縄文時代中期中葉「浄法寺類型」の文様に関する覚書(塚本師也 2022, とちぎ埋文)勉強メモ

 

左上;浄法寺類型(湯舟台遺跡遺跡@大田原市)、右上;浄法寺類型(長者ケ平遺跡@大田原市)

下段;浄法寺類型(石生前遺跡遺跡@柳津町 奥会津)

 

 

 

1. 目的

  • 浄法寺類型の突起と主文様の特徴を把握し、浄法寺類型の再定義に資する情報を提供する。
  • 突起や主文様の比較から、地域間の関係やその成立について予察する。
 
 
2. 浄法寺類型の従来の理解

2-1. 海老原(1979)

  • 1976年、栃木県那須郡小川町(現那珂川町)の浄法寺遺跡で、第 18 号土坑」から出土した「口頸部に巨大化した把手と渦巻文をモチーフとし、彫刻的な重弧文や曲線文で文様部分を隙間なく装飾した土器」を「浄法寺タイプ」と命名。

  • 「阿玉台式を伴出しなくなる加曽利 EⅠ式の最初の段階」に位置づけ。
  • 栃木県域を中心に分布。
  • その系譜は在地には辿れず、会津地方との関係が考えられることを示唆(海老原 1980・1981)。
  • 浄法寺タイプの解説(海老原 1981);「彫刻的な弧線文で口頸部文様帯を隙間無く充填した」土器。
 
 
2-2. 塚本 (1997)
  • タイプ =型式」。「浄法寺タイプ」は「型式」の概念には該当しないため、共通する特徴を持ち、他の特徴を持つ土器群と同じ年代、同じ地域で共伴する土器群を意味する「類型」と呼び変えた。
  • 海老原の「浄法寺タイプ」と塚本の「浄法寺類型」はほぼ同じ内容。
  • 浄法寺類型の解説(塚本 1997);
  1. 「器形は、比較的直線的に立ち上がる胴部に、内彎する口頸部が付くキャリパー形を呈す。中空の把手が付くものが殆ど。
  2. 把手の付き方は、ほぼ同規模の把手が4つ付くもの、大きな把手 1つと小さな把手 3 つが付くもの、大きな把手1つと相対する位置に付く中規模な把手とその間に付く小さな把手 2 つによって構成されるもの等がある。
  3. 文様帯は口頸部文様帯と胴部文様帯の 2 帯構成。口頸部文様帯には、基隆帯によって、“S” 字文、単方向の斜行渦巻文、対向斜行渦巻文等のモチーフを配している。そして、基隆帯とほぼ同方向に、肉掘り的な沈線を施して、口頸部文様帯を充填している。更に、最後に残った空白部には、斜位の沈線、沈線による小渦巻文三叉文等を配している。沈線には単沈線と半截竹管による平行沈線 とがある。
  4. 胴部文様帯には、地文として縄文を施している。殆どが 2 段の縄を縦方向に回転施文したもので、 間隔を開けて施文したものが目立つ。地文のみのもの、2 ~ 3 条単位の沈線を懸垂文として交互に垂下させ たもの、さらに、“U” 字状、逆 “U” 字状の沈線を上下に相対するように垂下させたもの等がある。」
浄法寺類型(石生前遺跡@柳津町) 内彎する口頸部が付くキャリパー形。基隆帯による“S” 字文。胴部文様帯に文として縄文を施す。2 ~ 3 条単位の沈線を懸垂文として垂下、さらに、“U” 字状、逆 “U” 字状の沈線を上下に相対するように垂下。
 
 
 
 
2-3. 浄法寺類型の見直し
  • 塚本も海老原も、平縁に中空突起が付く土器を対象としていた。それまで栃木県域で発見されていた、口頸部に彫刻的な沈線を隙間無く充填し、胴部に縄文を施文する土器は、全てその特徴を有していたため、両者ともこのことについては特に明言していない。
  • しかしその後、那須地方の三輪仲町遺跡長者ケ平遺跡、やや南部の地域の御霊前遺跡から、波状口縁で、口頸部文様帯を基隆帯と沈線で充填する土器が出土した。栃木県域のこの種の土器も、火炎土器、火炎系土器と同様に 平縁と波状縁の二者があることが分かった。波状縁の土器も含めて「浄法寺類型」を捉え直す必要が生じた。
 
 
 
3. 浄法寺類型の時空的・系統的位置づけ
  • 浄法寺類型の土器は、安孫子昭二や海老原郁雄が指摘したように加曽利 E Ⅰ式の古い段階(中峠類型)に伴う(安孫子 1978、海老原 1980、1981 等)。
  • 阿玉台Ⅳ式との良好な共伴例は今のところみられない。
  • 海老原(1980, 1981); 加曽利 E Ⅰ式を 4 期に分けたうちの、2 期(大木8a式単独の段階)と 3 期(巨大な箱状把手を持つ段階) に存続するとし、4 期(平縁の加曽利EⅠ式が一般化する段階。大木8b式)はその存在を示していない。
 
 
 
  • 塚本(1997); 浄法寺類型は加曽利 E Ⅰ式古段階に出現し、加曽利 E Ⅰ式が存続する期間(3 段階に細別)、すなわち磨消縄文が出現する以前まで存続するとした。ただし、3 段階目は、存続するもののその数を極端に減らしている。
 
 
  • 栃木県北部を中心に分布。 那須野が原とその東隣の八溝山地、南隣の那珂川の河岸段丘(現在の大田原市域と那珂川町域)に出土量が多い。その南側の喜連川丘陵(現在の那須烏山市域、 茂木・益子町域)では出土量が減る。栃木県中央部(宇都宮市域、上三川町域、高根沢・芳賀町域)にも一 定量存在する。また、栃木県北西部の湯西川でも安定的に存在する。八溝山地より東側の茨城県域は、散見 されるものの出土量は極端に少なく、浄法寺類型の主たる分布域ではない。福島県の中通り地方南部、会津 地方、更には新潟県下越地方にも、浄法寺類型が存在する。
 
 
  • 新潟県信濃川・魚野川流域を中心として、縄文時代中期中葉に火炎土器(火焔型と王冠型)が分布する。 そして、福島県会津地方、中通り地方南部及び栃木県北部には、火炎土器に類似し、縄文を施文しない火炎系土器が分布する。

 

 

  • 浄法寺類型の口頸部に沈線を充填する手法の起源を、火炎系土器に求める点では、多くの研究者で一致。
  • 海老原や小薬一夫・小島正裕・丹野雅人等は、会津地方の火炎系土器(小薬・ 小島・丹野は「会津タイプ」の馬高式土器と呼称)に求めた(海老原 1981、小薬・小島・丹野 1987)。
  • 一 方塚本は、浄法寺類型の成立について、その成立以前に新潟県下越地方、会津地方、福島県中通り地方南部、 栃木県北部に分布する火炎系土器に祖型を求めた(塚本 1997)。在地での成立をも視野に入れた。
 
 
 
 
(2/3)に続く