夏島式土器@夏島貝塚(横浜市)
 
 
  • 早期前半に編年される土器様式
  • 関東地方を中心として濃密に分布。
  • 縄文土器の様式研究の嚆矢となった様式で、その成立から終末まで、5段階の様式変化のうちに10の土器型式が認識される。
  • 夏島貝塚は、この土器様式の時期。

 

 


 

 

2. 製作技法

  • 5段階の様式、10の土器型式は、丸底土器を器形の主体とした井草式土器と、砲弾形の尖底を特徴とする夏島式土器以降の二者に分けられる。
  • 井草式;円盤状の底部を作り、正立させた状態で胴部を輪積み成形
  • 夏島式;平縁の口縁部を作り、ここに次第に径は小さくなるように粘土紐を輪積みして最後に尖底部をかぶせて全形する(粘土帯説合痕の傾斜角度などから推定)。

 

 

2-1. 器面調整

  • 井草式から終末期の各型式まで『手抜きの方向性』で語られる; ① 井草 I式・II式、または大丸式では厳密に施文されていた縄文・撚糸文が、様式中葉の夏島式から稲荷台式にかけて、しだいに施文原体自体の条間隔が粗くなってゆく、 ② 施文のタイミングも井草式では成型後まもない湿った器面に、深く鮮明な文様施文が行われるのに対し、夏島式はしだいに器面が乾燥した状態での施文となり、特に稲荷台式期にはその圧痕も薄く浅いものになる。
  • 夏島式に出現し、稲荷台式以降にその比率を増す無文土器は、稲荷台式期ナデ成形に加えてミガキ成形が導入される。その技法は様式終末期の東山式・平坂式土器で確立するが、この時期のミガキ成形は特に顕著。
 
 
2-2. 胎土
  • 均一な砂粒などの混和材。
  • 様式終末期の東山式や平坂式には胎土に ① 意図的に粉砕したチャートの微小な角礫を混和材にしたもの(西関東から北関東方面に多い)、 ② 多孔質の粉砕したパミスや腐植土などを混和材とした土器(三浦半島から多摩丘陵)もある。

 

 

2-3. 焼成

  • 一般に堅固。黄褐色から黒褐色。
  • 様式終末期の大浦山式土器は他型式と比して厚手で、全体的に赤褐色を呈する特徴あり。

 

 

 

3. 編年

 

 

 

3-1. 井草 I式直前(表裏縄文)

1.東福寺北(神奈川), 2.向原(千葉), 3.多摩NT野No.52(東京), 4.山居D区(神奈川)

 

  • 表裏縄文がしだいに内面の縄文が口唇部内側上端のみの施文に収れんされ、薄手・平底の形態から、次第に丸底・胴長の深鉢形となって器壁も厚手となり、口縁部が外反し肥厚してゆく。

 

 

 

3-2. 井草式土器

  • 矢島清作(1942)「口縁部の肥厚外反と、縄文を口縁上端に付するのを特徴とする土器」 
  • 1940年に撚糸文系土器群として最初に発見された 稲荷台式土器(白崎1941) とともに最古の縄文土器に位置ずけられた。当初は稲荷台式が古く、井草式が新しいと考えられたが、 1951・1952年の大丸遺跡の発掘調査において稲荷台式土器が上層に、 夏島式土器が中層に、井草式土器・大丸式土器が最下層に検出され、井草式・大丸式→夏島式→稲 荷台式と続く編年が確認された(芹沢1954、杉原・芹沢1957)。
  • 西之城貝塚の発掘調査(1954)では、最下層の褐色土層から口唇部の肥厚外反した井草式土器、その上の下部貝層から口唇部の肥厚・外反が顕著でない井草式土器と大丸式土器が検出され、この層位を基に芹沢長介によって井草式土器は I式、 II式に細分された(芹沢・西村1955)。ここにおいて、井草式土器 は撚糸文系土器群最古である事が確定した。

 

 

 

 

 3-2-① 第1様式 = 井草 I式土器

5.上川原(東京昭島市), 6.西之城貝塚(千葉), 7・8.多摩NT野No.52(東京)

 

  • 丸底・ずん胴の器形は、煮炊き用具としての縄文土器の完成。機能と器形の一致に、これ以降に始まる縄文土器の多量製作・大量消費の出発点としての意義。
  • 口縁部を肥厚して著しく外反する、ずん胴・ボール状の器形。
  • 単節縄文を基本。

  • 外面に口縁部・頸部・胴部の3文様帯が認識される。
  • 特に口縁部文様帯が重要;2帯から4帯ほどの幅の狭い縄文帯を横方向に施文。その施文は個体によっては口縁部の内側にも及ぶ。
  • 頸部文様帯は、横方向または斜め方向の縄文施文が基本。個体によっては斜縄文を横方向に交互に重ねて羽状の装飾効果を期待。口縁部文様帯との界線に1条から数条の縄文原体の押圧痕を巡らせるなど、文様帯を明確に区画する意識もうかがえる。
  • 井草 I式 古段階 / 新東京国際空港No.7遺跡(成田)・西之城貝塚(千葉)の例;① 口縁部の肥厚がより大きく、② 頸部文様帯が幅広で、③ この文様施文が複雑。

 

 

 

 

  • 井草 I式 新段階 / 上川原遺跡(昭島市)・青陵高校地内遺跡(栃木);① 口縁部の肥厚が小さく、 ② 頸部文様帯の幅は狭小。

井草 I式 (上川原遺跡@昭島市) 

 

 

 

3-2-②. 第2様式 = 井草 II式土器・大丸式土器

9.多摩NT野No.99(東京), 10.多摩NT野No.52(東京), 11.多聞寺前(東京)

 

  • 丸底・ずん胴の器形は、次第に底部が鋭角な器形へと変化
  • 頸部文様帯が消滅
  • 文様帯は口縁部・胴部の2帯構成
  • 前段階(第1様式/井草 I式)に一部の地域でみられた撚糸文施文<Y型>土器の存在比率が増し、縄文施文<J型>とともに、撚糸文施文<Y型>も明確に認識されるようになる
  • <J型>に西之城貝塚における層位的な所見を踏まえて、「井草 II式土器」と命名
  • 撚糸施文<Y型>は、当初標識試料中にはなく、その後神奈川県大丸遺跡でその型式学的独立性が認識され「大丸式土器」と命名(芹澤1957)
  • 井草 II式の口縁部は、前型式の系譜を引いて断面形状が肥厚する傾向が強い。一方の大丸式の口縁部は断面がやや角頭状か円頭状に近く、相対的にスリムな印象
  • 文様施文;口縁部に横方向の幅狭の縄文施文帯または撚糸施文がなされ、頸部以下に縦方向またはやや斜め方向に単節縄文か撚糸文が底部直近にまで施文される。<J型>の井草 II式には、口唇部外面直下に1・2条の撚糸圧痕やヒダ状の指頭圧痕を連続して施す個体もある。
  • 井草 II式と大丸式に空間分布上の偏差が指摘; ①<J型>の井草 II式@多摩丘陵から武蔵野台地、下総台地から北関東方面まで井草 I式とほぼ重なる。 ②<Y型>の大丸式@三浦半島から多摩丘陵南部の比較的限定されたエリア。 ③<Y型>と<J型>の分布上の接触地域たる多摩丘陵周辺では両者の折衷型<JY型>(口縁部文様帯に縄文施文、胴部に撚糸文施文)のタイプも存在。
 

井草 II式 <J型>(多摩NT野No.99@東京)口縁外反が小さく、口縁部に連続指頭圧痕文

 

 

 

井草 II式<JY型>(多摩NT野No.52@東京)

 

 

 

1.井草 II式<J型>, 2/3.大丸式<Y型>(多聞寺前@東京) 口縁部に絡条体圧痕文

 

 

 

井草 II式(城山遺跡@渋川市)高30cm, 頸部文様帯は消滅し口縁に直角な緻密な縄文の胴部文様のみ

 

 

 

 

大丸式土器(横浜市南区 明治大学)左;撚糸文、口縁上面に施文あり。 右;撚糸文 ※ 口縁部外反が井草式と比して小さい

 

 

 

 

 

神奈川県立博物館発掘調査報告書『紅取遺跡』(1980)から要約;  器面に比較的密接した撚糸文が口縁と直角に施され、また口縁上端には縄文が施されたもの。口縁は厚く、わずかに外方に突出する。器面に原体を強く押し当てながら回転させているため、文様はいずれも鮮明。同じ原体で1個の土器の器面と口縁上端に施文するのは大丸式土器における撚糸文と、井草式土器における縄文の例があるが、27のケースは撚糸を細い棒に巻き付けた「絡条体」と「二重撚りした撚糸」という二種類の原体が併用されている点に注目。  口縁上端への施文という点において、大丸式土器、井草式土器との共通性が認められる。夏島遺跡、大丸遺跡では、口縁上端と器面に施された撚糸文を特徴とする大丸土器に、同じ部位に施された縄文を特徴とする井草式土器が搬出されている。  口縁部の形状と器面の撚糸文が主文様である点から大丸式に比定するのが妥当

 

 

 

 

 

 

関連Links:

撚糸文系土器(早期前半)(2/4) ; 第3様式(夏島式)・第4様式(稲荷台式)

撚糸文系土器(早期前半)(3/4) ; 第5様式(稲荷原・東山・平坂式)