大手メディアで本当の事を言うと

社会的に抹殺されるか、この世から抹殺される

日常では周りにバカ扱いされ変人扱いされ見下される

新聞が嘘を書くはずがないだろという洗脳社会は

今も継続中で、この情報社会なのに567禍で

枠の危険がまったく通じなくてびっくりだった

 

 

↑より抜粋

 

それにしても1905年

日露戦争に勝利し世界の列強のメンバーとなった

大日本帝国が、原爆2発を投下され

他の都市も空襲で壊滅状態となり

数百万人の犠牲者を出して大崩壊したのが1945年。

この間わずか40年である。

こんな短期間でこれほど激しい歴史の浮き沈みを経験した民族

あるいは国家は、世界史的に見ても珍しい。

 

まさに「むこう40年間の魔の季節」(司馬遼太郎)であり

司馬はこの年1905年に起こった

日比谷焼打事件がその「出発点」だと考えていた。

当時のマスコミの「すべて」と言ってもいい新聞が

国民に戦争の実態を知らせず、政府がポーツマス講和条約の中で

当時としては最大限の成果を上げたことも評価せず

逆に国民の不満を煽って徹底的に煽動することによって

暴動を起こさせ、民主主義社会において

国民の耳目となるべきマスコミの任務を放棄したことにある。

この点について司馬は

「当時の新聞がもし知っていて煽ったとすれば

以後の歴史に対する大きな犯罪だったといっていい」

と相変わらず関西人らしく断定的には述べていないが

最近の歴史学界の研究成果も踏まえれば

「当時の新聞は知っていて煽った。

つまり、歴史に対する大きな犯罪を犯した」

のである。

 

じつは私も初めてこの問題に取り組んだころは

当時の新聞人は戦争の実態を知らなかったのだと思い込んでいた。

本来の民主主義国家なら、政府は実態を公表し

国民の理解を求め協力を要請するところである。

しかし、当時の日本はまだそういう国家に成長していなかった。

また、味方の能力が白日の下に晒されるということは

「軍事機密上、問題だ」という古い考え方もあった。

 

外国の新聞は特派員などを通じて状況を正確に把握しており

とくに欧米では正確な情報が報道されていたから

そこから情報は「筒抜け」になっていた。

つまり、ジャーナリストで無い一般の日本人でも

外国語の基本的知識があれば

戦況は正確に認識できたということだ。

外国まで行く必要も無い。

横浜や神戸には外国人居留地がある。

そこには船便で定期的に外国の新聞が運ばれてくる。

そういうところに友人やつてがあれば

素人でも正確な情報が入手できたということだ。

ましてはプロである新聞人が正確な情報を入手できないわけが無い。

それに日本軍は現地の戦場に記者が入って取材することも認めていた。

 

軍や政府が「日本にはもう継戦能力が無い」

という基本的事実を隠蔽しようとしたことは事実だが

そんな情報工作が上手くいったはずが無いということだ。

アメリカが講和の斡旋に乗り出したのも

この基本的事実が大前提にあったからで

そのことはアメリカをちょっと取材するだけでも

容易にわかる話である。

現に「國民新聞」はそうした正確な情報を認識し、社説でも

「ポーツマスでの講和交渉は大成功だ」という評価をしていた。

国民が的確な判断を下すために必要かつじゅうぶんな情報を

少なくとも「國民新聞」だけはしっかり国民に提供していたのである。

しかし、他のすべての新聞は違った。

「これ以上戦うのは不可能」という事実を把握しながら

「この条件で講和すべきでは無い。戦争を継続すべきだ」

と国民を煽動した。

では、なぜそんな「犯罪」を犯したのか?

その背景にあったのは、新聞の激しい部数獲得競争であった。

 

まず、冷厳な事実を言おう。

現在日本には世界的水準で「クオリティ・ペーパー」

と呼べるものは一つも無いということだ。

日本独特の「大衆紙」と呼ぶべき存在だろう。

経済専門紙の「日経」はそもそもクオリティ・ペーパーたり得ない。

日本の「新聞史」は幕末から数えても200年に満たないのだが

その最大の問題点は日本には世界に誇れる

「クオリティ・ペーパー」がほとんどの時期在せず

現代もその例外では無いということだ。

これは日本民族にとっても大きな不幸である。

民主主義社会において国民が的確な判断を下すための

「耳目」となるのがマスコミの役目である。

ところがそれが「無い」というのだから

いかに重大な問題かわかるだろう。

 

すべての国民に基礎教育を受けさせ

「字が読める」国民が増えたからこそ

新聞は商品として大量に売れるようになった。

だが、これは日本人にとって不幸の始まりでもあった。

新聞を商品として売るためにもっとも安易で即効性があるのは

大衆の好みに迎合することである。

ほとんどの新聞がその方向性を目指した。

 

太平洋戦争末期のころの日本の新聞は

デタラメ情報である軍部の「大本営発表」を

そのまま「事実」として報道していた。

だから、この時期の日本の新聞は

「朝日」も「毎日」もまさに御用新聞

(政府から利益を得て政府が有利になる)だった。

しかし、ポーツマス講和条約締結時の

「國民新聞」はそうでは無い。

政府系新聞であっても御用新聞では無い。

新聞報道の評論について一番大切なことは

その報道内容が正確でニュースに対する評価が的確かどうか

「誰が」では無く、「何が」報道されたかが問題なのだ。

それゆえ「政府系の新聞だから云々」などという評価は

まさに素人の論議だと断じても差し支え無いだろう。

 

焼打事件の4日前、9月1日付

國民新聞の「講和成立」という記事の文意は明快である。

そもそも日露戦争の戦争目的はすべて達せられた

そればかりか、旅順、大連の租借

東清鉄道の割譲なども得られたのだから

このポーツマス条約を受け入れて平和を祝おうではないか

と主張している。

 

当時の状況から見てこの判断

あるいは国民への建立は的確である。

これ以外に方法は無かったし、それゆえこうするべきだった。

そして政府はそのように問題を処理したのだから

国民はそれに不満を唱えず確立させた平和を祝うべきだった。

しかし、実際は「國民新聞」以外のすべての新聞は

この記事にあるようにポーツマス条約は

「屈辱」であり戦争を継続してもっと

「果実」を得るべきだという「世論」を盛り上げ

そちらの方がはるかに優勢だったのである。

「樺太は全部取れ」「賠償金も取れ」といのが

その「狂漢」たちの主張だった。

煽動された民衆たちを何とか鎮めようと考えたのだろう。

「國民新聞」は9月3日付の号で

巻頭に「償金なき講和」という社説を掲載している。

 

普墺戦争(ふおう・独)や米西戦争の実例を紹介し

フィリピン領有に際しては戦勝国のアメリカが

敗戦国のスペインにカネを払った例すらあるとたしなめているのだが

このような冷静な論議はもはや通用する状況では無かった。

 

そして運命の9月5日

ポーツマス条約に不満を抱く人々たちに向けて

結集を呼び掛けるビラが撒かれた。

 

 

こんなメッセージを受けて

「参加しない」などと言ったら

「非国民」にされてしまう。

 

 

戦争の持つきわめて重大で直視しなければならない性質とは

「人間を熱狂させる」ということなのである。

とくに「勝ち戦」の場合はそうだ。

どんな勝利でも味方に犠牲が出ないということはあり得ない。

ところが、人間は戦争に勝つと

犠牲者の家族の悲しみなど忘れてしまい

大いにハシャギまくる動物なのである。

とくに「野次馬」はそうだ。

召集され戦地に赴いた兵士はいくら戦いに勝っていても

明日は死ぬかもしれないのだから、それほど熱狂しない。

また、戦場で冷静さを失うことは死の危険を意味する。

しかし、「銃後」の安全な場所にいる人間は

男も女も「応援団」となって戦闘に「参加」する。

「参加」と言っても、それは精神的なものであり

死ぬ危険も一切無いから熱狂はますます高まる。

そして、これが人間心理の面白いところだが

自分は死ぬ危険が無くても

現場の兵士はそうであることを知れば知るほど

彼らに感情移入して熱狂は深まる。

こうしたところも「戦争と人間」の常識である。

こうした常識を学ぶことが真の歴史を学ぶことにつながり

ひいては将来の戦争を防止するために役立つ知識となる。

 

 

日本が勝利すると新聞が売れに売れた。

一昔前、野球ファンが自分のひいきチームが勝つと

翌日のスポーツ新聞を何種類も買って読んだように

いやそれ以上に日本の運命がかかっていた日露戦争は

大きな「勝ち戦」となり、新聞を「儲かる商品」にした。

この時代はテレビもラジオも無いから

新聞のライバルはいない。

また新聞も号外を大量に配布して

速報性という点で読者の期待に大いに応えた。

号外は無料だが、概略だけだ。

そこに「大勝利」などと報じられていれば

当然詳しい状況を知りたくなるが

ラジオすらないのだから有料の本紙を読むしかない。

すなわち、また新聞が売れるというわけだ。

 

こうした流れの中で

新聞がつくりあげたこのときの気分がのちには

太平洋戦争にまで日本を持ち込んでゆくことになった

ということだ。

アメリカ、イギリス等連合国との戦争当時の

日本の内閣総理大臣東条英機が開戦を決断したのは

わかりやすく言えば

満州は絶対手放せないと思ったからである。

だから、世界一広い中国大陸で中国と戦争を継続しながら

今度は世界一広い太平洋で連合国と闘うという

まともな国家なら絶対にあり得ない行動に出た。

日本は勝てば勝つほど要求を加重するという

まさに「ポーツマス以来の悪い癖」が出てしまった。

 

「満州は日本の生命線」という内容の

「満州行進曲」を社の事業で世に送り大いに流行させて

言葉を変えて言えば「戦争に訴えても満州は守らねばならない」

という強固な世論を作り上げたのは

戦前の「朝日新聞」であって陸軍参謀本部では無い。

世論の醸成にもっとも影響力があるのは

今も昔もマスコミなのである。

だから参謀本部のトップが「戦争をやめろ」と言っているのに

それが実現しないということにもなったのだ。

 

事実は本来虚報よりも「強い」はずではないか。

ところが日本は「虚報」に「事実」が負けてしまった。

なぜこんな不合理なことが起こるのか?

そう、人間あるいは民族がどう考えても不合理な判断をする時は

その根っこのところに宗教がある、ということだ。

要するに「犠牲者の死を絶対に無駄にしてはならない」

という宗教である。

1941年(昭和16)平和を望む昭和天皇の意向に反してまで

東条英機首相が開戦を決断したのは

アメリカが「ハル・ノート」

当時のコーデル・ハル国務長官の覚書で

「支那(中国)からの完全撤兵」を要求してきたからである。

その要求に従うことは「10万の英霊」の

尊い犠牲によって獲得した満州国も失うことになる。

だから「英霊に申し訳ないから撤兵できない」

開戦ということになった。

 

 

日本もロシアに勝つためには

何としてでも世界一の国家になりつつあった

アメリカを引き込まねばならない。

そこで日英同盟を結ぶ際に、アメリカの

「門戸開放」要求にも配慮したことはすでに述べた。

それゆえアメリカは日露戦争において日本に「味方」した。

アメリカ人の資本家が

日本の外債を買うことによって資金援助してくれたのも

ロシア国内のユダヤ人の弾圧を軽減させることだけが目的では無い。

日本が勝てば、アメリカの建国当時からの念願である

中国市場進出が果たされるからである。

 

だからこそ、日本のロシアへの勝利は決まったが

まだポーツマス講和条約が結ばれていない時点で

アメリカの鉄道王エドワード・ハリマンが来日し

「南満州鉄道」の共同経営を日本側にもちかけ

日本側の元老伊藤博文や桂太郎首相も賛成したのだ。

戦費を使い果たした日本にはカネが無いが

アメリカ側がそれを負担してくれるという願っても無い話だったし

そもそもアメリカを誘ったのは日本なのである。

 

ところが、ポーツマスから帰国した小村寿太郎は

この合意をぶち壊し白紙に戻した。

その後ハリマン以外のアメリカ資本を受け入れたなら話はわかる。

しかし、結果的にこの行為はアメリカを満州から完全に締め出す形となった。

アメリカから見れば日本は散々美味しいことを言って

自分を騙したアンフェアな国になってしまったのだ。

 

これは日本のアメリカに対する背信行為である。

小村は、この結果日米関係が悪化するに違いないことを

認識していなかったのだろうか?

当時の世界水準で見ても

小村はきわめて優秀な外交官であった。

そもそもポーツマス条約を

見事に成約にもっていったのも小村である。

何か表に出ていない事情が考えられるとすれば

協定の内容が日本側に著しく不利で

アメリカ側を利するものであった場合だ。

しかし、それならそれで別の形でアメリカに便宜を図る

具体的に言えばアメリカ資本が

満州に参入できるような方策を取らねばならない。

なぜならば、すでに述べたように

日本はアメリカが日露戦争で味方につけば

満州への参入を歓迎する、とアメリカに信じさせていたからである。

しかし、伊藤博文や桂太郎首相すら説得できた小村が

この後そうした動きを見せた形跡は無い。

やはり小村は背信行為だと意識しながら

アメリカを満州から締め出したのである。

 

この責任はきわめて重大だ。

最終的に日本、いや大日本帝国に

とどめを刺したのはアメリカである。

逆に言えば、アメリカと決定的な対立を招かなければ

1945年の大破綻は無かった。

そのきっかけを作ったのが小村の「ぶち壊し」だから

私は小村の「罪」は重いと断ぜざるを得ない。

 

小村は、留学をしたアメリカをはじめ

どの国のひいきもせず、距離をとって

国際情勢を冷静に判断することができた。

彼のように、日本と関係の深い

外国での勤務をすべて経験しながら

広く公平な視野を持ち続けた外交家は珍しかっただろう。

「小村寿太郎」片山慶隆著

 

確かに著者の言うとおりだと私も思う。

だからこそ、この「ぶち壊し」だけは

小村の行動としては、きわめて突出して異常で類例の無いもの

であることに気づいていただきたいのだ。

外交は「ギブ&テイク」の世界である。

「ぶち壊し」というムチをくれたのなら

アメリカには何らかのアメを与えるのが外交であり

それが「公平」ということだろう。

しかし、小村はアメリカには何の「アメ」も与えなかった。

それで日米関係が悪化することは

確実に予測できたはずなのに、である。

 

日本は日露戦争後、日韓併合という名の

「大日本帝国による大韓帝国の吸収合併」

に踏み切るわけだが

1945年の大破綻が無くなれば

現在でも朝鮮半島が日本の領土だということもあり得た。

それが朝鮮民族にとって幸福なことかと言えば

むしろ不幸だと考える人間の方が多いだろう。

「あちらを立てればこちらが立たず」それが歴史である。

将来の破綻を防ぐためには

やはり歴史に学ぶことが必要なのである。