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下関市史を遺したい

下関市史研究会の亀田真砂子です。
下関は、古くは神功皇后の三韓征伐、源平の壇ノ浦の合戦、武蔵・小次郎の巌流島の決闘、下関戦争、幕長戦争など歴史の宝庫です。
しかし、埋もれつつある歴史もたくさんあります。

国宝・長門國一宮 住吉神社本殿

 

 

 

 

下関には国宝の建築物が2つあります。

一つは、功山寺(長府)の本殿。

もう一つが、ここ住吉神社の本殿です。

これは、応安3年(1370)に、大内弘世の

再建で、室町初期の代表的な建築です。

 

九間社流れ造り(きゅうけんしゃ)といって、

五社殿を合の間で連結し、社殿上の正面屋根

(檜皮葺)に千鳥破風を乗せ、春日造りと

流れ造りを組み合わせた特徴ある建物です。

 

その本殿の外側を飾る板絵が、この度

修復されて近くで拝見できるようになった

ので、行ってみました。

四季の花鳥図が鮮やかに描かれています。

縦が約150センチ、横が約110センチ。

 

 

春「桜と鴨」

 

 

 

夏「柳と白鷺」

 

 

 

秋「紅葉と鷹」

 

 

 

冬「柿と鵜(う)」

 

 

 

2025年10月2日に配信された山口新聞のニュー

スで、400年間風雨雪にさらされた板戸絵は

ほとんど判別できなくなっていたため、復元

して本物の板戸絵と取り替える形で、本殿に

設置されたそう。

オリジナルの絵は、雲谷派の絵師の手に

よるものではないかと、推測されているらしい。

 

復元を手掛けたのは、山口県宇部市在住の日本

画家・馬場良治さん。屋外の板絵が400年残る

というのは世界でも例がないそうで、室町期の

絵画の筆跡が辿れる作品です。

 

さて、住吉神社といえば、大内氏についで

毛利氏も保護しました。

 

本殿の前にあるのが、毛利元就が寄進した

拝殿です。

天文8年(1539)といいますから、本殿が

出来た約200年後に完成しています。

切妻造りで、屋根は本殿同様、檜皮葺です。

 

 

 

そしてさらに時代は過ぎ明治13年(1880)に、

この拝殿のために有栖川宮熾仁親王が扁額の

書を寄せられました。

 

 

 

元々住吉の大神は、イザナギノミコトが黄泉の国

から帰って、穢れを清められた時に出現された

神だそうです。

仲哀天皇の9年(200)に神功皇后が三韓征伐さ

れた時に再びその大神が現れ

「吾和魂(わがにぎみたま)は玉身(みみ)の

寿命(みいの血)を守り、荒魂は軍船を導かん」

とご教示がありました。

その神助により交戦することなく戦勝し、皇后は

この地に祠を建てて、住吉大神の荒魂をお祀り

されたのが、住吉神社の起こりです。

 

なので、扁額の文字は、「住吉荒魂本宮」です。

そして、扁額に署名があるのも珍しいそう。

普通は、書を書いた人の名は、扁額の裏に

記載するものだとか。

 

神功皇后といえば、武内宿禰(たけのうち

すくね)も忘れてはならない人物です。

このお宮の中には、御神木として武内宿禰の

お手植えの楠という大木があるのです。

 

 

 

 

どうでしょう、この迫力。

この辺りは本当にパワースポットで、お参りに

来るたびこちらでも手を合わさせていただきます。

 

360歳まで生きた、という武内宿禰ですから

やはり不老長寿のご利益がありそうです。

樹齢は不明。でも、他の地にある樹齢2000年

と変わらない風格だそうです。

楠の自生の北限は福岡市あたりまでだそうで

そうすると、やはりこれはお手植えなんで

しょうか。

武内宿禰、この人も下関ゆかりの人物で、

また別の回でご紹介しますね。