらないんだよ。
この間隙にこそ僕たちが前を向いて生きて行く可能性が満ちている.....のかもよ。



もちろん高級レストランだとか、無音の執筆用書斎だとか......あればあったでそりゃいいんだろうけどさ。
マクドナルド的カフェ環境ってのも、これはこれで意外と仕事に向いていたりするんだよ。

実際僕は今も、「カフェティビティ」というアプリでスタバの.......騒めいた効果音をスマホから流しながら、これ書いてたりするくらいなんだもん。



で、そんなマクドナルドで今日あった話。

100円紅茶で粘り倒した揚句、ふー。
(無理すんな。もうこれ以上集中できないぞ、おまえはよくやったよ。まじまじ。そんな頑張りすぎんな.....)
優しい悪魔のささやきにあっさり根負けした僕。






.......は、はは。



「ここは難所だぞ、あとはずっと平地つづきだ........」(手塚治虫作、『ブラックジャック』より)

大事故に遭い不自由な身体になったある少年が、過酷な運命を乗り越えようと決死の覚悟で這いながら越えた、そこはかつての峠道。
数十年のときを経て、いま目の前をまたひとり手足の不自由な少年がじりじりと這いながら越えようと挑んでいる。










可能性を真っすぐ信じつづけることは、それ自体困難だ。
ものごとは、いつも、価値あるほどにそう簡単には手に入らないだろう。
挑戦はいつの日も鮮烈だが、惨酷な結末もありうる。

不自由な身体では、どうしても思うままにならず心が折れようとすることもあるだろう。
苦しければ人の善意が悪意に思えてしまうこともあるかもしれない。



賢明に坂道と格闘する少年は、つかず離れず自分を観察するブラックジャックの視線が気に入らない。
(なんだこの人は。ずっとついてきて。面白がっているのか。こうして悪戦苦闘するオレを見ているのがそんなに愉快なのか・・・)
少年は気がつかない。
その黒づくめの男が、かつて、今の自分と同じ峠道を越えていたことに。
同じように、あるいはもっとぶざまに這いつくばっていたことに。
でもそれは已むからぬことだ。
なぜならその怪しい黒装束の男は、どう見ても身体の健常な立派な紳士に見えるからだ。




遥かな道を歩き切ろうとする者たちよ。
ここから、こころからのエールを送ろう。
キミはかつての僕自身だ。



同じように同じ道を、いま歩み切ろうと、地獄をくぐろうと賢明に闘うキミを
僕はこころから応援している。




ところでさ。
なぜブラックジャックはその少年を見守ろうと思い立ったのだろう。

作品のなかで彼は「単なるきまぐれ」を匂わせてはいる。
社会的成功を収めた金持ちの余裕。
しかし、単なるきまぐれだけで、ずっとそばで誰かを見ながら応援できるものなのだろうか。
過去のトラウマにふたたび向き合いたくはないという気持ちにはならないものだろうか。



僕はこう想像してみるんだ........
人間の「病」と向き合うのは、たとえブラックジャックほどの才能でもけっして楽ではないだろう。

なぜならそれは肉体上の病変箇所を切って棄ててしまえばよいだけのものでないからだ。

医術としての役目はオペの終了とともに終わるかもしれない。

でも、本質的な救いをもくろむとき、ことはそう安易ではないだろう。

人の欺瞞や偏見。

硬直化した体制や不平等な評価。

薄汚い権力構造。

名声と富ばかりにかしずき群がる品のない連中........
本当の人間の「病」。

そこに向き合おうとしたとき、天才外科医は非力なひとりの人になる。

歯をくいしばりながら、なんとか自分に出来る限りを尽くそうとする。

虚しく空回りするばかりの時間が過ぎていくなかで、ときに心が折れようとすることもあるだろう。
苦しければ、苦しすぎれば、人の善意が悪意に思えてしまうこともあるかもしれない。




ブラックジャックは、その少年を励ました。

しかし、それはかつての自分の姿を回顧しただけではなかったのかもしれない。

もしかすると深層においては、今のふがいない自分自身を励ましていたところもあったのかもしれない。


.......とそんな風に想像してみるのは、解釈としてあながち行き過ぎでもないだろう。




だから、こころからもう一度キミに言おう。


ここが正念場。
ここが踏ん張りどころ。


しかしあとはずっと平地つづきだ。




キミはかつての、そして現在の、僕自身だ。








大丈夫。

きっとうまくいくはずや。