戦争の本当の目的は
自国を守るためでは無く
両方の国に武器を売って儲け
人間の間引きと紙幣の発行権取得が目的
とロス茶の本に書いてあったので
これを読んでつくづくそう思った
そもそも明治政府からして在日スパイ組織
と考えると辻褄が合う
↑より抜粋
読者の皆さんは
「よく日本は日露戦争に勝てたものだ」
と改めて思いませんか?
陸軍兵士のかなりの部分は脚気でフラフラだったのだ。
少なくともロシア兵にはそういう問題は無い。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」でも
脚気問題はほんの数行しか登場しないし
その他の文芸作品や映像作品でも
この問題はまったくと言っていいほど登場しない。
考えてみればじつに不思議な話で
脚気が国民病だったのは紛れも無い事実なのに
反戦映画の中にすらこの問題と正面に取り組んだものは無い。
そんなものがあれば、私も多くのページを使って
この問題を論ずる必要は無かった。
これは、兵食つまり戦場における兵士
とくに陸軍兵士の糧食問題である。
この点について森林太郎
そして東大医学部の執拗な抵抗は確かにあったが
それでもさすがに大正年間になると
「脚気はビタミンB₁欠乏症である」
という医学常識が広まり国民の常識ともなっている。
だからこそ陸軍は消化器官からは吸収しにくい
ビタミンB₁を「飲み薬」として使えるようにと
武田製薬工業(当時)に依頼し
その結果戦後になってからだが
「アリナミン」という薬品ができた。
そういうことをやっているのに
一方で陸軍は昭和になってからの「支那事変」や
「大東亜戦争」でも相変わらず白米中心の兵食を支給していた。
だからこそとくに1941年(昭和16)以降
南方戦線に派遣された兵士は悲惨な状態に追い込まれた。
アメリカ軍の攻撃を避けジャングルに潜まねばならなかったからだ。
ジャングルは湿度100%だから
地表はスポンジのように水を含んでいる。
そしてこの地面が文字通りスポンジであって、全然固くない。
何しろ有史以前からの木の葉や朽木がつもりつもって
ふわふわしており、歩けば靴の型のままに地がへこみ
その周辺からすぐ水がにじみ出てきて靴型の水たまりになる。
私はジャングル戦最後の3か月間
ひざから下が乾いたことは全くなかった。
軍靴は1か月もたたぬ間に糸がくちて分解してしまう。
全員が、足全体がひどい水虫のような皮膚病になった。
「私の中の日本軍(上)」山本七平著
フィリピンのジャングルの話で
こんな場所では飯ごうで飯を炊く
つまり飯盒炊爨などやりようがない。
仮になんとかカマドを作っても、炊事の煙が上がれば
敵のアメリカ軍に位置を知られ砲撃されてしまう。
そうした煙が目立つことは仁徳天皇(にんとく)の
「民のかまどはにぎわいにけり」というエピソードで
日本国民は誰もが知っていたといっても過言では無い。
それに将校たちが一度は必ず読んだに違いない
「甲陽軍鑑」にも上杉謙信が川中島において炊事の煙で
武田信玄の作戦を見破ったというエピソードが出てくる。
確かに、ジャングルの中の
四六時中隠れていなければならない事態は
想定外だったかもしれないが
それにしても戦場における食料は炊事などせずに
簡単に摂取できるものにするのが鉄則で
戦国時代ですらそうしたものは存在した。
にもかかわらず、思い出していただきたい
陸軍はあの八甲田山の大量遭難事件の時すら
兵食は飯盒炊爨で賄うつもりだった。
飯盒炊爨には乾いた場所、大量の清潔な水
燃料そして時間が必要であり
しかも敵に発見されやすいというリスクがあるのに
八甲田から40年以上後のこのジャングル戦でも
陸軍が兵食として支給していたのは
基本的に白米だったのである。
白米は、この時点から約300年も前の
徳川家康が関ケ原の戦いにおいて
「生で食べてはならぬ」と注意したぐらいのもので
飯盒炊爨という手間とリスクをかけなければまともに食せない。
それ以外に携行食糧が無いというならともかく
干し柿や干し芋といった伝統食品もあったしパンもあった。
そもそも日本に西洋式のパンを大々的に広めたのは
幕末の伊豆韮山代官江川太郎座衛門英達(ざえもんひでたつ)で
彼がそれに着目したのは兵糧(ひょうろう)として活用するためであった。
江川はこの功績で「パン祖」と奉られているが
日本独自の携行食糧である「乾パン」もこの流れの中から
陸軍によって作られたものである。
正確にはパンというよりはビスケットで
欧米では兵糧として重宝されていた。
気温が高くても腐敗せず長持ちし
極低温下で水が無くても簡単に食べられるからである。
日本でも鳥羽伏見の合戦に負け
大坂から逃げ帰ってきた徳川慶喜が
江戸に着くなりむしゃむしゃと食ったという記録がある。
要するに日本人は古くから兵糧として
ふさわしいものを持っていたのである。
それなのに手間とリスクがかかり
兵糧としてはもっとも適さない白米にこだわったのか
考えれば考えるほど不思議ではないか。
「歴史学者」藤原彰の著作の一つに
「餓死した英霊たち」がある。
「餓死」は「がし」ではなく「うえじに」と読む
何とも刺激的なタイトルである。
いわゆる「右翼」なら激怒
「英霊に対し失礼だ」と叫ぶかもしれない。
だが、第二次世界大戦においては冷厳なる歴史的事実である。
そのことについて藤原は、次のように断言している。
この戦争で特徴的なことは
日本軍の戦没者の過半数が戦闘行為による死者
いわゆる名誉の戦死ではなく、餓死であったという事実である。
「靖国の英霊」の実態は
華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく
餓死地獄の中での野垂れ死にだったのである。
この著作で藤原が取り上げている兵士たちを
餓死に追いやった悲惨な戦いは全部で7つ。
「ガダルカナル島の戦い」
「ポートモレスビー攻略戦」
「ニューギニア」
「インパール作戦」
「太平洋の孤島の置きざり」
「フィリピン戦」
「中国戦線」
藤原は職業軍人の家に生まれ、陸軍士官となり
実際に中国戦線で戦ったという貴重な体験の持ち主である。
日本を破滅させた陸軍のエリートたちは
自分のような普通の学校を出てから
陸軍士官学校に進んだ人間と違って
陸軍幼年学校出身者が多いと指摘している。
古志正綱(こしまさつな)
少佐のことを覚えておられるだろうか?
日清戦争における食糧の補給任務に失敗し
責任を取る形で自決してしまった陸軍将校である。
そこの部分で、藤原彰のような職業軍人では無いが
学徒動員で陸軍将校として戦争に駆り出された評論家
山本七平の言葉も紹介しておいた。
「日露戦争時代から太平洋戦争が終わるまで
一貫して日本の軍人には
補給という概念が皆無だったとしか思えない。」
である。
改めて、今の時点でこの問題を考察してみると
日本軍とくに日本陸軍には従来から存在した
補給軽視の傾向に加えて脚気蔓延の原因でもあった
白米至上主義とも言える「白米へのこだわり」が感じられる。
すでに述べたように、白米は兵食としては非常に不便なものなので
大東亜戦争で多くの餓死者を出した有力な原因の一つだとも思う。
この白米至上主義がなぜ生まれたかが、今後の検討課題である。
この巻おわり
昭和天皇HIROHITOもCIAエージェント
— まるえもん (@HvWCxZtv2xsApx5) June 28, 2019
日本人は知るべき一歩
大東亜戦争は天皇家と田布施が、日本人の富を略奪し殺戮するために起こした戦争
また奪われるのか https://t.co/twoE4lovgs
未だに保守愛国者の多くが騙されてます。もう一度、明治維新は、ロスチャによる日本支配のクーデターであり、明治天皇は、睦仁親王ではなく、大村寅之助であり、孝明天皇暗殺から全て、長州の在日とロスチャが仕組んだ陰謀によるもの👿👿😱 https://t.co/0LGV38CuOR
— 道真の子孫17 (@beatpop97) January 16, 2022
天皇制は明治から。
— 宮古 shocking History 龍族を探して 書籍発売中 (@nanohanacr) March 25, 2019
万世一系は嘘。
江戸時代宮家公家含め(天皇家)は石高3万石。
貧乏に喘いでいた。
その公家と現天皇家の繋がりは全くない。
明治天皇の父孝明天皇を岩倉具視が暗殺したから。
明治天皇と孝明天皇は親子ではありません。
【十字のシンボル】
— 本当の事を知りたいだけ。 (@Toocokiba) February 10, 2021
テンプル騎士団(上)、サヴォイ家(中央)
赤十字、スイス連邦
明治天皇以降の天皇はテンプル騎士団のガーター勲章を授与されている。
なぜ明治天皇以降なのか、なぜ皇室はキリスト教なのか、なぜ世界の赤十字は王族経営なのか。
答えはシンプル。https://t.co/ZcoYUwoAVU pic.twitter.com/JI5ssvTfHl
また、天皇もガーター騎士団のメンバーで、
— Change_h_ (@Change_h__) April 20, 2021
33階級のフリーメイソンと言われています。
ガーター騎士団の正体は
庶民を苦しめる悪魔崇拝者。https://t.co/9VfzWBOQMK pic.twitter.com/yPUUgzgEH2
※倒幕派からしたら、開国を拒み、公武合体を唱える孝明天皇はかなり邪魔だったはず。徳川に主導権を持たせないよう大号令出した薩長新政府。
— 菊田布ー (@kikutabu911) September 28, 2020
そして、明治~の歴代天皇は英国よりガーター騎士団員に任命。いわば英国コピー版 pic.twitter.com/jk8PJw5U83
https://t.co/qL9fOWHrLk
— 菊田布ー (@kikutabu911) September 20, 2020
どうやら、GHQが昭和天皇裕仁の戦争責任を問わず、象徴(建前)として残すよう指示したのは当時の英国王・ジョージ6世だった可能性が高い。
裕仁がガーター騎士団や英国陸軍大将だったからだろう。 https://t.co/ahB9oKt4jE pic.twitter.com/IliwOMfFjG






































