1/2の続き  

 

平成11年(1999)、重文に指定された。 中山館長曰く「1983年、一の沢遺跡発掘調査から重文指定まで16年もかかってる。なんでこんなに年月を要したのかには裏話が。多くの傑作土器を出土した4住と11住は、見ての通りで住居址の半分しか発掘調査されていなかった。これがボトルネックになっていた。なので1996年第9次調査でこの2住居址発掘に特化しこれらを完掘、この3年後に重文指定を成就した。(^-^)v」

 

 

 

 

 

先に記したように中期中葉の環状集落域の住居址ちかくの内側に土坑が集中している。

 

 

(理解の参考)******************************

井戸尻式期は、I式とⅢ式に2細分される。 当初あったⅡ式は、その後の調査研究の結果 I式に吸収された。

******************************

 

 

 

2-2-④ 56号土坑と出土土器;豪華な土器の埋納遺構

  • 11号住居址の西隣に位置。 掘り込みの乎面形は円形 (100cm x 110cm) を呈し、確認面からの深さ60cm程度と推定される。 内部に4個体の土器を埋納したのち、 20cm -30 cm大の石で周縁を囲んだものと思われる。 中央にみられる石も土器の上に乗るかたちであり、 石囲いに用いられたものであったと考えられる。 
  • 土器は、最も大きいもの(重文16)が横倒しとなった状態で潰れ、別個体は、胴下半を下にしており、埋納段階では立てられていた可能性がある(重文17)が、幅60cmを超えるものが2個体あり、土拡スペースを考えると、すべてを立てることは不可能。 あるいは割れた土器を埋納したものであるかもしれない。
  • 土器は土坑の底より10cm~20cm程度浮いた状態で出土している。残存しない有機物などの何かを埋めた後、土器の埋納行為がおこなわれたものと考えられる。

 

 

  • 本56号土坑との類似; 真原A遺跡@北杜市の5号土坑の再葬墓の解釈一例。下図順序で再葬骨を納めた土器が埋納された遺構と考えられる(①4-9-11土器埋葬 → ②2転倒-4&11破損 → ③ 5/6土器安置 → ④ 7安置 → ⑤ 1安置)。 土坑の四隅には柱穴が確認されるため、土坑には上屋がかかっていたものと推測される。

 

 

 

 

 

 

 

重文16;井戸尻 Ⅲ式深鉢; 横倒しの状態で発見。4単位の中空把手(塔状把手)を有する屈折底の大型深鉢。把手部外径(最大径)51cm、胴屈曲部外径(最小径)17.5 cm、器高56cm、底径12cmを測る。 最大径と最小径の差が極端に大きい。 各把手には蛇体装飾がみられ、それが隆帯となって胴部に垂下し、胴部も4分割される。また、最小径部から底部屈折部にかけても文様帯が形成される。 暗褐色を呈し、胎土は精選されている。焼成も良好であるが、把手部は焼成が不良。 なお、内面底部屈折部以下にススが付着。

 

 

 

重文17;井戸尻 Ⅲ式深鉢; 立てられた状態で発見。重文16と同様の器形をもつ大型深鉢。 全体のバランスは重文16に比べて悪く、底部が極端に小さい印象を受ける。 胴上半部の張り出しが、他の同形態のものに比べて非常に強く、また中空把手自体も巨大で、頭でっかちな印象が強い。 口縁屈曲部(肩部)には獣面一対と蛇体装飾一対がみられる。 また、重文16とは違い胴上半の隆帯垂下部は条線で空白部を埋めている。推定最大径63cm、最小径20cm、器高59cm、底径13cmを測る。明 褐色を呈し、胎土は精選され、焼成も良好。やはり底部屈折部以下にススが付着。

 

 

 

重文19;井戸尻 I式深鉢; キャリパー形を呈する深鉢で、底部を欠損している。 4単位の中空把手を有するがすべて欠損している。 しかし、把手間に配される 4 単位の小突起は残存しており、粘土紐貼付による渦巻装飾がみられる。 これから延びる粘土紐は中空把手に続いており、中空把手も渦巻文であったと考えられる。 また、把手からは、胴部に中空の隆起帯がつづき、基本的に胴部も4分割されることとなる。 胴下半は、撚糸文を地文とし、粘土紐の蛇行貼付がみられる。 黄褐色を呈 し胎土は精選でされているが、当地で一般的にみられるものとは質感が違い、文様等からも他地域からの搬入品と考えられる。 おそらく、北関東系大木8a式土器の分布圏外縁部で製作され、当地方ヘ搬入されたものと思われる。 また、単位の大 渦巻把手の存在は、次段階で登場する曽利 I 式大渦巻把手土器との関連を想起させる。 井戸尻Ⅲ式土器自体には、このよう な大渦巻把手を構成する要素は1986年時点のところみられないのである。 焼成は良好で、外面上半部にはスス状の黒色付着物がみられるが、その一部には光沢があり、あるいは黒色塗料を塗布したものであるかもしれない。

 

 

 

重文18;井戸尻 I式円筒形深鉢; 口径13cm、 現存高24cm。 胴部には2本で1単位の沈線が3条巡り、全体としては4段区画となっている。このうち、中間の二段が文様体となり、内部は、三角形状の沈線区画あるいは削り取り区画を異方向に配し、渦巻状沈線とペン先状工具による刺突で埋めている。褐色を呈し、胎土には砂粒を含む。焼成も良好。整形はやや雑で、内面に輪積み痕が残り、磨きも丁寧ではない。なお、内面は黒変している。

 

 

 

 

2-2-⑤ 37・65号土坑と出土土器;

 

 

 

  • 37号土坑が古く、65号土坑が新しいと思われる。この2基の切り合いは断面によっては観察できなかったが、遺物を含めたエレベーショソから37号土坑埋没後、浅く65号土坑が掘り込まれたと思われる。
  • 65号土坑は、楕円形を呈すると思われ、長径120cm、短径110cm程度と推定され、確認面からの深さ60cmを測る。覆土は暗褐色粘質土を主体に焼土粒子、カーボンが混入していた。 遺物は土坑底面にちかい部分から土器上半部が出土しているが、土器を囲むように40cm大の円柱状の石2 個が置かれていた。確認された石は2個だけであるが、90度の角度で接しており、おそらく、石4個を用いて四隅を囲っていたものと思われる。

 

 

 

(左)井戸尻 Ⅲ式深鉢@65号土坑、(中)井戸尻 Ⅲ式深鉢@37号土坑、(右)井戸尻Ⅲ式深鉢@37号土坑

 

 

 

 

重文20;井戸尻 Ⅲ式深鉢 @37号土坑;  平石上部で潰れていた大型の深鉢。屈折底を有し、肩部で屈曲し、再び口縁が外反するという特異な器形をもつ。文様帯は肩部と、胴下半とに分かれる。肩部文様帯は、口縁にかけて4単位の獣面把手が中心 となり、その間に粘土紐をU字状に連続して貼付したもの。把手からは底部の屈折部にかけて隆帯が垂下し、胴部を4分割する。隆帯上には、棒状工具を押しつけての潰しがみられる。 胴下半は隆帯を中心に、その間を条線で埋めるものである。整形 、磨きとも丁寧に行われている。口径40cm、最大径475cm、底径14.5cm、器高53.6cmを測る。内面及び外面上半は黒褐色を呈し、底部屈折部以下は赤褐色を呈しており、火熱によるものと思われる。胎土には小砂粒を多く含み、焼成も良好。

 

 

 

 

重文21;井戸尻 Ⅲ式深鉢 @37号土坑; 4単位の突起を有する屈折底の深鉢。 出土時点では、突起の 1つが破損し、胴部に ヒビが入っている程度で、ほぽ完形。本資料も重文20と同様に文様体が上下に分かれる。低い隆帯の貼付が施文の主要素であり、ヘラ状工具による沈線施文を合わせた渦巻抽象文、楕円文等を描いている。最小径部には隆帯を 1条巡らせ、以下屈折部まで、条線で満たす。口径21cm、最大径32.5 cm、底径12cm、器高36cmを測る。整形、施文など丁寧なつくり。 茶褐色を呈し、胎土は精選されている。焼成も良好であるが、口縁突起部は焼成不十分。

 

 

 

 

井戸尻 Ⅲ式深鉢 (ビックリ土器)@65号土坑; 深鉢上半部のみで、底部は屈折底になると思われる。口縁部には、把手1単位と、対面に小突起を有する。この把手は、動物意匠で、イノシシを表現したとの指適もある。口縁屈曲部に半周だけ該期に一般的な楕円形貼付文がみられるが、対面にはそれが全くない、極めて特異な例。口径18cm、最大径31cm、現存高25cm。褐色を呈し、胎土には砂粒が多い。焼成は良好。

 

**************************

※ ↑は栃木県のビックリ土器。似ている (*゚Д゚*)! (中期中葉の浄法寺類型深鉢 @長者ケ平遺跡 / 栃木県大田原市)

**************************

 

 

 

2-2-⑥ 42号土坑;

 

 

  • 41号土坑と切り合うが、その前後関係は不明。ただ出土土器からは、本土坑が、41号土坑より古い可能性が強い。本土坑を含めた A-22グリッドには井戸尻期を中心に土坑が集中しており、複雑に切り合っている。
  • 42土坑は楕円形を呈し、長径165cm、短径120cm、確認面からの深さ80cmを測る。中央に土坑底面に接するように40cm大の平石2枚が重ねられ、その脇にほぽ完形の土器 1個体が、土坑壁に倒れかかるように覆土内で潰れていた。また、土器の横には10cm~20cm大の石3個が確認された。

 

 

重文1?;井戸尻 I式深鉢@42号土坑; 円筒形を基する大型の深鉢。口縁と胴部に円形の貼り付けがみられ、隆帯によって連結される。それ以外の部分は全面細かい縄文が施されるが、胴上部に2cmほどの幅で器面を削り取った無文帯が存在する。この部分からは、さらに上部に向って鋭角に削り取り部分が延び、結果として上部縄文帯に区画をつくるこ ととなっている。 口径30.5cm、底径11.5cm、器高48.8cmを測る。上半暗褐色、半赤褐色を呈する。 二次焼成によるものであろう。また、上半にはスス状付着物もみられる。胎土には砂粒を含み、焼成も良好。

 

 

 

 

2-2-⑦ 48号土坑;

 

 

 

  • 48号土坑は、長楕円形を呈する土坑で、長径(ほぽ東西)255cm、短径155cm、確認面からの深さ30cmを測る。遺物は、南東隅に集中している。土坑底面に接して30cm大の平石が置かれ、その上部に土器 1個体が潰れていた

 

 

 

有孔鍔付土器@48号土坑; 非常にバランスのとれた樽形を呈し、胴部に一対の獣面突起と一対の蛇体突起を有する。そのため、胴部は4分割され、突起間は U字状あるいは直線の沈線で満たされている。これらの施文は丁寧に行われており、剥離も全くみられない。また鍔の貼り付け、穿孔も良好で、小孔に擦痕はみられない。さらに全面の磨きが非常に丁寧であり、部分 的に光沢もある。口径15cm、最大径(突起間)34.5cm、底径12.2cm、器高33.2cmを測る。推定容量 11ℓ。外面赤褐色を呈するが、内面は全面黒変している。胎土は精選され、焼成も良好。なお、この種の土器にみられる赤色顔料は、本資料には塗布されなかったようである。

 

 

 

 

2-2-⑧ 77号土坑;

 

7号住居址と切り合うが、切り合い関係は不明。楕円形を呈し、長径130cm、短径90cm、確認面からの深さ50cmを測る。本土坑内部からは何の遺物も出土していないが、確認面より10cm浮いて、土拡内にかかる状態で土器1個体が潰れていた。これが、本土坑に伴うものであるとすれば、土坑の端に立てられていた可能性が強い

 

 

 

 

曽利 I式長胴甕 @77号土坑; ロ緑部欠損の深鉢。頸部に粘士紐を直線に3条貼付し、中段には半戟竹管による連続押し引き を施す。胴部にはやはり粘土紐をU字状に3条づつ貼付し、数ケ所を連結している。また、胴部には最大径部まで細い条線を施している。最大径32cm、底径14cm、現存高57cm。暗褐色を呈するが胴下半は明褐色である。胎上には砂粒を含み、とくに雲母が目立つ。焼成良好。 本資料には磨きが全くみられず、内面は整形時のナデがそのままで、外面下半は、ナデも雑。

 

 

 

 

2-2-⑨ 土坑は墓?;

  • 酸性土壌のため遺骨は残らないものの、他縄文中期の環状集落の例などを参考に中期中葉の一の沢遺跡で検出された土坑群を墓壙と考え、土器の出土状況などを↓図のようにイメージした。
 
 
  • 西田遺跡@岩手県紫波町;中期中葉~後葉の環状集落。ムラの中心に広場を設け、その外側に同心円状に墓壙 / 掘立柱建物 / 竪穴住居が配置されている。

 

 

 

 

3. その他の重文土器・他

3-1. 水煙文土器

 

 

 

  • 曽利 I式の水煙文土器の萌芽は前段階の井戸尻Ⅲ式土器に見られる。この水煙文は南東北を代表する大木8a式土器の透かし彫り突起が出発点となっている。

大木8a式深鉢@寺前遺跡 / 福島県(南会津博物館)

 

 

 

井戸尻 Ⅲ式深鉢; 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【番外】

    

    

 

ホウレンソウ2袋で100円! 青梗菜2袋100円♪! ピーマンx2袋も100円♪!!

アウトレット桃1箱 3000円♪!! (^▽^) 糖度は若干落ちるけど( ・ω・)