「みちのく黄金伝説を訪ねて」
日本は、ヨーロッパで「黄金の国ジパング」と呼ばれ、憧れの対象になっていた時代がありました。イタリアのマルコ・ポーロが著した「東方見聞録」の『ジパングは、東海にある大きな島で、大陸から2400kmの距離にある。』、『宮殿の屋根は全部黄金でふかれており、道路の舗装路や宮殿の床は4cmの厚さの純金を敷き詰めている。』、『この国ではいたる所に黄金が見つかるものだから、国人は誰でも莫大な黄金を所有している。この国へは大陸から誰も行った者がない。商人でさえ訪れないから、豊富なこの黄金はかつて一度も国外に持ち出されなかった。莫大な黄金がその国に現存するのは、全くかかってこの理由による。』などの記述をきっかけとして、大航海時代には、コロンブスを始め沢山の人々が「黄金の国ジパング」という憧れの日本を目指したそうです。
そんな「黄金の国ジパング」の始まりは、実は「みちのく」と呼ばれた日本の東北地方でした。マルコ・ポーロは、東方のさまざまな土地を旅行し、なかでも元(モンゴル帝国)には10数年滞在していて、第5代皇帝フビライ・ハンに仕えていたともいいます。その長い滞在の中で、12世紀初頭に平泉に建立された「中尊寺の金色堂」に関する伝聞を耳にしていたと考えられ、見聞録に記述されている黄金の宮殿とは岩手県の平泉・中尊寺の金色堂のことを書いたものといわれています。今から千年近く前に京の都よりも栄えたといわれる奥州藤原氏が築いた黄金の都市「平泉」が、「黄金の国ジパング」の原点になっていると考えられるのです。
この「平泉」に代表されるみちのくの黄金伝説は、「みちのくGOLD浪漫」として、2019年5月に文化庁より、「日本遺産」の認定を受けました。「日本遺産」とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」として認定するという文化庁の事業です。そして、日本遺産「みちのくGOLD浪漫」のストーリーの始まりの地は、日本初の産金地である宮城県涌谷町の「黄金山産金遺跡」です。749年(天平21年)にこの地で日本で初めて発見された砂金は、奈良・東大寺盧舎那仏の金メッキ用に献上され、時の聖武天皇は、神仏のもたらした奇跡とし、その喜びから元号を天平から天平感宝に改めたとのことです。奈良時代の陸奥国は「みちのく」と呼ばれ、現在の岩手県や宮城県を含むこの地には、約4億5千万から1億年前につくられた金鉱脈が眠る特異な地質が広がっていました。「日本で金は採れない」とされていた当時の常識を覆した一粒の砂金の産出は、人々の心に金への憧れを生み出しました。一粒の砂金から始まった「黄金の国ジパング」・日本の金の原点は涌谷町の黄金山産金遺跡でした。
ところで、この黄金により大仏が完成した喜びを詠んだ『天皇(すめろぎ)の御代栄えむと、東(あづま)なるみちのく山に黄金(くがね)花咲く』という有名な大伴家持の万葉歌があります。石巻の金華山は、この歌詞にあやかり金華山と称するようになったとのことです。また、この島の黄金山神社は、この時の産金を祝し、金銀財宝の守護神の金山毘古神・金山毘売神を奉祀し750年に創建されました。島全体が神社の神域となっていて、恐山・出羽三山と並ぶ「奥州三霊場」に数えられ、『三年続けてお参りすれば一生お金に困ることはない』という言い伝えもあります。金華山詣でや参詣道の金華山道は、「みちのくGOLD浪漫」の構成文化財です。金華山は、かって船乗りの人達から「みちのく山」と呼ばれ航海の目印とされていました。家持の歌の金産出の「みちのく山」と混同されて金華山も産金地と間違われることもあったようです。なお、「みちのくGOLD浪漫」の構成文化財には、産金遺跡として陸前高田市の玉山金山や気仙沼市の鹿折金山・大谷鉱山なども含まれています。
中尊寺金色堂
