ああ

1年前に

11年暮らした部屋(田無フロム西東京)から
引っ越しをしたのだった(相模が丘フロム神奈川)に。

次の日に
とても大きな地震が来た。


いまは
べつの町に
住んでいる。


1年。



明日は
どうにも仕事だ。

黙祷できるといいな。

できない可能性も高い。

その場で
目をつむるしかあるまい。

そとで車椅子を
押している最中だったならば

心の眼、
あるいは第三のeyeを
つむることとしよう。

夜に昼寝したから朝が遠いけれど

めがねを外して
部屋でひとり
踊るとしようじゃないか?


さっきの
昼寝には
猫のクロが
出てきましたよ。


なんという
幸運だろう。



蛍光灯の灯りを落とし

ラジカセに電気を通して

内部に発光と発酵を滲ませながら
踊ろうぜ。


きっとだぜ。









調子
おかしいんだねぇ。

異様なほどに
イライラしやすいコンディションは
まだ
続いてるみたいだなあ。

やーね。


ほがらかなときも
ありますけどね。

なんか
強烈に
ほうっておいてほしいみたいだなあ。


近づいてほしくないのかねぇ。

寂しさもあるんだけども

圧倒的に
そっとしといてほしいのかなあ。

まあ
いいさ

傷に罪はないさ

きっとそうさ


ふー

半年ぐらいまえに

猫のしっぽが切れて
むりやりつなぐ夢を
見たのだったねえ。

痛々しい夢だった。
まあ

(引き続きですが)
最近は

マイ・ブラッディ・バレンタインさんと
ゆらゆら帝国さんの

あいだ(ってこともないけど)
と言えなくもない
美しいバンド

ヨ・ラ・テンゴさん

ツーンとなります。
一時、ベースのジェームスさんが加入して以降の
アルバムは全部家にあったのだけれどもいずれも
財布がプアーな日々に売っぱらっていたのですね。

なぜならヨ・ラ・テンゴはキャリアも評価もあるバンドなので、レコード屋を探せばまた出会えるのがわかっていたの。

と。


売ってしまったら
二度と聴けなくなったりするかもしれん音源を手元に残すようにするのですわたし。

ヨ・ラ・テンゴさん
買い戻しています。

あと

やはり
思春期の
半引きこもりの
自部屋で

耳元のシェルターとしてずっと
音源ってものがあったので

今現在の
だいぶクレイジーに音源を呼び戻す
探しまくる
この心情って

まあ
愛の代用っていうか
むしろ
音源ってものが愛そのもの(猫も愛ですよそれは。)
なのかもしれませんな、こういう日々には。

そうね。

仕事中に破綻しないために
仕事以外のあいだは
全力でひたひたのシェルターで
傷口をふさぐかのごとく。


なおるかどうかなんてわかんないよね。

収束宣言なんて
するわけがない。


いろいろ
うんざりしているからこそ
『うんざり』なんて言いたくないんです。

言いたくないんです。


春は
粉で
涙がでるものだ。


やーね!








順不同なんですけども。

今年はほんとうに

聴きたくなったものを
とめどなく
あてどなく聴いています。

新しく踏み出して聴くものが
ずいぶん多いです。

貯金を切り崩しながらも聴いていますねぇ。

身を削ってるというか。


しかし

ギターは
いよいよ
気に入っていて

部屋にいて
それを見るたびに
『いいなあ』
と思います。

このギターに
見合う人にならなくては!

とか
思う。

思うですよ。

はい。

幸運でした。

ギターは
通常の
フェンダー・ジャズマスターのうち

ボディーの色とラメの感じ、
ブリッジのパーツ、
フレットの太さ、
ピックガードが初期のジャズマスターのタイプ、
ネックの手触りがサラサラしてる、
などの
変更点があります。
いわゆるシグネイチャー・モデルというやつで
ダイナソーJr.
のJマスキス という人の
仕様を施したギターなのでして。

(シグネイチャーモデルってのはちょっと恥ずかしいかんじがするんです。)

Jマスキスに憧れてこのギターにしたわけではなくって。

しかし
ダイナソーJr.は
好きなバンドでも
あるので全然
問題ないのだけれども。

それでギターを買うちょっと前に
ダイナソーJr.のCD(何枚かは売ったりしていて、家に残ってたのは3枚ほど)を、改めて聴いておこうと、ここ数年で再結成して作ったアルバムも含めて4枚くらい買って買い直して聴いてみたらば
最近のやつも
全然良くって
笑っちゃうほどでした。

ダイナソーJr.を
聴いていた流れで
ヨラテンゴの(「シュガーキューブ」が入ってるやつ)アルバムも買い直したり、
そうしてるうちに
家にあるマイ・ブラッディー・ヴァレンタインの『ラブレス』とそのまえのやつも
異様に耳に心地良かったりして、
そういうのがもっと聴きたくなって

シューゲイザーのディスクガイドを図書館で借りてずぶずぶと読み、ペイル・セインツやらラッシュやらライドやらスロウ・ダイヴの名盤を中古で買い求めました。

うむ。

あと山本精一さんの『ラプソディア』や『プレイグラウンド』が良くてびびり、
フアナ・モリーナさん(アルゼンチンのかた)も良くて4つアルバムを求めましたし、

あとは
あいかわらず、
ホープ・サンドヴァル(もしくはマジースター)のけだるい歌を
聴きたい夜の確率が非常に高くなっていて、
それがじわじわ大きくなっている気がしていて

でも
ホープ・サンドヴァルの歌のアルバムはそんなに多いわけではなく

(デス・イン・ヴェガスのアルバムに2曲参加しててそれは安く見つかりました)

なんというか
もっと
トロトロとした音楽が
聴きたい気がして、

マイ・ブラッディー・ヴァレンタインの流れで
ソフィア・コッポラの
『ロストイントランスレーション』のサントラを聴いたり、
むかし
買ってすぐ
ろくに読めなくて(読む気がしなくて)手放した
『サイケデリック音楽』
のディスクガイドを
図書館で借りてきて(図書館にあるんだよなあ)、

今度はずぶずぶと読むことができて、
おかげであやしいサイケのCDも数枚中古で探し、

夜にゆらゆら帝国のベスト盤を流してみたらば

今までで一番しっくり耳に入ってきて

あまりに気づいてなかったぶんの良さ の 大きさに ちょっと身震いしました。
『空洞でした』よりも前の ゆらゆら帝国はちょっと怖かったんですよ。

わたしは
ずっと
『シンプルなのにめちゃくちゃいい』
みたいなのが
優先事項にいつもありまして、

ゆらゆら帝国、もしくは坂本慎太郎さんは、すげぇよい歌を書ける巨大な才能だな と思っていたのですが、

ここに来て
急に
ベスト盤にずらっと並ぶ
曲たちの

けむりがもわーんと出そうだったり

液体がじわーんと
滲み出てきそうだったり

幽霊みたいに
すわわーんと
足が薄くなり消えかけていそうな

そういうのが

しっくりきて

これ、
ポーズとかフックじゃなくて

ああ、この感覚が必要なんだな!

って

しっくり。

サイケデリックの感覚を
自分のなかの空き地が
欲しがってる気配をかんじて、

いままで距離を置いていたゆらゆら帝国の初期から中期あたりの音源をいっぺんに聞き直したりしました。

やー

すごい良かったです。

熱の激しさとは違う激しさがあるんだなあ。

数年前くらいから
その
ホープ・サンドヴァルもそうだけど
ディアハンターの『マイクロキャッスル』あたりが
すごく気になりまくってしまうのが
不思議だったんですが、

そうか

あれは

サイケデリックの芽生えだったんだなあ
などと
うなづいたりしています。

とはいえ

サイケデリックのなかでも

けだるさや
やはり
どこか上品めな風合いが
好きなのは
変わらないようです。

ゆらゆら帝国(とか坂本さん)だって いくら下ネタを歌っていても
ちょっと
なぜか
どこか
品がいいと思いますもの。


と。


はい。

こういう
バンド名とか固有名詞がやたら出てくる
不毛な情報を
ずっと書きたいような書けないようなかんじでいたのでしたよ。

わたしは

今日のところは
なにも勧めないです。