体重も20キロ近く減り、強い痛み止めを服用し、
笑って過ごす母を見る時間が少なくなるにつれ、
私はどんどんネガティブになっていきました。
この辺りの時期は検査が続きすぎて、正直、何の科で何の検査をしたのか憶も記録も曖昧です。
検査結果の説明等が正確ではないことをご了承ください。
PET検査の結果が分かる日。
母の体調が優れないこともあり、これ以降母の通院には私が付き添うことにした。
父は車で送迎のみ。
夫には仕事を休んでもらって娘を見てもらい、父の様子も見てもらうことになった。
その日、消化器内科の外来担当の若い医師はこう言った。
「腫瘍マーカーで食道周辺にがんの疑いがあるという結果が出た」
「過去の乳がんと関連があるのかを調べている」
「複数の科をまたいで何度もカンファレンスをしている」
「結果が出るまでもう少し待ってほしい」
母は黙っている。
「もう少し」
今まで何度耳にしたのか…私は単刀直入に聞いた。
「こんなに検査が続いて時間も体力も奪われて、その間に進行するということはないんでしょうか」
すると、こう返ってきた。
「時間がかかって本当に申し訳ない」
「1、2週間で急激に進むということはない」
「来週にはカンファの結果が出るから、また来週」
全く感じ悪くはなかった。
とても丁寧に、私と母の目を順番に見て、本当に申し訳なさそうなトーンで。
ただ、「申し訳ない・・・それだけか」
そう思ったのをよく覚えている。
その日は、胃カメラもして母はへとへとになって帰宅した。
この頃から母の体の痛みはロキソニンではおさまらなくなっており、
さらに強い鎮痛剤を服用するようになっていた。
医師はそれを「麻薬」と呼んでいた。
医療用麻薬。
それがどのくらい体に負担がかかるのか、私は不安だったが
母は息を引き取るその日まで、この医療用麻薬と付き合うこととなる。
そして、そのまた翌週も明確な説明は得られなかった。
「今のところ複数箇所に見られる癌が、扁平上皮癌と腺癌という別の種類の癌だという結果になっている」
「普通は同じ種類であるはずというのが医師の見解」
「本当に別の種類の癌なのか、もし別だった場合はどの治療薬が適切なのか、カンファレンスで検討中」
・・・素人の私には縁遠い言葉ばかりで、そんな内容だった気がする(超曖昧)。
「必ず来週には治療方針が決まる」
その言葉で医師の説明は締めくくられた。
ここで母は口を開いた。
キミエ「もし腫瘍内科になるなら、X先生。腫瘍内科のX先生に診てほしい」
医師「X先生。お知り合いですか?」
キミエ「夫が5年前に食道がんで手術しています。そのときからとてもお世話になっていて、私のこともよくご存知かと」
医師「そうでしたか。X先生も何度もカンファに出席しているのでキミエさんの症状は、ご存知です。担当の件は相談してみますね」
母が「会うだけで元気になるの、大ファンなんだ」と5年前から信頼していた医師だ。
しかも教授だ。もちろん実績もある。
「こんなに待たせたんだ。担当医師くらい(表現悪いですね)、希望を通して」
そう思った。
このころ、娘は生後100日を迎えていた。
一般的にはお宮参りやお食い初めをする。
初節句のときもそうだったが、(娘には申し訳ないが)やはりそれどころではない。
とてもではないが、長時間の外出・外食は、今の母にはハードルが高すぎた。
義父母は「お祝い事だからお母様が元気になってからにしよう」「まだ寒いし!あったかくなってからの方がいいよ」と言ってくださった。
私を気遣って、負担にならないようにこう言ってくださったんだろう。
義父母にはいまだに頭が上がらない。
若い頃は日本舞踊をしていた母。着物が大好きな母。
趣味は育児と公言し、私を育てることが生きがいの母。
孫育てを誰より楽しみにしていたのに。
着物着て、きれいにして、お宮参り楽しみたいだろうな。
でも、叶わないのかな。
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