さてー。

紙に書いて

たしかに手紙のように
始めたのですけども、

案の定、
途中から下書き原稿をすっ飛ばしたりはみ出したり超えたりするような具合になりましたけども。

やっぱり
脳みそ、疲れましたよ。

そう。

基本的に
脳みその容量がね
少ないですよ
キャパが狭いですよ。

まあ
眠っている間に
潜在的能力かなにかで
思考を整理してくれるよう脳に促す日々ですよそんなことないか。


ええと。


まだ
頭を切り換えてしまわずに

ここまでの
しんどい認識の
先に

もうすこし書けることが
あると思っているわけなのです。


ぐずぐずしたいだけなのかしら?


そう…かも

ぐずぐずしたい。


(なにかが
引っかかって
気がついて)

暴いてしまったそのあとで

どう過ごしたらいいのかわからないかんじ。












「世界はアウェイだ」

口に出してみると
なかなかに寒々しい言葉なのだけれど。

わたしの

「アンテナの過敏さ」と
「キャパの狭さ」と
「プライドの高さ」が
三位一体になったかのような

いろんなことを恥ずかしく思う
この『繊細さ』は、

どうにも
直したり治したり
できなくてね
(今のところ)
できなくてねぇ。

そんな繊細さは
自分でも疲れるわけです。

あれですよ?

普段
その『過剰に人を気にして恥ずかしがったりするモード』

作動しないようにね、
自分でコントロールできるように気をつけて暮らしているんです。

こんなわたしでも
いちおう
なんとか
正気を保って
世の中で働いてるってわけですなあ。

そりゃあ
ときには激しく
「もー、ほっといておくれ」
という気分にもなるってなもんですよ。
(まあ、それは誰しも、そうかもしれないですね)

外の世界はアウェイ。

わたしが自分で
クラクラしちゃうのが
『ホーム』が
どこにもないかもしれない感覚です。


おじいちゃんもおばあちゃんもいないし、
従兄弟ともつながっていないし、
兄弟もいないし、
母も亡くなっているし、
父とはわりと仲良くしているけれど

現在ひとりで父が暮らす実家、
やっぱり、わたし
父とは今でも暮らせない感覚がはっきり…あるんだよなあ。

そうね。

こわいですよ。


これが延々続くのかしら?

(わからないよね)

かつてわたしを
散々苦しめた反面教師だったはずの父と
さして変わらぬ壊れ方、歪み方を
引き継いだだけなんじゃないか
と思うと
こわいですよ。


ええ。


だからこそ
彼女と別れたり

何かを台無しにして

ひとりに戻るとき

(お馴染みの地面に叩きつけられるその時)

その

暗い場所で

今よりすこしでもましな生き物になるための切れ端を
いつも探すんだよね。

すべてに
うんざりして
心もろくに動かず
眠りこけるばかりの日々にも
その濁って見えない目の片隅で
切れ端を探してるんじゃないかなあ。


さて

今は

いつだろう?


どんな

場所だろう?


ここは。













整理したい。


仮説です。

この自我の
はじまりの
子供時代から

ざっと
(荒く)
掬いあげてみますね。

わたしは
お父さんが嫌いでね。

こわい、というか、
ネガティブな
文句とか不満ばかりを
家で言うから

お母さんは自信もボロボロで
体調もおかしくなって

子供のころ
いつも不機嫌に家に帰ってくるお父さんから
お母さんをかばったりする必要がありましたです。

一人っ子でしたよ。

まあ
よくある話なのだろうとおもいます。


さてこれは
仮説ですからね

(ずーっと自分では気がつかなかったのだけれど)
わたしはプライドが高いようなのでした。

しかし自信がない子なのにプライドはしっかりあるというのが自分でもよくわからないのだけどもさ。
(別ものなのかな?)
(別ものだよね)


まあとにかく

自分の家のなかで

空気を読んで(不機嫌さを察して)暮らすくせがついたのだと思います。

家族の安心を味わうまえに、
アンテナを伸ばして危機を回避することを
その家のなかでしていました。

幼稚園に行くようになって、さっそく人がこわくなった記憶。
『子供』がわからないのです。

それまで
『お父さんの機嫌』を目掛けてアンテナを伸ばしていたわけで、いきなり団体生活、同年代の子供がいっぱいの教室は、もう、キャパシティーを圧倒的に越えていました。
なんかもうその時点でわりと降参なんですけどね?


うーむ

プライド高いから
恥ずかしいと感じるのだろうか?

恥ずかしいのは
苦しいんです。
つらいんです。

緊張?

それもあるけども

単純に

たくさん人がいる場所で
(たとえば授業で当てられたり、などで)
視線が自分に集まる
その瞬間 何かしらの思惑(たとえどうでもいいことでも)が自分に集まる
その状態が
キャパを越えていて
つらいし
こわいのです。

で、
それと『恥ずかしい』という感覚が
一体化してるかもしれないです。

おー!

そうかも!


なんだろう

『恥』が
ほとんど
『恐怖』とおんなじになってるのかな?

現在の
猫山田
たしかに
『恥をかきたくない』という強い感情があるんですけど。

それって
ほとんどが
『人目に晒されたくない』という意味だとおもう。


あのですね。

実は
わたし
お客さんがたくさんいる
食べ物屋さんで
店員を呼んだり
オーダー大きな声で言ったりするのが

すごく苦手です。


見られるのが嫌なんだとおもいます。


自分が仕事として店員として働いてるぶんには大きなかけ声とか出すのも大丈夫ですよ。(店員は注目されたりしないし)

そうか
そうか

今まで
『恥ずかしい』と
思ってたけど
厳密には
違うのかな

自分のキャパを越えちゃうような複数の他人に
不意に注目されるのが
すっごく
苦痛です。

(きっとそもそも人を信用できてないせいもあるのかしら)

うーん。

単純に
何かを間違ったりするの(1対1の場面)は普通に恥ずかしいんですけどもね?
それを
別の人、別の誰かが、複数見てることによって、恥ずかしさは倍増して
『屈辱的』に変化して、ただのでっかい苦痛になるのです。

(あ!核家族、一人っ子の弊害っていう面もあるのかもしれないです)


そんなわけで
わたしのアンテナは今も
『人にどう見られてしまうか/思われてしまうか』
なんてことを
過剰に拾い上げて

猫山田を
息苦しくさせ続けています。


こういうのを
『繊細』

言ってもいいのならば
わたしは
『繊細』なのだと思う。

(そりゃあ外の世界は疲れる場所ってことに、なるよなあ)