帰ってきてからネット検索したところ、

母の病状の5年生存率は「12%」と表示されました。

母の入院と父の介護、そして育児。

私は混乱しすぎて、逆に何も考えられない、そんな状態になりました。

 

 

 

   

 

 

 

面談室の前に行くと、車椅子に座った母が廊下で待っていた。

「え、車椅子…?!」と一瞬狼狽えたが、マスクしているから見えなかっただろう。平然を装う。

 

ゲン「おう!ようやく会えたな!」←昨日入院したばかりなんだが…

 

キミエ「あぁごめんね、急でね」

 

アキ「大丈夫だよ」

 

キミエ「モモは?ユイチ仕事休めた?」

 

アキ「お義母さんが来てくれたから大丈夫だよ」

 

キミエ「そっか…お義母さんに心配も迷惑もかけちゃって申し訳ないね。そうそう、痛くなったらつらいだろうから念のため車椅子で行きましょうって言われてさ、コレ。歩けるから心配しないでね」

 

アキ「それならよかった」

 

こんなときでも、私の脳内は母に全部筒抜けだった(笑)

 

 

 

こんな会話をしていたら、不信感でいっぱいだったA先生が現れ、3人で面談室に入った。

 

A4用紙が何枚もテーブルに置いてあるが、私のところから字は見えない。

並んで2人しか座れなかったので、前に両親、後列に私が座って両親の間からのぞき込む形となった。

 

A先生からの説明の概要はこうだった。

・診断名は食道癌ステージⅣB

・多発肺転移、多発リンパ節転移

・リンパ節転移による水腎症あり

・全身化学療法(抗がん剤)。オプジーボとヤーボイ。

・現在の医療では細胞レベルで癌を消滅させる薬はない。進行を抑えて症状を和らげる。

・抗がん剤は3週間に1週間の入院、6クールまでを予定

・こんな副作用が出る可能性がある…

 

 

「ステージ4…」

冒頭の診断名に対して私が発した最初のつぶやきを拾って、A先生はこう続けた。

「ステージ4は末期ではありません。末期ではないですので、ね。」

2回繰り返したのが記憶に残っている。

 

 

一通りの説明を終えるまで、母はずっと黙って紙を見つめ、父は時折手帳に何かをメモをしていた。

 

医師「このあと午後から早速抗がん剤を始めます。体に合えば通常の生活が送れるくらい、症状は和らぐと思います」

 

アキ「通常の生活って?ここ2ヶ月以上、うずくまって痛みに耐える生活しかしていませんでした。通常って、、、」

 

医師「もちろんコロナはあるので人混みは避けていただきたいですが、買い物に出かけたり、ご飯を食べたり、という普通の生活です」

 

そして、

「これで私からの説明は以上ですが、現時点で何か質問はありますか?もちろん抗がん剤を始めてから何かあればいつでも聞いてください」

と母に向かって言った。

 

 

そこで、ようやく母が口を開いた。

 

キミエ「副作用にあった脱毛・・・これはどのくらい?」

 

アキ(え?そこ?(笑))←母の美意識の高さはさすがだ。

 

医師「個人差があるので一概には言えませんが、急に一気に、というのは少ないと思います」

 

キミエ「そうですか・・・。あと、、、、生存率は、、、3年とか、、、」

 

医師「食道がんステージⅣBの場合は、3年生存されたらその後もずっと、の方が大半ですよ」

 

え、、ということは3年が、、、これを聞いて初めて、涙があふれた。

マスクをしていたし、母は前列にいたので気がついていないだろう。

母は、口を閉ざしたままだった。

 

 

医師「キミエさん、車椅子で戻られますか?」

キミエ「歩いて戻れます」

 

時計を見たら1時間15分。あっという間だったが、長かった。

父はどこまでわかっているのか、「よろしくお願いします!」と大きく挨拶をし、深々と頭を下げて退室した。

 

 

「モモが幼稚園入るまで生きられないのか」

面談室を出た直後。私だけに聞こえる、かすかなつぶやき。

その声が、まだ今でも、耳から離れない。

 

 

「育児が趣味だから♪」と冗談交じりでよく笑っていた母。

孫育てを楽しむはずの老後がこんなに簡単に奪われてしまうなんて。。。

 

 

そんな悲しみに浸る間もわずかで、父の言葉に一瞬で現実に戻される。

 

ゲン「じゃ、車回してくるから座ってて!」

 

アキ「何言ってんの、お母さんこれから入院するんだよ」

 

ゲン「え、今日帰らないの?」

 

アキ「先生の話、聞いてた?(呆)」

 

キミエ「じゃ、私戻るわ!」

 

ゲン「え・・・あ、おぅ!またすぐ会いに来るからな!」

 

 

母の病状も、面会できないことも、記憶ができない父。

そんな父を私は、可哀想だな、と思っていたのだが、本当は、幸せだったのかもしれない。

うらやましいな、とさえ思うときもあった。

 

 

 

「どこか寄っていくか?」

「帰るよ。モモが待ってる」

 

車に乗り込み、まず私の頭に浮かんだのは

「仕事、復帰できないな…お母さんの側にいたい」だった。

 

 

そして、こんな日にも、夜のルーティーンはもちろんやってくる。

 

 

 

  

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