本当は優しい穏やかな父。
私の前では声を荒げたり、夫婦喧嘩も見せなかった父。
認知症という病気が、不安を大きくし、怒りっぽくさせる。
冷静なときは理解できます。冷静なときは、ね。
検査をしてから2週間。
母の血液内科での2泊3日の検査入院が決定した。
痛みが出始めてからすでに約2ヶ月(3月下旬になっていた)。
食べることもままならなくなっていた母は、体重が10キロ以上減り肥満体形だった外見も、むしろやせ型に変わった。
母と私の頭には、血液内科=悪性リンパ腫としか浮かんでいなかった。
もちろん父は、相変わらず体調不良を覚えていられず
そんな大事になっているなんて分かっていなかった。
そして、検査入院2日目の朝。
朝7時過ぎにガチャっと玄関を開ける音がし、寝かしつけたばかりの娘が起きた。
「お父さん、もっと静かに出られないのかな」
いつものことだ。
私はイラっとしながら、また寝かしつけをしなくてはならない。
母がいなくて暇を持て余し、庭いじりしてるのだと思っていたが1時間経っても戻ってこない。
ん?ちょっと長いな。
窓から「おとーさーん」と呼んでみたが返事がない。
ま、いっか。そう思ってごろごろしていたら
2時間ほどして帰ってきた。
アキ「どこ行ってたの?」
ゲン「ん、ちょっと散歩」
アキ「ずいぶん長かったね。どこまで?」
ゲン「そこらへんと、キミエのとこ」
アキ「え?!病院?なんで!」
ゲン「いや、起きたらいなかったからさ」
アキ「明日まで入院でしょ」
ゲン「わかってるよ。ちょっと行ってみただけだよ」
アキ「なんで行くのよ。面会できないって言ったでしょ」
ゲン「そんなの行ってみないとわからないじゃないか!」
アキ「わかるよ!書いてあるでしょ」
ゲン「変わってるかもしれないじゃないか!」
父は5年前に食道がんを患い、勝手知ったる病院。
父は当時、しょっちゅう母を呼び出して、
母は1日2回以上×毎日父の病院に通っていた。
でもその頃とは情勢が違う。
コロナ禍で面会はできず、荷物の受け渡しもスタッフを通してのみ。
それが書かれた紙を家中に貼っても、信じない。
この日も受付で面会したいと言い、断られたという。
その受付スタッフの名前が書かれたメモがポケットに入っていた。
母からは『看護師さんからご主人様が来たって言われた』
『面倒だから行こうとしてたら止めてね』とLINEが来た。
結局、父とこのやりとりをこの1日だけで5回繰り返した。
さっき自分が行ったことも、受付で聞いたことも、メモをしたことも忘れる。
しまいには「仕方ないだろ、認知症なんだから」と。
私は娘が寝ているときは、ひたすら小さな声で繰り返す。
父が大きな声で返事するたびに、
「いま寝てるから!」「あ、ごめんごめん」と。
そして、この病院阻止のやりとりは
母が亡くなるまでの間ずっと続けることになる。
(言葉を理解できない娘でさえ、聞き飽きるくらいに繰り返したと思う(笑))
産後の痛みもだいぶ減り、春が近づいて暖かくなった頃というのもあり、
母か夫が家にいる日(父を1人残してはいけない…)には
私の気分転換は、娘を連れて散歩することだった。
初めての予防接種、
初めてのベビーカーデビューで公園デビュー、
初めてのワンオペお風呂、
初めての電車、
初めての絵本、
産後初めての外食。
この頃もまだ頻回授乳で、夜中も2,3時間おきに起きて
慢性的な睡眠不足が続いていた。
でも、娘と一緒に過ごすことで、
認知症の父と痛みに耐え続ける母のことを考えることから
少しでも離れる口実にしてたのかもしれない。
その後もずっと、
娘がいることにより大変なことがたくさんあったけど
娘に救われた部分ももちろんある。
もっと0歳育児を満喫したかった、とも思ってしまうが。
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