「世界はアウェイだ」

口に出してみると
なかなかに寒々しい言葉なのだけれど。

わたしの

「アンテナの過敏さ」と
「キャパの狭さ」と
「プライドの高さ」が
三位一体になったかのような

いろんなことを恥ずかしく思う
この『繊細さ』は、

どうにも
直したり治したり
できなくてね
(今のところ)
できなくてねぇ。

そんな繊細さは
自分でも疲れるわけです。

あれですよ?

普段
その『過剰に人を気にして恥ずかしがったりするモード』

作動しないようにね、
自分でコントロールできるように気をつけて暮らしているんです。

こんなわたしでも
いちおう
なんとか
正気を保って
世の中で働いてるってわけですなあ。

そりゃあ
ときには激しく
「もー、ほっといておくれ」
という気分にもなるってなもんですよ。
(まあ、それは誰しも、そうかもしれないですね)

外の世界はアウェイ。

わたしが自分で
クラクラしちゃうのが
『ホーム』が
どこにもないかもしれない感覚です。


おじいちゃんもおばあちゃんもいないし、
従兄弟ともつながっていないし、
兄弟もいないし、
母も亡くなっているし、
父とはわりと仲良くしているけれど

現在ひとりで父が暮らす実家、
やっぱり、わたし
父とは今でも暮らせない感覚がはっきり…あるんだよなあ。

そうね。

こわいですよ。


これが延々続くのかしら?

(わからないよね)

かつてわたしを
散々苦しめた反面教師だったはずの父と
さして変わらぬ壊れ方、歪み方を
引き継いだだけなんじゃないか
と思うと
こわいですよ。


ええ。


だからこそ
彼女と別れたり

何かを台無しにして

ひとりに戻るとき

(お馴染みの地面に叩きつけられるその時)

その

暗い場所で

今よりすこしでもましな生き物になるための切れ端を
いつも探すんだよね。

すべてに
うんざりして
心もろくに動かず
眠りこけるばかりの日々にも
その濁って見えない目の片隅で
切れ端を探してるんじゃないかなあ。


さて

今は

いつだろう?


どんな

場所だろう?


ここは。