人吉から東京へ…
先生から東京2020組織委員会のメンバーの一員になりました。
やってみたいことをやれている環境に感謝。
なんだかんだ、ふらふらしていても
休みなく働けているのも日本だからなんだろうな。
恵まれた環境にいるからこそ、
それを存分に利用しなきゃね。(笑)
人吉・球磨で過ごした半年間。
球磨村の自然がすごく好きになった。
毎日通った通勤路、国道219。
そこで見覚えのある建物と聞き覚えのある看板の名前見て、
「あっ。」ってなった。
胸がぐってなった。
学生時代に一度だけラフティングで来て、
すっごい楽しかった大切な思い出の場所が
球磨村だったなんて知らなくて。
(岩山から川にダイブしたときに耳に水が入って、それが痛すぎて、
そのあと人吉で餃子食べに行ったけど
味もどこかも覚えてないのだけれど(笑))
今年の夏はまだ復活できないと思う。
でもまた、再会したら行きたい。
そしてまた子どもたち、先生たちに会いたい。
NPOで「うさみん」として活動した日々も「うさみ先生」として活動した日々も子どもたちに囲まれて幸せだったな~
(お別れ会や退任式ではばっちり泣きました。涙もろいのも相変わらず。むしろ年とともに増している。(笑))
自分には「うさみん」の方が合ってるなって思ったけど、
いつかの夢でもあった先生として、
学校の中で働けたことは本当にいい経験になったし、
多くの学びを得られた。
これまでは子ども子ども子どもがかわいい!だったけど、
コロナに水害に本当に大変だった中で、
保護者の人たちと変わらないくらい(いやそれ以上かも)の愛情を
子どもたちにもって、
自分たちのことなんかそっちのけで、
毎日遅くまで働いていた先生たちが素敵だった。
右も左も分からない私は甘えっぱなしだったけど、
みーんな優しくて、温かく迎え入れてくださって。
もっとこの先生たちとここで過ごす時間が続けばいいなぁっても思ったし、今でもふと恋しくなる。
こんな先生たちがいるからこそ、これだけの教育を日本では
みーんな当たり前のように受けられているんだなって思った。
改めて日本に生まれたことを幸せと感じたし、
日本人であることに誇りを感じた。
人吉・球磨で過ごした時間は、
「子どもがすき」で、「子どもたちのために」って
同じ想いを持ってる人が近くにたくさんいた環境が、
なんかすごく心地よかった。
子どもたちのために私にできることをこれからもやりたいって思った。
そして
4月から東京オリンピックパラリンピック組織委員会の
いちメンバーとして働いている。
東京での開催が決まった時から、
ボランティアでもいいから関わりたいなと頭の片隅で思い続けてた。
まずは自分が夢を追って、
子どもたちにも夢は叶えられるんだよって思ってもらえたらいいなぁ。
実は去年開催してたら、多分関われてなくて、
(レバノンにいて応募ができなかった。)
そう思うとコロナに少し感謝なのだけれど、
実務はコロナ対策ばかりで…(笑)
コロナがなければ、もっともっと色んなことに
クリアでポジティブに過ごせるのになって思う。
だけど、タラレバ言ってても仕方ない。
やるからには、どうせやるなら、楽しまなきゃ。
多くの人にいい思い出として記憶に残る大会になってほしい。
スポーツは国境をなくせる。
どこの国でもスポーツを通して、友達ができたし、居場所ができた。
(1年前はレバノンでシリア人のおじさんバレーチームに入れさせてもらってたなぁ。)
オリンピックパラリンピックはその最大の祭典。
国同士では揉め事とかあっても、
ここにそれは関係ない。あってはいけない。
同じスポーツで高みを目指してきた、
ライバルであり同志である世界中の人たちが
ベストな環境で満足いく試合ができて、
それをみてたくさんの人の心が熱くなればいいなと思います!
実際はまだ始まったばかりで
何も分かってないけれど(笑)
全力でやるぞーっ!!!
そして、半年後 次はどこにいるのか・・・楽しみっ(o^―^o)!