こんにちは、たまこです。


前回、恥ずかしながら夫に「おはよう」が言えなかったお話をしましたが、、



今回はその続きで、そんなたまこがどうやって「おはよう」が言えるようになったかのお話をしたいと思います。


ところで、先日たまこ母の79歳の誕生日だったので電話したのですが、誕生日だろうがなんだろうが、母親の話のほとんどは父親に対する愚痴と決まっています(笑)。

でも今回の愚痴は、たまこ母もたまこが夫に対して抱えていた思いとほとんど同じような事を言っているなぁと気付いてしまったんです。


つまり母いわく、

「お父さんはお母さんが家事をするのも、お父さんの身の回りの世話をする事も当たり前だと思っている。

男というだけで本当にずるいし、当たり前だと思っている事すら無自覚だから、余計に腹が立つ。

だけど今さら、どうすることもできない、、」と。


たまこ父は典型的な昭和の男で、家の事を女がやるのは当たり前だし、もし妻が家事をボイコットなどしようものなら、拳を振り上げて威嚇してでもやらせようとするタイプです。

実際暴力を振るう訳ではありませんが、大声を出したり物に当たり散らすのはしょっちゅうで、たまこ母の体調が悪くても家事はやるのが女のつとめだと平気で言うような人です。


当然たまこは父親が大嫌いでしたし、そんな父に文句を言いつつも結局は言いなりになっている母親も嫌いでした。

だから、家事イコール家族の召使い、みたいな極端にネガティブなイメージを持ってしまいましたし、自分は結婚しても絶対母親みたいな妻にはなりたくない、と思っていたはずなのに、、結局は母親と同じ思いを抱えて生きていた(今は過去形になりましたけど)自分に気付いて、愕然とする思いでした。


それにしても、久しぶりに「ずるい」という言葉を聞いたような気がしましたけど、、「男はずるい」という母親の言葉こそが、たまこの心の奥に封印していた気持ちを言い表すのに妙にフィットするなぁと感じたんですよね。


でも、「ずるい」って言葉は大人になったらあまり使わないですよね。

例えば子どもが「お姉ちゃんばっかり〇〇買ってもらってずるい!」とか言うイメージです(例えば、です 笑)。

つまり、不公平だと感じた時に言う言葉だと思うのですが、本当はお姉ちゃんの方も何かを我慢している時もあるわけで、そういう事情が子どもはわからないから目先の不公平感に「ずるい」と言うしかできないんだと思います。

だから、大人になったら本当に「ずるい事」はあまり存在しないと理解できるから、使わなくなる、、という事かなと。


たまに、大人になっても「ずるい」が口癖みたいな人を見かけますけど、そういう人はやっぱり子供っぽいなと感じてしまいますね。

それで余計に「ずるいと言う事、思う事は良くない事だ」というすり込みが強化されてしまったのかな、と思ったりします。


でも、大人になっても強烈に不公平を感じる事があって、それが女性にとっての「性別による役割分担」、、つまり、男は仕事、女は家事育児。ってやつです。

しかも現代ではそれに加えて女性も仕事をするようになり、それなのに家事負担は今まで通りときたら、不公平を感じるのは当たり前かなと(たまこ家は子供がいないので、家事だけですけどね)。


今は男性も家事育児をするようになったし、不公平感は解消されてきているはずだ、、と言う意見もありますが、果たして本当にそうでしょうか。


もちろんそういうご家庭もたくさんあるとは思いますが、たまこの正直な実感としては、たまこ夫は決して父親のような暴君ではないし、言えば不器用なりにやろうとしてくれる事が多いですが、、あくまでも「言われたらやる」のスタンスで、自主的に率先してやる訳ではありませんし、それこそ隙あらば逃げようとしてるのが見え見えです(笑)。

そんな態度が、たまこは「ずるい」と感じます。


それから、昔から「夫の方が年収が多いんだから、少ない方が家事負担を多くするのは当たり前」という意見がありますが、これにもたまこは強烈に違和感を持っています。


労働の価値をお金で換算するのは、社会の仕組みとして仕方の無い事ですが、例えば勤務医と開業医を比べると、年収に開きが出る結果になりそうですが、だからと言ってどちらかがサボっているとか、能力が劣っているとかの訳がないという事は誰でも理解できるはずです(例えが下手なのはお許しください)。


同じ職種じゃなくても、年収が高い方が低い人より優っていると考えるのは相当浅はかな事だと大人ならわかるはずなのに、なぜ家庭内では年収の低い方が家事の量でカバーしなければならないという考えがまかり通るのでしょうか。

ですから、本来家事と仕事は全くの別物として考えなければならないものである、、とたまこは考えています。


まあ、たまこ家の場合、夫はそこまで考えた事がないだけで、今後も家事労働について真剣に考える必要もないと思っているから、たまこの思いとはずっとすれ違っているという事なんだと思います。


たまこが夫の言葉で一番腹が立つのは、「家の事なんて暇な人が暇な時にやればいい」的な言い方をする時です。

これ、ちょいちょい全く悪気なく、何も考えずにポロっと言うんですよね。


その度にたまこは、それは違うよね。だって、たまこも仕事してた時、忙しいし面倒くさいと言って家事をやらなかったら、汚部屋になったじゃん。仕事してようがしてまいが、誰かが家事をしないと暮らせないのはあの時わかったはずだよね?と反論するのですが、、。


(家事がラクになる動線を考えて、実際に整えるのは暇つぶしにはできませんよっ、、と。)


夫はその時は黙るのですが、また時間がたつと同じような事を言うというのは、夫の価値観が何も変わっていないからという事なんだと思います。

つまり、家事は女のやる事とは言わないが、少なくとも俺の仕事ではない、、という考えが価値観として強烈に刷り込まれ過ぎていて、もはや意識にも上がらないほど当たり前のことになってしまっているという事かなと。


まさかその価値観こそがたまこのイライラ、不機嫌の根本的理由になっているとは夢にも思っていないでしょうし、説明してもおそらく本質的には理解できないのでは、、?と思っています。

それほどまでに、価値観を疑うというのは難しい事なんですよね。


ただ、それはそのままたまこ自身の話でもある訳です。

いくら自分の考えの正当性を主張しても、現実問題として不公平感が解消されなければ、何も変わりません。

このままでは、間違いなくたまこ母と同じ道をたどる事になります。

つまり、夫はずるいと言いながらも、どうする事もできないと嘆きながら一生を終えるだろう、、という事。

少なくともこの考え方では、絶対に夫に笑顔で「おはよう」を言える日は来ない(笑)。


(本文とは関係ないですが、寝室の窓辺です、、)


だから、何度もくじけながらもたまこは一生懸命考えました。

たまこは自分の考え方、価値観の方が正しいと思ってるけど、正しいならこの現実は何だ?

この現実が嫌だと思うなら、たまこの考え方や価値観が間違っているという証拠じゃないのか?

多分、、全部が間違いじゃなくて、どこかに間違いポイントがあるはずだ。

だから数式を解くように、途中までは上手くいくけど、その間違っている箇所から下は全部間違いになって、変な方向へ行ってしまうという感じじゃないのかな?というふうに。


そこで出てきたのが、冒頭のたまこ母の言葉です。

「家事は女がやるものと決めつけて当たり前だと思っている男はずるい。

だけど、その状況を自分はどうする事もできない、、」


これ、一見するとそうかなと思わせるような、感情に訴える力がある言葉に思えますけど、客観的に見れば間違ってるとすぐにわかりますよね(笑)。


まず、その状況はどうする事もできない、というのが間違いです。

ずるいヤツだと思っていながら、言うなりになってる方も悪いですから、ずるいと思ったら大人ならちゃんと話し合えばいいのです。

それでも歩み寄れないと思ったら、別れるという選択肢もあります。


それから、「男はずるい」も間違いだと思います(笑)。

前にも述べた通り、ずるいという言葉は物事を自分の目線からでしか考えられない、幼稚な人がよく使う言葉です。

女が男はずるいと言うのなら、おそらく男も女はずるいと思っている部分はある、、という事です。

一面的な見方をすれば、そこに男も女も関係なくて、あるとするなら「自分から見た損得」だけなんだと思います。

つまり、何かにつけて自分ばかりが不利益を被っていると感じてしまうなら、相当視野が狭くなっている証拠で、「ずるい」という言葉が出たらほぼ確定かなと。


要するに、男ばかりがずるいと思うのは間違いだし、本当にずるいと思っていて、話し合いの余地が無ければ別れれば良い。となります。

でも、たまこ母はなんだかんだと理由をつけて、決して父親と別れる事はないでしょう。

それは、たまこ母自身のずるさという事になって、ずるいのはお互いさまであるという事を見事に証明しています。


このように、自分事だとひどく複雑で出口がない迷路のように思われる悩みでも、父親と母親の事だと思って考えると、全く単純明快な話だと思えるんですね。

それを自分に都合の良いように、有利になるように話を無理矢理書き換えようとするから、やたら複雑な言い方になってしまうだけなんだと思います。

そして、その書き換えは自分ですら気付いてない場合が多いんだろうなと。


たまこも今回、母親と同じ考え方で自分を被害者に仕立て上げて、正当化しようとしている事に気づいた訳ですが、やはり全く自覚してなかったです。

でも気付いてみると、たまこの数式はやっぱり間違いポイントがあって、そこからの後の式が全部間違っていたって感じだったんだ、、と思いました。

だったら、その間違いを訂正して、後の数式をきちんと書き直せば正解になるはずです。


そして答えは、「笑顔でおはようと言える毎日になること」。

この答えにならなければ、いくら立派な数式に見えてもどこかが間違っているという事になります。


(お気に入りのキッチンの風景です)


ごめんなさい、またしても非常に長い記事になってしまいましたので、次回続きを書いておしまいにしたいと思います。

良かったら、また次回も見に来てくださいね。


ではまた!