※本作品は実話からヒントを得て創作したフィクションです。登場する人物・団体・企業・名称等はすべて架空であり、実在のものとは関係ありません。
Side A:久石幹雄
三月も下旬に差しかかり、雨は冬の気配をやわらかくほどいていく。出張先で乗った電車が、見知らぬ薄暮の町を走り抜け、車内の灯りが窓に滲む。
踏切の警報音が迫り、道端で水玉模様の傘が小さく揺れているのが見えた。特に珍しい柄ではない。けれどなぜか、胸の奥がかすかに疼いた。
――そういえば、あの人の日記に、水玉の傘の話があった。
SNSで偶然読んだ見知らぬ女性の短い文章。
その日に買ったという水玉模様の傘の話。
「どうして自分は水玉模様に惹かれるのだろう?」という呟きで始まり、心理学の本を引用して“純粋さへの憧れ”“規則性の安心感”“遊び心と創造性”というようなことが書かれていた。
心理学的な分析自体は、正直なところ、こじつけじゃないか?という気もしたのだが、僕は、その女性の呟きに不思議な縁のようなものを感じて、コメントを送った。
「僕も今日、ある店先で水玉模様を見て、同じことを考えていました」と。
すると、ほどなくして返答が届いた。
――もしかして、シンクロニシティ?
何故か水玉模様に惹かれる者同士が思わぬ場で繋がり、少し楽しい気分になったが、その後、彼女とやりとりをすることはなく、もうすっかり忘れていた。
電車がカーブを抜け、窓の外が闇に包まれはじめる。車窓に自分の姿が映る。あの日記を読んだ日に立ち寄った店で、たまたま見かけて買った水玉模様のシャツ――一目見て惹かれたいくつもの白い点が、車内灯に照らされて整然と浮かんでいる。
“純粋さへの憧れ”“規則性の安心感”“遊び心と創造性”。
“シンクロニシティ”という一言で心が浮き立ったのは“純粋さへの憧れ”だったのだろうか?いや、それもこじつけか…。
そんな思いに耽っているうちに踏切は警報音とともに遠ざかり、傘の人影は闇に紛れて見えなくなっていた。
Side B:関根美奈
買い物に出ようとしたら、外はまだ雨。三月も終わりに近づいた雨は、やわらかな空気を含んでどこか軽やかに感じられる。紺地に白い水玉の傘を開く。少し褪せたけれど、お気に入りの傘だ。
この傘を買ったとき、SNSに短い日記を書いた。
「どうして自分は水玉模様に惹かれるのだろう?」
心理学の本の一節を引用しながら、“純粋さ”“安心感”“遊び心”と綴った。
その投稿に、見知らぬ誰かがコメントをくれた。
「自分も今日、同じことを考えていました」と。
そのとき私は、少し嬉しくなって、こう返した。
――もしかして、シンクロニシティ?
ほんの一瞬の会話。それきり何も続かなかったけれど、見ず知らずの誰かと、同じ日に同じ思いを抱いていた――ほのかな嬉しさが心に残った。
買い物を終えて商店街を抜けると、雨は小降りになっていた。街灯の光が濡れた舗道を照らしている。
踏切の警報が鳴り、私は足を止めた。
目の前を横切っていく電車と、その線路の向こう側へと歩いていく私。一瞬だけ交差し、別々の方向へと離れていく二つの点。
SNSでの出会いも、これと同じだと思う。名前も、どこに住んでいるかも知らない。ひと時だけ言葉を交わし、きっと、もう出逢うことはない。
電車が通り過ぎ、金属の響きとともに、やわらかな春の風が頬をかすめていく。遮断機が上がる。静けさが戻り、私は線路の向こう側へと歩きだす。
踏切を渡り、私はふと立ち止まり、遠ざかっていく電車を眺めた。
目の前を走り過ぎていった一瞬、車窓越しに見えた水玉模様のシャツ――その残像が、妙に鮮やかに胸の奥に焼きついていた。
*毎週金曜21:00更新
