天然記録 -24ページ目

 

 

2007年8月発行

↑より抜粋

 

日月神示は、敗戦さし迫った昭和19年より
数年間に渡って継続的に降ろされたものであり
すでに60年も前のものです。(2007年現在)

日月神示から、知ってそうで知らない
基本的な霊の知識についてお伝えします。

宇宙は霊の霊と、物質とからなっているぞ。
人間も又同様であるぞ。
宇宙にあるものは皆人間にあり。
人間にあるものは皆宇宙にあるぞ。

人間は小宇宙と申して、神の雛形と申してあろう。
人間には、物質界を感知するために
五官器(ごかんき)があるぞ。
霊界を感知するために超五官器があるぞ。
神界は五官と超五官と和して知り得るのであるぞ。
この点誤るなよ。

霊的自分を正守護神と申し
神的自分を本守護神と申すぞ。
幽界的自分が副守護神ぢゃ。
本守護神は大神の歓喜であるぞ。

神と霊は一つであって、幽と現、合せて3ぞ。
この3は3にして1
1にして2
2にして3であるぞ。

故に、肉体のみの自分もなければ、霊だけの自分もない。
神界から真っ直ぐに感応(かんのう)する想念を
正流(せいりゅう)と申す。
幽界を経て、又幽界より来る想念を
外流(げりゅう)と申すぞ。

人間の肉体想念の最外部、最底部をなすものであるから
肉体的動きの以前において、霊的動きが必ずあるのであるぞ。

故に、人間の肉体は霊の入れ物と申してあるのぞ。
又、物質界は、霊界の移写(いしゃ)であり
衣であるから、霊界と現実界
又、霊と体とは、ほとんど同じもの。
同じ形をしているのであるぞ。

故に、物質界と切り離された霊界はなく
霊界と切り離した交渉なき現実界はないのであるぞ。

人間は、霊界より動かされるが
又、人間自体よりかもし出した霊波は
反射的に霊界に反影(はんえい)するのであるぞ。

人間の心の凸凹によって
一は神界に、一は幽界に反影するのであるぞ。
幽界は人間の心の影が生み出したものと申してあろうがな。

総(すべ)ては、大宇宙の中にあり
その大宇宙である大神の中に
大神が生み給(たま)うたのであるぞ。
このことよくわきまえて下されよ。

善のこと悪のこと、善悪のこと
よく判って来るのであるぞ。

故に、人間の生活は霊的生活。
言の生活であるぞ。
肉体に食うことあれば、霊にもあり
言を食べているのが霊ぞ。霊は言ぞ。
この点が最も大切なことじゃから、くどう申しておくぞ。

死んでも物質界と繋がりなくならん。
生きている時も、霊界とは切れん繋がりあること
とくと会得せよ。

そなた達は神をまつるにも、祖先をまつるにも
物質のめあて作るであろうがな。
それはまだまだ未熟な事ぞ。

死後においても、現実界に自分がある。
それは丁度、生きている時も
半分は霊界で生活しているのと同じであるぞ。

自分の衣は自分の外側であるぞ。
自分を霊とすると、衣は体
衣着た自分を霊とすれば家は体
家にいる自分を霊とすれば土地は体であるぞ。

更に祖先は過去の自分であり
子孫は新しき自分、未来の自分であるぞ。
兄弟姉妹は最も近き、横の自分であるぞ。
人類は横の自分、動、植、鉱物は更に外の自分であるぞ。
切り離す事出来ん。

自分のみの自分はないぞ。
縦には神と繋がり切れんぞ。
限りなき霊と繋がり切れんぞ。
故に、神は自分であるぞ。
一切は、自分であるぞ。
一切が喜びであるぞ。

霊的における自分は
殊(こと)に、先祖との交流、交渉深いぞ。
よって、自分の肉体は自分のみのものでないぞ。
先祖霊と交渉深いぞ。
神はもとより一切の交渉あるのであるぞ。

その祖先霊は
神界に属するものと、幽界に属するものとあるぞ。
中間に属するものもあるぞ。
神界に属するものは、正流を通じ
幽界に属するものは外流を通じて
自分に反応してくるぞ。

正流に属する祖先は
正守護神の一柱(ひとはしら)であり
外流に加わるものは
副守護神一柱と現われてくるのであるぞ。

外流の中には、動植物霊も交ってくることあるぞ。
それは己れの心の中に、その霊と通ずるものあるためぞ。

一切が自分であるためぞ。
常に一切を浄化せなならんぞ。
霊は常に体を求め、体は霊を求めて御座(ござ)るからぞ。

霊体一致が喜びの根本であるぞ。
一つの肉体に無数の霊が感応し得るのざ。
それは霊なるが故にであるぞ。
霊には霊の霊が感応する。
又、高度の霊は、無限に分霊するのであるぞ。

二重三重人格と申すのは
二重三重のつきものの転換によるものであり
群衆真理は、一時的の憑依霊であると申してあろうがな。

霊が元と申して、くどう知らしてあろうが。
人間は現界、霊界共に住んで居り
その調和をはからねばならん。

自分は自分一人でなく
縦にも横にも無限に繋がっているのであるから
その調和をはからねばならん。
それが人間の使命の最も大切な事であるぞ。

調和乱すが悪ぞ。
人間のみならず、総て偏(へん)してならん。
霊に偏してもならん。
霊も五、体も五と申すであろう。

じゃが
主(あるじ)は霊であり、体は従(じゅう)ぞ。
神は主であり、人間は従であるぞ。
五と五と同じであると申してあろう。

差別即平等と申してあろう。
取り違い禁物ぞ。

神は愛と現われ
真(まこと)と現われるのであるが
その根は喜びであるぞ。
神の子は皆喜びじゃ。
喜びは弥栄(やさか)ぞ。

じゃが、喜びにも正流と外流とあるぞ。
間違えてならんぞ。
正流の歓喜は愛の善となって現われて
また真の信と現われるぞ。
外流の喜びは愛の悪となって現われるぞ。
何(いず)れも、大神の現われであること忘れるなよ。

悪抱き参らせて進む所に、誠に弥栄あるのであるぞ。
神は弥栄ぞ。
これで良いと申す事ないのであるぞ。
大完成から超大大完成へ向って、常に弥栄しているのであるぞよ。

宇宙は総てにおいても、個々においても
総て喜びから喜びに向って呼吸しているのぞ。
喜びによって創られて喜んでいるのであるぞ。
故に、喜び無くして生きないぞ。
合一(ごういつ)はないぞ。

 

つづく

あさり、きのこ、レモンクリーム

 
 

 
やはり茶碗蒸しだった(温かい)

 
 

 

 
ランチは④時までで、優雅な気分でくつろげる

 

 

 
 

 

 
本物の本なのか、中を見ればよかったと後悔

 

 

 
 
 
今年④月にオープンして気になっていた所
 

行ったら↓とメニューがまったく同じなので

ここの系列だと気づいたけど、店名が違うので184番でカウント

 

 

 

2011年1月発行
[新装版]2020年2月発行
 

↑より抜粋


私たちは明治天皇陛下を

共通の祖父として生を与えられております。
けれども明治天皇というお立場上
肉声を伺うということになると
なかなかできません。

小林様のお母様であられる仁(しのぶ)様は
明治天皇のお言葉や、御(み)思いを
ふだん親しく伺っておられたと聞いております。
今日はぜひ、そこのところをお伺いできればと思います。

小林牧師
母・仁は、私が成長し、やがて日本という国について
意識するようになりました時に
初めて本当の事を言ってくれました。

私(仁)の父(明治天皇)が言われたのよ。

「日本は神道だが、神道はもとはユダヤ教である。
天皇の権限で日本の歴史を調べたが
神道は紀元前には、この日本にユダヤ教として入って来た。
そして、のちに入って来た原始キリスト教に習合させている。
だから日本はキリスト教が中心になってくるべきだ」と。

天皇家の由来についても
明治天皇はこのように語っておられたと
母は、繰り返し言っておりました。

「日本は元は、ユダヤ教が母体として入ってきたのだから
日本の天皇家の中心も、日本の国全体の中心も
その源はユダヤにある。
それを完成したのがキリストでありキリスト教である」と。

それは本当に衝撃的なお言葉ですね。

明治天皇は、平素深い愛をもって
信頼をおかれていた内親王(ないしんのう)である母、仁に
「おまえが男であったらなぁ」と何度も洩らしておられたことを
母は私にポツリと話したことを憶えています。

更に続けて
「いよいよ、お前が結婚して男の子が生まれたら牧師にするんだよ。
きっと役に立つ時が来るよ」とも話したことも。

「仁、覚えておけよ。これは推測じゃないよ。
自分が天皇という立場で調べさせた結果、それをお前に言うんだ」

その結果というのが
「日本の国は古代からユダヤの流れなんだよ」
ということでした。

ご存じのように私(中丸)の父
堀川辰吉郎は、明治天皇と御側女官(おそばにょかん)の
権典侍(ごんのなしのすけ)
千種任子(ちぐさことこ)との間に生まれた子でした。
ですから、明治天皇といえば
私の実の祖父に当たる人物となります。
そんなことを知っている、ある新聞社の記者が
私の元を訪ねてこられました。
2001年4月9日のことです。

そして、その記者は天皇家の系図を広げながら
こんなことを言い出したのです。

「明治維新というのは
単に幕府を倒して王政復古を実現するためだけに
あったのではありません。
実は北朝の天皇家には足利義満(よしみつ)の時以来
天皇の血脈が流れていません。
そのため、天皇家の血脈を持っている南朝に
天皇の座を取り戻すために
勤皇(きんのう)の志士たちが決起した革命なんですよ。」

たしかに系図によりますと、南北朝の動乱後
天皇家は北朝の流れを汲んでいます。
99代の後亀山(ごかめやま)天皇(?ー1424年)
を最後に南朝は絶えています。
その後は系図上でも抹殺されているようで
その子孫についても文献が無く、定かではなくなっていたのです。

その一方で、北朝は100代目
後小松(ごこまつ)天皇(1377ー1433)の即位の後
121代孝明(こうめい)天皇へとずっと継承されてきていたのです。
歴史上は、この孝明天皇が明治天皇の父となる人です。
しかし、その記者は言い放ちました。

「南朝の末裔に、大室寅之助(おおむろとらのすけ)

という人がいました。
後醍醐(ごだいご)天皇(1288-1339年)
の玄孫(げんそん)のさらに孫ぐらいに当たる人物です。
その寅之助を勤皇の志士である伊藤博文や桂小五郎らが
本来の天皇であるべき血脈である
寅之助の擁立(ようりつ)をはかったのです。」

この時の私は
まだこのようなことの調査に着手する前ですから
非常な驚きに打たれました。

滅亡したとされる南朝がその血脈を絶やすことなく
守り続けていたことも驚きならば
維新のさなかに
北朝天皇家と入れ替わったというのですから。

「ここからが重要なのですが……」

先ほどの記者が続けます。

「犬猿の仲だった
薩摩(さつま)と長州(ちょうしゅう)は
どうして同盟を結んだと思いますか。
一般には坂本龍馬が尽力(じんりょく)して
両藩を説き伏せたといわれています。
果たしてそれだけで仲良く手を組めるものでしょうか。
最後は西郷隆盛(薩摩)が折れて
両藩が同盟を結ぶことになったとされていますが
実はその理由は西郷に隠されていたのです。」

どういう事かといいますと
西郷の本家である菊池家の祖先は
南北朝時代に九州勢力の中心として南朝の側にあった。
そのような家系にある西郷は、南朝の末裔が

長州にかくまわれている事を知っていたというのです。

私は以前、山口県の萩(はぎ)市へ講演へ行った折
主催者に案内されて毛利(もうり)家ゆかりの寺へ行きました。
するとそこに
明治天皇が来訪したことを伝える石碑が建っていたのですが
その脇にはなんと
井上馨(かおる)の胸像(きょうぞう)があったのです。

私の父、堀川辰吉郎は、実は生まれるとすぐに
井上馨の元に預けられていたのです。

調べてみると
長州藩主、毛利敬親(たかちか)の祖は
大江季光(おおえのすえみつ)
大江家は代々、南朝に仕えていたのです。
南朝の末裔たちは、毛利家、長州藩の武士たちにかくまわれて
細々と生き延びてきていたのではないか。
ならば、明治天皇となった寅之助にとってみれば
ここは故郷となるわけです。

その記者はさらに、こう続けました。
「寅之助には弟が1人いました。
その弟に久子さんという孫がいて
現在92歳になられ、九州のほうで暮らしています。
その久子さんからDNA鑑定書をいただいてきました。
そこで、あつかましいお願いなのですが
先生にも鑑定を受けていただきたいのです。」

私が了解すると、その記者の方は翌日再び訪ねてきて
私の口内から鑑定に使う細胞を採っていったのです。

その翌日4月11日
私はかねてから予定しておりました
桜にぎわう奈良県の吉野というところへ行きました。
そこで、後醍醐天皇の祀(まつ)られている
吉水(よしみず)神社に参拝し
神武(じんむ)天皇ゆかりの地を訪問する予定だったのです。
さっそく出かけてみると、吉水神社の前にはなんと
「明治維新は南朝の確立」と刻んだ碑が建てられてあったのです。

私にはこのようなシンクロニシティ
(共時性)がついて回るようです。
その時同行の人に、その記者のお話をしますと
すでに明治天皇の謎に迫る本が出版されているというのです。
それは「裏切られた3人の天皇」という本です。

その本には、坂本龍馬の門下生であり
のちに伊藤博文とともに明治天皇の腹心になった
田中光顕(みつあき)伯爵(はくしゃく)の証言が
掲載されています。

田中伯爵は
「明治天皇は孝明天皇の皇子(みこ、おうじ)ではない。
睦仁親王(むつひとしんのう)は、孝明天皇崩御(ほうぎょ)
と同時に、ただちに即位したとなっているが
実は睦仁皇子は殺められ
擁立(ようりつ)された明治天皇は
後醍醐天皇の、第11番目の皇子
満良(みつなが)親王の御王孫(ごおうそん)で
大室寅之助である」と述べています。

つまり、この満良親王は、毛利家の先祖である
大江氏にかくまわれて長州に逃れたのです。
その後、毛利氏がその血脈を山口県の萩において守り続けたのです。

そのために王政復古の狼煙(のろし)は
長州から上がることになったのです。

桂小五郎(木戸孝允:きどたかよし)こそ
吉田松陰(しょういん)の後を継いで
勤皇の志士たちを率いた人物ですが
この桂小五郎が

「われわれ南朝の御正系をお立てして王政復古をするのだ」

と、西郷隆盛に打ち明けたのです。

西郷は西郷で、南朝の忠臣だった菊池家の子孫でしたから
その裏があってこそ、薩長同盟は成り立ったのです。

私は、寅之助の弟の孫である久子様にもお会いして
その事を確認しましたし、その事実を隠すために
実の弟さんが、どのような目にあったかもお聞きしています。
それはそれは、すさまじいことになっていたのですが
今回は触れずにおきます。

さらに
寅之助の出身地である山口県田布施(たぶせ)地区は
ユダヤ・秦氏とも関係の深い特殊な場所だったようです。
そのごくわずかな地域に
伊藤博文、桂小五郎らの生家が隣接しているのです。

吉野の里をあとにして
私は4月14日には、講演会のために大阪に入ったのです。
帝国ホテルでの講演のあと
食事会に招かれた時、正面に座った方から
「これはフルベッキのお孫さんが持っていたものですが
私より中丸先生が持っていらした方がよいと思います。」
と額に入った写真を手渡しされたのです。

それは驚くべき集合写真でした。
その写真には大室寅之助(明治天皇)を始め
維新の志士たちがフルベッキを囲んで総登場しています。
フルベッキは1864年に
長崎の済美(さいび)館で教えはじめるのです。
そこで明治維新の主力たち40人以上の志士たちの指導にあたった。
彼らは皆、フルベッキの塾生たちなのです。

 



明治維新とは
結局フルベッキの思想と、吉田松陰の思想に触発され
薩摩藩の資金で達成されたとも言われていますでしょう。
グラバーも、龍馬に資金を与え、1866年正月の
薩長同盟の背後で、武器供与をしていたと言われています。

幕府側には、フランスのロッシュ
尊王(そんのう)側には、イギリスのグラバーが
武器と資金を提供しました。

日本では志士たちの活躍
そして、徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還(たいせいほうかん)
(政権返上を明治天皇へ奏上:そうじょう)
したことなどによって
危機を最小限におさえたのだと思います。

その後、日本は富国強兵(ふこくきょうへい)を成し遂げ
45年で欧米列強の産業国家に追いついてしまった。
その指導者が、明治天皇であったことは疑い得ないことですが
そのバックには、フルベッキとその思想があったことが
ようやく明るみに出てきたわけです。

リボルバーを懐に忍ばせた姿は
坂本龍馬にぴたりと重なります。
それもそのはず、彼の師匠はフルベッキだったのですから。

 



それにしても、当時フルベッキを慕ってきた
あらゆる階層にわたる、おびただしい日本人の皆が
フルベッキの働きについての「緘口令(かんこうれい)」
を忠実に守った。
誰一人口外しなかったということ
これは驚きです。
そしてここに、近代史の隠された大きな部分があるのですね。

正しい内外の情報と的確な判断
そして何よりも決然たる実行力を持ったフルベッキという
指導者の存在があってこそ
初めて未曾有(みぞう)の難局に打ち勝つことができた。
それは歴史が証明しています。
日本人はもっとこの事実を知るべきです。

フルベッキの存在が
明治天皇の御思いに、深く刻みこまれた訳がよくわかります。

植民地化の魔手(ましゅ)から逃れている国は世界中で
タイと日本の2つの国だったわけですから。

日本人は不思議な民族ですね。
「伊勢大神宮」は外国の諸賢(しょけん)が
口を揃えてその神秘性と厳粛(げんしゅく)さを体験されております。
それに世界遺産で話題になっております。
「熊野古道(くまのこどう)」での「熊野詣(くまのもう)」は
その後、お伊勢参りに引き継がれ隆盛を極めたと。

「熊野詣で」も平安時代、天皇の参拝の聖地でした。

中東のムスリム諸国では、古くからイエスのことを
イセ、イス、イシュ、エシュと呼び
偉大な聖人、預言者として礼拝しています。
日本の歴史を知らないイスラム教徒の知人は
伊勢神宮のことを聞きつけて
イエス・キリストが祀られているのかと聞いてきたことがあります。
その時私(小林牧師)は
「その通りです」と答えたことは言うまでもありません。

なんと、伊勢神宮の元始は
原始キリスト教だったのですね。

しかも、明治天皇が指摘されている通り
旧約時代のユダヤの神が、その基盤となって習合したのです。

神殿建築を司り、神事を執(と)り行った特権階級の神官
レビ族の血をひく神(じん)長官らによってこの列島で
今に至るまで大切に守り引き継がれてきたのです。

ちなみに、「イナリ」という音は
元来アラビア語で「尊いもの」「光かがやくもの」
という意味であることと看破(かんぱ)しています。

「伊」は天地を繋ぐ人の意味
「奈」は文字通りイエス・キリストを表す漢字
「利」は人を利する、高めるという漢字です。

あの奈良時代の「奈」という字ですね。

そうです。奈良という都は当初
「寧楽」と表記されていましたが、ある時なぜかわざわざ
「奈良」という漢字表記に替えられたのです。
「示」という漢字は「丁」は祭壇を表します。
上の「一」は祭壇の上の「生贄(いけにえ)」の意味です。
両脇の斜め線は祭壇から滴り落ちる「血」を表しています。

「奈」という漢字の冠(かんむり)の
「大」という字は本来、木であったものが省略され
「大」になりました。
つまり「奈」という字は、何と
木に架けられた生贄より流れる血が
祭壇の上の贖(あがな)いの座に滴り落ちている
という原義だったのです。

つまり「奈」という字は
十字架に架けられたイエス・キリストの血が
契約の聖櫃:せいひつ(アーク)の
贖いの座に注がれている様を表した
「イエス・キリスト」という意味をあらわす。
驚くべき漢字だったのです。

伊勢大神宮や諏訪大社などに
稲荷神(いなりしん)が祀られているのはそのためです。

しかし時代が推移するにつれ
仏教によって統一を図ろうとする為政者が
「伊奈利」という表記では
語源から原始キリスト教なることを
察せられるということを厭(いと)い
まったくの当て字であり、比較的音の似通った
「稲荷」という漢字に替えてしまうのです。
空海没後の平安時代後期と見ています。

維新前まで、つまり南北朝時代から江戸時代まで
天皇の祭儀は全て仏式で行われていたのですが
明治時代になって、数百年ぶりに伊勢神宮が日本の
そして皇室の祖神(そしん)として名実共に復活するのです。
明治というのは開国の時代を挟んで
日本の国が正に根底から震われたのです。

かつて元禄(げんろく)時代、日本を訪れたドイツ人医師
ケンペルはその著者の中で日本人を称して
「バビロン捕囚(ほしゅう)されていたヘブライ人の末裔」
の民族であることを記していますが
やがてフルベッキは、その記述を彼自身の目で確認するのです。

フルベッキは日本人を
「聖書に記された特別な民族」「約束された民族」
と位置づけていたのです。
彼自身の心の中に、大きく占めていたのは
「明治天皇」という存在であり
「日本人」であったことは明白です。

晩年のフルベッキの伝道講演会では
日本人が「海からやってきた」ことを告げる説教をしています。
この鋭い彼の洞察は、非常に重要な意味を含んでいます。

沖縄と近隣の諸島では、ヘブライの習慣が色濃く残っています。
私はユダ王国のユダの王族の一部とユダ族
ベニヤミン族の一部、そしてエルサレムの祭司の一部すなわち
中枢のレビ族の一団が、ソロモン船団によって大挙渡来したとみています。

沖縄では神武(じんむ)天皇の生まれた島や
産湯(うぶゆ)に浸かった場所も言い伝えられています。

失われたイスラエル10支族探索のイスラエルの国家機関
「アミシャーブ」の長、ラビ・アビハイルも
全世界のどこにも見出すことのできない神殿様式の社殿が
この日本だけにあることを断言しています。

この事実はユダ王族の直系の渡米とともに
レビ族の一団、特に諸部族の中心である
エルサレムの祭司集団の一部が渡来してきたことを意味するのです。
なぜならば、神殿建設はもっぱらモーセ・アロンの血統を引く
レビ族によって定められた職務であり
他の部族がこの聖務に携(たずさ)わることは
「死」を意味することとして聖書に記されているからです。

いずれにしろ、ユダヤのダビデの王統もどこを探しても
もう日本以外にはありえないのです。
そして、キリストを救世主と認めるユダヤ教徒たちが
日本のもともとの霊統と一つになって
日本の今日を有らしめたことが明らかになりました。

神道には
ユダヤもキリストもイスラムも全部入っているのです。
そのことが皇室に渾然一体(こんぜんいったい)となって
存在しているのです。
日本は聖書の国です。

それと同時にあらゆる宗教を超越した根源の神
宇宙創造神の薫陶(くんとう)が、あまねく行き届いた国柄
民人(たみびと)に満ち充ちた国なのです。

万物一系の皇室というものは、あり得なくとも
万物一系の皇室システムと
血脈というものは存在しうるのだと思います。
それは普遍・不朽(ふきゅう)の道でなくてはなりません。
そのかたちから
人々を宇宙の心へとつなげるものでなくては意味がないのです。

宇宙は意思であり、心そのものです。
それを神と言います。
その神を心に抱いた人々によって
万物、生きとし生けるもの
森羅万象が一つとなって生きる姿
それを地球上において、かたどっているのが
皇室のシステムであってほしいと思います。

日本国と日本人の特殊な使命は明らかです。
だから、日本からまず世界を変える動きが始まらなければなりません。

そして、私はここにおいて昭和天皇の真実というものもまた
明らかにしたいと思うのです。
昭和天皇もまたバイブルの精神がその根幹に入った人でした。

昭和天皇は、今だに戦争責任を云々(うんぬん)
されることがありますが、本当に戦争は嫌だ
自分は戦争には反対であると公言していたのです。

昭和天皇は、実は(大正天皇ではなく)
明治天皇のお子様なのです。

川村純義(すみよし)中将という薩摩出身の方がいました。
この方は単なる軍人ではなく
文人それも聖書の精神にあふれた文人だったのです。
その娘である花子様が
昭和天皇(裕仁:ひろひと様)の生みの親だったのです。

明治天皇は、幼き裕仁様を川村家に預けました。
つまり、将来の天皇になると決まっていた裕仁様は
仁様(小林牧師の母)と姉、弟のような関係で一緒に生活をし
仁様が乳母のような役割を担っていたのです。
という事は、仁様と裕仁様は本当の姉弟だった。
小林様にとっても私にとっても
昭和天皇は叔父(おじ)ということになるのです。

それで昭和天皇というのは
やはりイエス・キリストを受け入れた
メシアニック・ジューの流れ
聖書の精神がばっちり入った方だったのです。

私の父、堀川辰吉郎は井上馨に預けられたと言いましたが
その後に頭山満(とうやまみつる)にも預けたれたのです。
「万世一系の原理と般若心経の謎」という本には
次のように書かれています。

「明治天皇には
皇子は大正天皇しかいなかったと歴史は伝えています。
しかし、大正天皇より数時間早く千種の典侍
(ないしのすけ:てんじ)からお生まれになった皇子がありました。
千種の典侍は柳原(やなぎわら)の局(つぼね)をはばかって
皇子を皇女として育て、後に片山満に預けたのです。」

その預けられた皇子が父、辰吉郎です。

当時明治天皇は、大隈重信(おおくましげのぶ)
一派と組んで国政を進めなければ
国が成り立たないという状況にありました。
柳原の局の背後にいたのが大隈重信だったのです。

そんな事情があって
父は大正天皇より早く生まれたにもかかわらず
明治天皇御自身の判断で
第一次伊藤内閣の外相だった
井上馨に預けられたのです。
その後、政財界の重鎮(じゅうちん)であった
頭山満の手によって教育されたのです。

当時中国では
孫文(そんぶん)が革命運動を盛んに行っていました。
しかし、それに失敗して日本に亡命。
その時、孫文をかくまったのが頭山満です。
辰吉郎はこの時、孫文の決意に打たれて
その後、孫文と共に中国に渡り
辛亥(しんがい)革命をなし遂げる
一翼(いちよく)を担ったということがあったのです。

父の偉大な足跡も公的には認められることなく埋もれています。
それは皇室にとって、このようなことは秘密だからです。

しかし、これからの世の中の進む方向を見据えました時
あらゆる情報は開示されていくべきものと
天上界もそう言っております。

このように皇室はとてもややこしいのです。

笹川良一という人がおりました。
日本船舶振興会、競艇のトップだった人です。
この人が日米戦争を始める前に講演で
こんなことを言っていたのです。

「この昭和天皇さんは、弱虫で、戦争嫌いで
非戦論者で、あんな天皇替えちゃいます」と。

2・26事件にはそんな背景があった。
だから昭和天皇ご自身の命も危なかった。
実際、ピストルを持った将校が
昭和天皇の部屋まで入っていったと聞いております。

マッカーサーは戦後
昭和天皇に「神を見た」と言いましたが
実際この時の将校も、なぜかきびすを返し
自らこめかみに銃弾を撃ち込んだというのです。

それはともかく日本の歴史は近代史において
まったく伝えられていることと違う。
古代史においても全然違います。
こんな誤解と錯覚とバーチャルの中で
日本と日本人が骨抜きにされていく。
偽りのアイデンティティからは
偽りの世界しか作れないのです。

ここで本当の事を言わなければ
いつまでたっても日本はよどんだ国のまま
国際金融資本の思うままに
蹂躙(じゅうりん)されてしまいかねません。

今、日本は明治維新の時以来の国難に直面しているのです。
その認識を持たなければだめです。
あの維新の時のように志士たちが出てきて立ち上がらなければ
日本という国そのものがなくなってしまう。
そんな瀬戸際にもう来ているのです。

明治天皇の孫同士、意を決して
ここまでのことを言いました。

 

おわり

 

 

2011年1月発行
[新装版]2020年2月発行

↑より抜粋

 

 

(上)世界を菊花で表現した図

(下)天皇は、日本を中心として

世界を16方位に分割して神々を祀り

皇子を配慮して統治させた事を表すのが16菊家紋である。

この紋章は、天皇家のシンボルであると同時に

世界を表現しているのだ。(中心点は、飛騨の位山)

 

第1部ラビ達との対談より

 

日本には、船で直接四国まで入ってきたユダヤ人たちもいますし
皆さんが調べていらっしゃるのは、シルクロードを通り
朝鮮半島経由で日本に来られた人たちだと思います。
3世紀頃の神功(じんぐう)皇后の時代
日本の人口がまだ5千万人だった時に
4万5千人の秦
氏(人数、時期については諸説ある)が

シルクロードを通って中国、朝鮮半島を経由して入ってきます。
「秦」は日本で「はた」と読みます。
秦氏のすべてがユダヤ人でした。

彼らは非情に大きな影響をもたらしました。
ユダヤ人である秦の始皇帝は万里の長城を築きました。
あのような高度な技術を持った人々が
4万5千人も日本に来たのです。
彼らは、松尾大社、広隆寺、伏見稲荷、下鴨(しもがも)神社
上賀茂(かみがも)神社、四天王寺などの神社やお寺をつくり
京都、奈良のあたりで治水(ちすい)をはじめとする
大きな土木工事をしました。

 

 

 


日本に来たユダヤ人の人々には2つのグループがあります。
まず、キリストが生まれる前のユダヤの人々が来て
その後、キリストが生まれてから
キリストを信仰したユダヤの人々が日本に来ました。

キリストを信仰するユダヤの人々は
中国では景教(けいきょう)徒(ネストリアン)と言われました。
秦氏は、キリスト以前の人たちの流れを汲んでいますが
その影響がいろいろあるようです。

伊勢神宮の地下には十字架があるという話を聞いたことがあります。
それと同時に、天皇家には鏡、剣、勾玉(まがたま)
の三種の神器が伝えられていますが
そのうちの鏡の裏側にはヘブライ語で
「我ありてある者」と書いてあるそうです。


そのビジョンは頭の中にありますが
実物を直接見たことはありません。
三種の神器は皇室の奥にあると聞いています。
明治神宮にレプリカがあるかもしれません。

一番大事なものは、天皇が即位される時に
一人で部屋の中に入れられ、そこでアマテラスと
霊的に合体する禊(みそぎ)のような儀式です。
その儀式を経ることで、天皇は天皇としての
霊的な雰囲気を身にまといます。

アマテラスとは太陽の女神で
皇祖神(こうそしん)、皇室の祖先に当たる神様です。
「神」といっても、信仰の対象としての神とは違います。
「神」という言葉を使ってはいますけれども
アマテラスは要するに天皇家の肉体的祖先です。
古い家族なのです。

 



天皇家は神道を信仰しています。
神道、特に古神道(こしんとう)は
宇宙創造神を信じています。
宇宙創造神はただ一つの神です。

ではなぜその神が世界を支配していないのですか?

それは人格的なもの
イエス・キリストやアマテラスなどのような
ヒューマンボディではなく、宇宙全体を創造し支配する意識体
光であり愛のエネルギーです。

その光、愛のエネルギーの一部分を私たち人間は
宇宙創造神の分け御魂(みたま)として心の中心
魂の中心に抱いています。
人間は誰でも神の子です。
神道は、大自然そのものに神の意識が宿っているという
自然崇拝のような形をとります。

ユダヤの方は、伊勢神宮などの神道の神社の構造が
古代ユダヤの神殿とそっくり同じであることに驚いています。
古代イスラエルの神殿の構造を知っている人たちは
日本に来て神社に行くと
自分の故郷に帰ったような気がするようです。

天皇家の伝統もまた秦氏に由来しているとお考えですか?

それは日本の国民には全くもって秘密にされていることなので
誰も信じないと思いますが
私は、これらのすべての古い歴史的な
バックグランドを調べ、研究しました。

その結果、発見したことは「古事記」や
日本初の公式歴史書である「日本書記」が成立した8世紀ごろ
朝鮮半島から来たという人物が天皇になったということもありました。
彼らは秦氏とはいわれていませんが
私は確実に天皇は秦氏の出身だと思っています。
このことは依然として完全に秘密です。

皇室の方は
皇室が日本以外のところから来た事を認めてらっしゃいますか?

奥様を朝鮮半島から娶(めと)ったということを
韓国に対して言った程度です。
私はそのことについて日本語の本を書きました。
「古代天皇家と日本正史」という本を書き
皇族の方々もこの本を読まれましたが
どなたもクレームをつけませんでした。



天皇そのものがあちらから来た可能性があるとしているのは
今のところ私が書いた本だけだと思います。

日本人と韓国人は昔、一つの民族だったと思われますか?

それは違うと思います。
秦氏、失われた10支族が日本に入ってきて
日本人の遺伝子はユダヤとは同じだけれども
朝鮮半島や中国とは違うようです。

先ほど日本に来たユダヤの人たちは2グループあると申しました。
まず、イスラエル10支族の人たちが日本にやってきました。
彼らはお祈りをする時に
動物を生贄(いけにえ)として捧げていたと思います。

その後に入ってきたのが、キリストが生まれて
キリストを信じたユダヤの人たちです。
この2番目のグループの景教徒(ネストリアン)たちが前に来た
ユダヤの人たちを迫害した形跡もあるようです。

迫害された最初のグループの人たちは
どんどん追い込まれていきました。
北海道、あるいは沖縄の人たちは
最初のグループの人たちの子孫と言われています。

これは日本ではタブーに当たることですが
日本には「被差別部落」の人たち「同和」の人たちがいます。
この人たちは4つ足のもの、動物を扱う仕事をしていました。
彼らは迫害された第1グループのユダヤの人たちの子孫だと思います。
「同和」の人たちは
自分たちがどうして迫害されてきたのか知らないと思います。

日本の政治家に野中広務さんという方がいます。
この方は「同和」出身で、私は一緒にお食事をした際に
「同和」の人はキリストが生まれる前に
日本にやってきたユダヤ人であり
あとから日本に来たキリストを信じるユダヤの人たちから
生贄、血に触れるということで迫害を受けたというお話をしました。

「被差別部落」といわれるところは
昔、日本の中心だった大阪や奈良にもあります。
彼らは大変な差別を受けてきましたが
連携して立ち上がり、今は逆差別といわれるぐらい
優遇された状態になっています。
野中さんのような政治家も出ています。

私(中丸)はイギリスでロスチャイルド卿にお会いしました。
その時「あなたにとって最も感動的な時はどんな時でしたか」
とお聞きしたら、彼は今までと違って身を乗り出し
目をギラギラさせて
「それはヒトラーが自殺したと聞いた時です」
とお答えになりました。

ロスチャイルド卿はいつもポケットにモルヒネを入れていて
もし、ヒトラーがロンドンに侵入してきたら
モルヒネで自殺しようと思われていたのですが
ヒトラーが自殺したと聞いてモルヒネをトイレに流した。
その時、大変な解放感を味わったと語っておられました。

私がお会いした時、イギリス・ロスチャイルド家は
7代目で、ロード(卿)ですから
イギリスの貴族にもなっていました。
それでもユダヤ人ということに関して身を乗り出して語る。
この会見以来、私はユダヤ人というのは宗教なのか
人種なのかという問いかけを自分の中で持ち始めました。

宇宙創造神は一つです。
ただ一つの宇宙創造神を神道では
アメノミナカヌシ(天之御中主神)といいます。

 



なぜ神はイスラエルの民を12支族に分けたのか。
さらに、神はなぜ12支族の中の10支族を離散させたのか。
先生はどう思われますか?

12支族があるのはユダヤだけですよね。
歴史の中で彼らはほとんど離散していますが
それならば、なぜ神は彼らを造ったのでしょうか?
なぜ神は12支族のうちの10支族を
2800年もの間、隠されたのでしょうか?

ヤコブにはレアとラケルという2人の妻がいて
それぞれに息子がいました。
また、レアとラケルにはそれぞれ侍女(じじょ)がいて
ヤコブは妻の侍女との間にも息子をもうけ
ヤコブの息子たちが12支族になった。
自分たちの民族のルーツとして自分たちでそのように
決めたのかなと私は思ったのです。

イスラエルの12支族は
北のイスラエル王国と、南のユダ王国
それぞれ10支族と2支族に分かれ
南のベニヤミン族とユダ族の2支族は残りましたが
北はアッシリアに滅ぼされ
10支族が一緒に捕囚(ほしゅう)として、アッシリアに連れ去られ
捕囚を解かれた時に、それぞれがそこから帰らないで消えた。
だから「失われた10支族」というのですが
自分たちのイスラエル王国が滅ぼされたため
帰るところがなかったのではないでしょうか。

ユダヤの人たちが、いろいろなところに来て
大きな影響力を及ぼしたことは
私が少しずつ調べていく中でもわかりました。

日本の財閥、三井、三菱、住友は
もとはみんなユダヤ人です。
たとえば三井家は三重県の海岸から来て
松阪に到着したのではないかと思います。
松阪には三井の本家が残っています。

 



神社の鳥居は普通2本柱ですが
京都太秦(うずまさ)の「蚕(かいこ)の社(やしろ)」
に3本柱の鳥居があります。
それは古代ユダヤに関係があることがわかりました。



私は三井家のことを調べる中で、一番詳しい人を呼んできて
直感的に「今、稲荷(いなり)神社は全国にありますが
もともとの稲荷神社は三井家に関係あるのですか?」
と聞いたら「それは三井家がつくりました」と言っていました。
ですから完全に秦氏です。

世界186ヵ国を歩いた時に
闇の権力者たちがいることを発見しました。
最初は知りませんでしが、ロックフェラーやロスチャイルド
アメリカの大統領にも会って、そのうちにマスコミが
全部コントロールされていることがわかってきて
一握りの闇の権力者たちの存在がわかったのです。

私の著書には
「明治天皇の孫が語る闇の世界とユダヤ」
とか、売らんがために、私が言っていることと
全く反対のタイトルをつけているものもあります。
私はユダヤの人たちのバックグラウンドを説明し
それを賞賛しているのに
内容と全然違うタイトルをつけられて迷惑しています。



現在の世の中は、キリストが生まれてから2000年
お釈迦様が生まれてから2500年
イスラム教ができてから1500年ぐらい経っています。

イスラム教対キリスト教とか
宗教の名で戦争が行なわれていて
宗教が宗教ではなくなってきています。

そうした中で
宇宙創造神は一つというコンセプトはすごく大切です。
ほかの宗教でも宇宙創造神を信じて
ちゃんと生活している人たちならば
全然違和感は覚えません。
やがて世界もそうなると思います。
そうしたら宗教戦争は要りません。

今の地球は人間同士が戦争して
殺し合っている、とんでもない不良の星です。
しかし、それがいよいよ神の意思に従って優良の星に入っていきます。
2012年に向けて新しい文明の時代が始まります。
そこで、マスコミが一切伝えない不良の星の真実
今、世界で行われている実際の国際政治も含めて
世界情勢の真実を大衆に伝えていきたい。
また、精神的なものとして心の浄化を訴えています。

直接宇宙とも、UFOともコミュニケーションをとれる心
あるいは地底の中にも文明がありますから
その人たちともコミュニケーションをとれる心
あの世といわれるところにいる人たちとも
コミュニケーションをとれるような
心を作らなければということで、私は30数年前
ずっとマスコミを離れて心を浄化する生活を続け
今日まで来ました。

宇宙的なこともありますし、マヤのカレンダーは
2012年12月22日で終わっています。
それ以降はありませんから、みんなは
「そこで世の中は終わりなのか」というけれども
そうではなくて
そこからは新しい文明が始まると私は考えています。

日本には「竹内文書」というものがあるんです。
それは偽書といわれているけれども、そうではない。

この地球自身が
もう6回ぐらい壊滅状態になっているのです。
今回が7回目の最終ユートピア建設の時で
「竹内文書」によると
ずっと前から「天皇」という言葉は使っていないけれども
天皇家という組織があって
今でいうUFOみたいなものを使って全世界を回っていた。

それが地殻変動とかそういうことで現在のような形になってしまって
過去はほとんど忘れられているけれども
「竹内文書」は、神功皇后(じんぐうこうごう)に付き添って
竹内宿禰(たけのうちのすくね)という人がそばにきて
全部チャネリングというかメッセージで上から受けた文書なんです。

私は今、宇宙と交信したり何かして
多少違った名前とかあるけれども
大まかなところで、そういうものは存在したというのがわかっている。
それでわかったことは、日本の皇室もシリウスの星からUFOでおりてきた。
イスラエルの人たちも、別の星からやっぱり神に選ばれた者として
アメリカのどこかにおりて、それがイスラエルの地まで行った。

両方の民族がここに来て、ハルマゲドンのあと
本当に調和して、和合して、そういうことをわかり合えて
お互いに協力して世界を立て直していく。

それが本当の世界平和
神の心を生かして歩んでいく民としての世界
ワンワールド、ワンゴッド
そういうものがつくられていくんじゃないか
というイメージが私の中にはあります。

日本の中には「日月(ひつき)神示」という
ある意味では、上からおりてきたメッセージがある。
その中に、これから日本があらゆる国から攻められる
という文書もあるのです。
ユダヤもそうでしょう。
その両方が終った時に
場合によっては、ユダヤの人も日本の人も
みんな日本列島に住む可能性があるかもしれないですね。

イスラエル10支族は日本にかなりの部分来ているでしょう。
神道の中にも入っているし
皇室の中にも入っているし
平氏とか源氏、徳川とか、みな入っていますよ。
それと商人、財閥、三井、三菱、住友
そういうのも全部入っているし
調べれば調べるほど……。

 



京都の祇園祭の山車(だし)に
ユニコーンが描かれているとか書いている。
祇園祭は7月17日で
ノアの箱舟がアララト山に着いた日と同じなんです。

 




 

勾玉(まがたま)
これは皇室の三種の神器の一つの勾玉で
ヘブライ語で「ヤー」と読めますね。
「ヤー」はヤハウェの名前を意味します。

ヘブライ語の「ヤー」、そこからとったのね。

「ヤー」ですか。これはヤコブの梯子(はしご)ですか。

「ヨッド」です。

 

 



勾玉は、ヘブライ文字の「ヨッド」の形です。
梯子が象徴している
無限に上っていくイメージに繋げたいのなら
ヤコブの梯子ですね。
「ヨッド」の端にあるのは無限です。

 

 




 

さっき言った「日月神示」は
麻賀多(まかた)神社
勾玉の神社におりてきたメッセージで
今、本になっていて有名なのです。

以前2人のラビが私のところに来て
プリンセス・ナカマルは
正真正銘の「ユダのプリンセス」だから
といって「タルムード」26巻をプレゼントしてくれました。

天上の世界からメッセージをいただいたから
といって私を訪ねてきて、くれたのです。
その時、この2人のラビを連れて来られた方が
小林牧師といって
私と同じ、やはり明治天皇の孫にあたる方だったのです。
彼の母上は、明治天皇の言葉として
「日本は神道だが、神道はユダヤ教だ」
ということを伝えておりました。

 

第1部おわり

第2部小林牧師との対談につづく

この種族が南北で対立しているのも気になる

 

 

2011年1月発行

[新装版]2020年2月発行

 

↑より抜粋

 

これは、海外向けに英語で書かれたものを

翻訳者が邦訳したものです。

英語版はインターネットを通じて広く読まれています。

原文・久保有政(くぼありまさ)

 

 

数多くの日本の伝統的な祭事は
イスラエルの失われた10支族が
古代日本に渡米したということを示唆(しさ)しています。

長野県には、諏訪(すわ)大社という
大きな神道の神社があります。
諏訪大社では
御頭祭(おんとうさい)と呼ばれる伝統的な祭が
毎年4月15日に開かれています。
この祭は、アブラハムが、自分の息子であるイサクを
犠牲にしようとした聖書の創世記第22章にある
イクサの物語を再現したものです。

御頭祭は、諏訪大社で
もっとも重要な祭の一つとみなされているもので
古代から行われてきた祭りです。

諏訪大社の背後には、守屋山(モリヤ山)がそびえたちます。
この神社は「モリヤの神」を信仰するために建てられたものです。

祭では、一人の少年がロープで木の柱
(御贄柱:おにえばしら)に縛りつけられ
竹のむしろの上に置かれます。
そこに、ナイフを携(たずさ)えた神主がやって来ます。

神主が、木の柱の最上部に数度切り込みを入れたところで
別の神主扮するメッセンジャーがそこに現れ少年は解放されます。
これは、天使がアブラハムの側に現れ
それによってイサクが解放される聖書の物語を彷彿とさせます。

 



御頭祭では、動物の生贄(いけにえ)も奉納します。
75頭の鹿が奉納されますが、そのうち一頭は
耳が裂けていると信じられています。
その鹿は、神が準備したものとみなされています。
これは、神が準備し、イサク解放のあとに
生贄となった小羊となんらかの関係性があったのかもしれません。
小羊は、やぶに引っかかり、耳が裂けていたのかもしれません。

古代の日本には、羊は存在しませんでした。
それが、鹿で代用した理由だったのかもしれません。
鹿はコーシャ「ユダヤ教の食事規定に従った食品」でもあります。
古代でさえ、鹿を生贄にする祭事は奇妙だと人々は感じていました。

友人の一人がイスラエルを訪れた際
サマリアのゲリジム山で
過越祭(すぎこしのまつり)を見物しました。
友人がサマリア人の祭司に何匹の小羊が捧げられたのかを尋ねた所
昔は75匹捧げていたという答えが返ってきました。
これは、まさしく日本の諏訪大社の鹿の生贄の数と一致しており
この一致は、2つの儀式が関連している証しなのかもしれません。

この祭は、ミサクチ神に捧げる祭と呼ばれています。
ミサクチというのは、おそらく「ミ・イサク・チ」で
ミは「御」、イクサはアブラハムの息子、チは何かの接尾語でしょう。
つまり、諏訪の人たちは、イサクにちなんでこの祭を始めたようです。

現在では、犠牲になりかけた少年が助けられる行事は
もう行われていませんが、犠牲の柱を意味する
「御贄柱」と呼ばれる柱に、今もその行事の面影を見ることができます。

今は、動物の生贄を捧げる儀式は
本物の動物ではなく、はく製で代用しています。
動物を生贄に捧げる行事は、明治時代の人々に
残酷とみなされ、これの祭事は廃れてしまいましたが
祭そのものは現在も行なわれています。

御頭祭は、古代よりモリヤ(守矢)一族により
代々引継がれています。(78世代に渡り)
モリヤという名称は
エルサレムの現在のテンプルマウント(神殿の山)
であり、創世記第22章2節にある
「モリヤ」に由来しているのでしょう。
モリヤの神は、ユダヤ人にとって、聖書が教える
唯一の真の神の意味です。

私が知る限り、アブラハムとイサクの
聖書の物語を再現する祭を行っているのは
日本以外には存在しません。
この伝統は、イスラエルの民が
古代日本にやって来ていたという有力な証拠でしょう。

山伏(やまぶし)とは
日本特有の、宗教的な修行をする男性の事です。
山伏は仏教に属するとみなされますが
中国でも、韓国でも、インドでも
仏教にそのような習慣は存在しません。
山伏は、仏教が日本に伝来した6世紀より前から
日本に存在していました。

山伏は額に「トキン」(頭巾)と呼ばれる
小さな黒い箱を、黒い紐でつけています。
これは、ユダヤ人が額にフィラクテリーを
黒い紐でつけるのに酷似しています。

ユダヤ人のフィラクテリーとは異なって
山伏の黒い箱の形は、花のような丸みを帯びていますが
サイズはほぼ同じです。
筆者が知る限りにおいて
宗教的な目的で額に黒い箱をつける習慣があるのは
イスラエルと日本だけです。

 



また、山伏は、ほら貝を笛にしています。
これは、ユダヤ人がショーファー
つまり雄羊の角でつくった角笛を吹く習慣とそっくりです。
日本には羊がいなかったため
山伏は、羊の角の代わりに、貝を代用しなければならなかったのです。



日本には、山伏の格好をして
山に住んでいる「天狗」の伝説があります。
天狗は鼻が高く、超人的な能力を持っていると言われています。

その昔、主人に仕えるエージェント
あるいはスパイであった「忍者」は
山に赴(おもむ)いて天狗から超人的能力を伝授されたといいます。
天狗は、忍者に能力を授けたあと、「トラの巻」を与えます。
「トラの巻」は、いかなる危機的状況でも役に立つ
極めて貴重な本とみなされています。

日本人は、現在でも
「トラの巻」という言葉を日常的に使う事があります。
ユダヤのトーラーの巻物の現物が
日本の歴史的な場所で発見されたという報告はありませんが
日本の「トラの巻」伝説が
ユダヤの「トーラーの巻物」に由来していることは十分考えられます。

トーラーには、古代イスラエルの王ダビデが
主の契約の箱(アーク)を
エルサレムに持ち帰ったという記述があります。

ダビデとイスラエルの長老たち、及び千人の長たちは行って
オベデ・エドムの家から主の契約の箱を喜び勇んでかつぎ上った。
神が主の契約の箱をかつぐレビびとを助けられたので
彼らは雄牛7頭、雄羊7頭を捧げた。

ダビデは白亜麻布(あまふ)の衣服を着ていた。
箱をかつぐすべてのレビびと、歌うたう者
音楽をつかさどるケナニヤも同様である。

ダビデはまた亜麻布のエポデを着ていた。
こうしてイスラエルは皆、声をあげ
角笛を吹きならし、ラッパと、シンバルと
立琴と琴を持って打ちはやして主の契約の箱をかつぎ上った。
第一歴代誌15:25-28

この一節を読んで
「この様子は、日本人が祭の時に
お神輿(みこし)をかついでいる光景と
どれほど似通っていることだろう。
しかも、日本のお神輿の形は契約の箱にそっくりです。
日本人は、通常、2本の棒を肩にのせてお神輿をかつぎます。
古代イスラエルの民も同じです。

 



 

 

数年前「キング・ダビデ」という
アメリカ映画を観ました。
映画の中で、箱がエルサレムに運ばれている間に
ダビデが箱の前で踊っているシーンがあります。

ダビデのダンスも、日本の伝統的な踊りである
阿波踊りに似ていると思いました。

 


京都にある八坂(やさか)神社のお祭(祇園祭)では
男性がお神輿をかついで川に入り、川を渡ります。
この慣わしは、古代イスラエルの民がエジプトを脱出したあと
箱をかついでヨルダン川を渡った出来事が元になっているに違いありません。

また、箱がエルサレムに到着し
行進が終ったあと、イスラエルの人々に男にも女にも
おのおの、パン1つ、肉切れ、干しぶどう一かたまりを
分け与えたと聖書にあります。
これも、日本の習慣に似ています。
お祭の後には、甘い菓子が振舞われます。

日本の神官は、裾に20~30センチ位の
房(ふさ)の付いた衣を着用します。
この房は、古代イスラエルのものと似ています。



房(糸をたばねてたらしたもの)は
それを身につける者がイスラエル人である証しでした。
ユダヤ人が祈りの時につける肩衣(祈りのショール)
には、伝統に基づき、隅に房が付いています。

日本の神官は、イスラエルの祭司と同じく
烏帽子(えぼし)を被り、腰に腰ひもを巻きます。
日本の神官の衣は、古代イスラエルで着用された服に似ています。



日本の神社の正面には、狛犬(こまいぬ)と呼ばれる
2体のライオン(獅子)像が参道の両側に座っています。
狛犬は、崇拝の対象ではなく、神社を守る番人です。
これも古代イスラエルの習慣と一緒です。





初期の日本には、ライオンは存在しませんでした。
にもかかわらず、古代より、日本の神社には
ライオンの像が設置されてきたのです。
ライオンの像が日本の神社の正面に置かれるようになったのは
中東が発祥であることが、学者によって証明されています。

日本の神社の入口付近には参拝者が手を洗い
口をすすぐための手水舎(てみずや)があります。
昔は、そこで足も洗っていました。
ユダヤのシナゴーグ(会堂)でも
これに似た習慣があります。
古代のイスラエルの幕屋(まくや)や神殿も
入口近くに手と足を清めるための水盤(すいばん)がありました。



日本の神社の境内入口の鳥居は
日本固有のもので、中国や韓国には存在しません。

イスラエルの神殿では、2本の柱が門として使われていました。
古代イスラエルの民が使っていたアラム語では
この門を指す言葉は、タラアです。
この言葉がわずかに変化して日本の鳥居(トリイ)になったのだと
ヨセフ・アイデルバーグは述べています。



鳥居は、神社によっては朱色に塗られています。
これは、エジプト脱出の前夜に、イスラエル人の家の
「2本の門柱とかもい」に小羊の血が塗られた出来事を
思い起こさずにはいられません。

神道では、神聖な場所を
しめ縄と呼ばれるロープで囲う習慣があります。
しめ縄の所々に白い紙が織り込まれています。
しめ縄は結界を作る役目を果しているのです。
モーセは、シナイ山で神の十戒を与えられた時
イスラエルの民が近づけないように
その周囲に境界を作った、と聖書にあります。
そして、ロープに織り込まれたジグザク型の白い紙は
シナイ山の雷を想起させます。



日本人が神社の拝殿の前で祈る時
最初にその前面中央にある金の鈴を鳴らします。
古代イスラエルも、大司祭アロンは
祭服の縁に金の鈴をつけていました。
これは、その鈴の音が聞こえるように
それによって就任中は死なないように
という目的によるものでした。

日本人は、神社を参拝する時に
拍手(かしわで)を2回打ちます。
この行為は、古代イスラエルでは
「私は約束を果たします」という意味でした。

聖書には、誓約と訳されている言葉があります。
この言葉のヘブライ語の本来の意味は
「手を叩く」です。

古代イスラエルの民は、誓約する時
あるいは何か重要なことをする時
手を叩いたのです。

お辞儀は、古代イスラエルにおいても習慣でした。

現代の一般ユダヤ人は、お辞儀をしませんが
祈りを唱える時には、お辞儀をします。
現代のエチオピア人にはお辞儀の習慣がありますが
それはおそらく古代にユダヤ人が
エチオピアに移住したためではないでしょうか。
エチオピア人のお辞儀の仕方は日本人のそれと全く同様です。

仏教の寺には、仏陀(ぶっだ)や
他の神々の形に彫られた偶像(彫刻)があります。
しかし、日本の神社には、偶像はありません。
神社の本殿の中央には、鏡、剣、あるいは
祓幣(はらいぬさ)などが置かれています。

とはいえ、神道の信者は
これらの物を神とみなしているわけではありません。
神道では、神は不可視な存在と考えられているのです。
これらは偶像ではなく、見えない神が降臨する
聖所であるということを示す物に過ぎません。

古代イスラエルの契約の箱の中には
神の十戒が刻まれた石板
マナの壺、アロンの杖が収められていました。
古代イスラエルも同じことが言えます。





今日の神道と、ユダヤ教の一番大きな違いは
神道は多神教であり、ユダヤ教は唯一の神を信仰する点でしょう。

しかし、現代のユダヤ教と違い
古代イスラエルにおける宗教
特に北朝イスラエルの10支族においては
偶像崇拝と、多神教の傾向がみられました。

信仰していたのは唯一の真のヤハウェだけでなく
バアル、アスタロト、モレクなど、他の神をも信仰していました。
神道の多神教システムは
古代の北朝イスラエルの多神教に由来しているように
思われます。

たとえば、神道の神であるスサノオは
いくつかの点において、バアルに似ており
神道の女神であるアマテラスは、同様にアスタロトに似ていると
宗教学者たちは述べています。

さらに、現在の神道は多神教ですが、古代の神道は
ヤハウェを信仰していたと筆者はみています。

神道の神の中で、最初に現れたのは
アメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)でした。
この神が、最初の神であり、宇宙の中心に住み
形が無く、不死であり、不可視な宇宙の主であり
究極の神であったといわれています。
この神は、宇宙の主としての性質から、聖書の神とよく似ています。

聖書の記述と日本神話には
驚くべき類似性があります。
日本神話のニニギノミコトに関する物語が
聖書のヤコブに関する物語に酷似しているのです。

日本神話では、当初、ニニギノミコトではなく
別の者が、天から降りてくるはずでした。
ところが、その者が準備をしている間に
ニニギノミコトが生まれ、結果的に
その者の代わりに、ニニギノミコトが天から来て
大和民族の祖先となったのです。

これと同様に、聖書によると
ヤコブの兄であるエサウが、民族の後継者になるはずでしたのに
祝福はエサウではなく、ヤコブに与えられ
結果的に、ヤコブがイスラエル民族の祖先になったのです。



細かい点を除けば、日本神話の大筋は
聖書の記述に酷似しています。
8世紀に編纂(へんさん)された日本の歴史書である
「古事記」及び「日本書紀」の神話は
元々聖書の物語に基づいたものが
後に様々な多神教(異教的)要素が加えられたと
推測することができます。

日本神話は、本来日本人が
ヤコブ、ヨセフ、エフライムの血統である
ということを示す系図の一種であるという考え方さえ可能です。

近年、細胞内のY染色体DNA
(遺伝子)に関する研究が進み
日本人の約40%は
「D系統」遺伝子の持ち主であることがわかりました。
D系統遺伝子は、世界の中でも珍しく
日本人とチベット人だけが高率で保有しています。
D系統は、中国人や韓国人などにさえほとんどみられません。

DNA研究者によれば、このD系統は
世界中のユダヤ人グループにみられる
E系統と近縁であり、また同祖です。
両者は中近東辺りで2つに分かれたものであり
もとは一つだったのです。

E系統はまた
「イスラエルの失われた10支族」の末裔といわれる
「パタン族」(アフガニスタンやパキスタンに住む)
にも顕著にみられます。

さらに10支族中の「ナフタリ族」
「イッサカル族」(ウズベキスタン)
も約28%がE系統です。

10支族中「ダン族」に属するといわれる
「エチオピア・ユダヤ人」も約50%がE系統です。

チベットの近く、中国南西部に住む「チャン族」
(チャン・ミン族)は
チベット・ビルマ語族に属する言葉を話し
一般に「チベット系民族」といわれていますが
彼らも約23%がD系統です。

チャン族は、古代イスラエル人の
風習文化を色濃く持っている民族で
多くの研究者から
「イスラエルの失われた10支族」の
末裔といわれています。

ところで、現代ユダヤ人は
アシュケナージ・ユダヤ人も、スファラディ・ユダヤ人も
おもにJ系統、E系統、R系統などを持っています。

ある人々は、大祭司アロンの子孫といわれる
「コ―ヘン」の姓を持つユダヤ人に
J系統が突出して多いことから
J系統こそ古代ユダヤ人特有のDNAだったと考えます。

しかし、大司祭アロンが属していたレビ族の間では
J系統は突出しておらず、他の部族同様にE系統が多くみられます。

10支族がたどり着いたといわれている
アルザルとは、一体どこにあるのでしょう?
地図を見ても、世界のどこにもその地名を見つけることはできません。
この地名は、ヘブライ語で、「別の土地」を意味し
あるいは、「地の果て」「最果ての地」を意味することになります。
その土地が日本を意味すると考えた人は少なくありません。

日本の結婚について、一人の日本人女性が
思い出を語ってくれました。
ある日のこと、彼女の母親が彼女の叔母の結婚について
彼女に話したそうです。
叔母の夫が戦死した後、叔母夫婦には子供がいなかったのですが
叔母は、独身だった亡き夫の兄と結婚しました。

この結婚について、母親は彼女に言ったそうです。
「これが、日本の伝統的な習慣なのよ」と。
それを聞いた彼女は
「現代は、自由恋愛の時代であり、愛する人と結婚するのが当然なのに」
と彼女には、母親が言っている事が理解できませんでした。
ところが、後に、これがユダヤの習慣と同じだと知って彼女は驚きました。

もし、兄弟が一緒に暮らしていて、そのうちの一方が
子供のいないまま死んだとします。
残された妻は、家族以外の他人と結婚してはならない。
亡き夫の兄弟が彼女を妻として迎え
彼女のために夫としての役割を果たさなければならない
と聖書に記されているのです。
現代の日本では、通常はこの習慣を見ることはありません。
最近まで、日本で広範に実践されてきた習慣なのです。

古代日本では、日本の統治にあたり
神道派と仏教派の間ですさまじい闘争が繰り広げられました。

神道派の物部(もののべ)氏と
仏教派の蘇我(そが)氏との間の闘争です。

統治の権力は、いったんは、仏教派が手中に収めたものの
後に、大化の改新(645年)によって
神道派が統一の権力を奪回(だっかい)しました。

この大化の改新は、神道復権の時だったため
古代イスラエルとの関係が見え隠れしています。

大化の改新で発布された法律は
モーセの律法と酷似しています。

日本では、天皇は「ミカド」という称号で呼ばれていますが
これは、ヘブライ語で高貴を意味する「ミガドル」に発音が似ています。

天皇は、スメラミコトという尊称とともに呼ばれることもありますが
ヘブライ語に解釈すると、「サマリアの王」という意味になります。

天皇と皇后の墓の、日本古代の名称は「御陵(みささぎ)」ですが
ヘブライ語では、死者を閉ざすことを意味します。

古事記と日本書記には
イスラエルを連想させるたくさんの言葉が見受けられます。

奈良県の「飛鳥」は
ヘブライ語で幕屋を意味する「ハスカ」に似ています。
飛鳥には、かつて天皇の御所が建てられていました。

日本語で貴族の人に仕える、従う、護衛するという意味の
侍(さぶら)うは、ヘブライ語で護衛するを意味する。

研究者たちは、この他にも
500語以上の類似単語を、リストアップしています。

2つの言語の間には、語源的な関連性があったと
考えるのが適切ではないでしょうか。

「太秦(うずまさ)」は秦氏一族が信奉した神の名でした。
ウズマサは、ヘブライ語やアラム語でイエス・キリストを意味する
イシュ・マシャがなまったものだろうということです。
太秦は、京都で秦氏が多く住んだ所の地名にもなりました。

穢多(えた)と呼ばれる人々は
様々な産業に従事していましたが、特に靴職人が有名でした。
ヨーロッパのユダヤ人のように、彼らはゲットー(貧民街)に住み
他の人から離れて住んでいました。
彼らの中には、商業に携わり
ビジネスマンとして成功を収めた者もいます。

彼らの外見は日本人には見えず、女性の場合は
モンゴロイド系というよりは、セム系(ユダヤ系)に見えました。

もっとも着目するべき点は、エタと呼ばれる人々が
ユダヤの習慣を遵守(じゅんしゅ)しているということです。

長崎にあるゲットーのエタの人々は

安息日を忠実に励行(れいこう)していて
熱心なユダヤ人同様、その日には、タバコを吸わず
火も使わず、仕事もしません。

群馬県には、たくさんの外国人という意味の
「多胡(たご)」と呼ばれる場所があります。
学者たちは、そこに、たくさんの外国人が住んでいたために
そう名付けられたと主張しています。

そこに多胡碑、あるいは羊太夫(ひつじだゆう)碑があります。
711年に建立されたものですが
碑のかたわらから十字架、及びJNRIの文字
INRIと同じで、ユダヤ人の王
ナザレのイエスを意味する頭文字が発見されています。

記念碑の名前の羊は
多胡の地のリーダーであった人の名で
この地域には羊も多く飼われていました。
中国北部産の寒羊(かんよう)は
イスラエル産のアワシ種の羊と同じものであり
群馬県で奈良時代(8世紀)まで育てられてきた羊も
寒羊だとみなしました。

日本には、元々在来の羊はいませんでした。
群馬県の羊は、イスラエル人の可能性をもった
秦氏、景(けい)教徒たちが日本に連れて来た羊なのかもしれません。

日本の神社の中で、もっとも多いのが
八幡(ヤハタ)系神社で
これはかつては「ヤハダ」と呼ばれていました。

八幡の神は、秦氏が信仰していた神です。
秦氏はユダヤ系東方キリスト教徒だと考えました。
ヤハダは、元々ヘブライ語で、ユダヤを起源と考えました。
そうすると、ヤハダの神は、ユダヤの神と同一だということになります。
日本の「古事記」には、ヤハダの神は
外国の神であると、明確に記されています。

日本には、桃太郎という、おとぎ話がありますが
その中で、桃太郎は、鬼ヶ島に行った時
「エンヤラヤー」と歌って、家来を元気づけました。
これは、ヘブライ語で「私はヤハウェを讃(たた)える」
を意味します。

794年に、日本の都は奈良から京都に移りました。
平安京を造り、京都を日本の首都にするのに
積極的に動いたのが秦氏(はた/はだうじ・はた/はだし)でした。
秦氏は敷地、財産、テクノロジーを駆使して
平安京を造営しました。

日本の初期に、大勢を伴って渡来した秦氏は
日本各地に移り住み、8世紀にはすでに
日本で大きな影響力を持っていました。

平安京という名称は、平和を意味するため
ヘブライ語で平和の都という意味の
エルサレムという都市名を連想させます。
もし、エルサレムを日本語に訳すとすれば
まさに平安京となるでしょう。

平安京への遷都(せんと)のあと
祇園祭(ぎおんまつり)と呼ばれる祭が
京都で開催されるようになりました。
中でも、その中心となるのが
京都の八坂(やさか)神社で行われる祇園祭です。

京都の祇園祭の主要な行事は
7月17日、及び7月17日以降の8日間と
7月1日及び7月10日です。
第7月の17日は、奇遇にも、ノアの方舟が
アララト山に漂着した日と一致しています。

祇園祭はいつも「エンヤラヤー」の掛声と共にはじまります。
しかし、当の日本人に掛声の意味を尋ねても
「わからない」という答えが返ってくるだけです。

秦氏の人々は、紀元前の古代日本に渡来した外国人の中で
多数派の一つでした。

古代の日本の書「新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)」
によれば、太秦(うずまさ)の王、宿禰(すくね)に導かれた
秦氏一族が、仲哀天皇(ちゅうあい)天皇の
治世(ちせい)に来日しました。(一説には西暦356年)

さらに応神(おうじん)天皇の治世には
融通(ゆうずう)王に率いられた2万人近い秦氏が渡来し
日本に帰化しました(一説には372年)

これは実に大勢でした。
王は、シルクロードを経由して持ち込んできた
大量の金、銀、シルク、その他の財宝を皇室に献上しました。

秦氏は5世紀にも来日しています。
それ以後にも、大勢の秦氏が来日し、日本に帰化しました。
彼らは長身で、外見、言語、習慣の点において
日本人とは異なっていたと記されています。

秦氏は、秦の始皇帝が築き始めた
万里の長城の建設を命じられたのですが
その苦役に耐えられず、満州を経由して朝鮮半島に逃れました。

そこで再び苦難に遭遇したものの
秦氏から卓越した文明を学びたかった日本の天皇が
秦氏に手を差し伸べ、ようやく彼らは救われたのです。

秦氏はこの時の天皇の慈悲に感謝したので
一族は日本の天皇家のために、忠実に仕えたのです。

京都の秦氏の本拠地だった広隆寺 (こうりゅうじ)の内部には
弥勒菩薩(みろくぼさつ)像が安置されています。
なぜ秦氏の寺院に、仏教像があるのでしょうか。

弥勒菩薩への信仰心は、インドに伝来したユダヤ教
あるいはキリスト教のメシヤ信仰から生じたということです。

インドに伝来したメシア信仰は、のちにマイトレーヤに変わり
それが中国に伝わってミレフへと変わり
それが後に日本に伝来してミロク菩薩に変わりました。
弥勒菩薩(メシア)信仰は、秦氏の故郷であるクンユエでも盛んでした。
秦氏は弥勒の中に、メシア、イエスを見ていたようです。

日本とイスラエルの10支族の関係を考えるにあたっては
日本の天皇の存在を考慮することが重要です。
日本の天皇は、王であるだけでなく
一種の大祭司(ほぼすべてがレビ族の子孫)でもあるのです。
彼は祭祀王(さいしおう)なのです。
天皇は神道と深い関係にあり、神道の中心的存在です。

一体どのような経緯で
世襲制の天皇システムを構築し始めたのでしょうか?
研究者は、イスラエルの王家の家系(エフライム)が
来日したためであると考えました。
古代イスラエルの王も、単なる王ではなく、聖職者でもありました。

ソロモン王の没後、古代イスラエルでは
王家の血統は2つに枝分かれしました。

一方は、南ユダヤ王国
もう一方は北イスラエル王国に継承されました。
南王国では、王の血統が統治しましたが
バビロン人による追放後、その権力を失いました。
では、北王国は、どうだったのでしょうか。

北王国の最後の王は、ホセア王でした。
聖書によれば、北王国のすべての王が神の教えを無視しましたが
それでもホセア王は、他の王たちに比べればマシな方だったようです。
彼は悪政を行いましたが、彼以前の王ほどではなかったという
記述が聖書にあるからです。

ホセア王と彼の配下は紀元前722年にアッシリアへ追放されました。
イスラエル北王国の王家の血統は
元々ユダの王家の血統に対する反逆から生まれました。

そうした背景から、追放の後、イスラエルに戻るよりは
はるか彼方の地へ行って、新たに建国し
自分たちが実現しえなかったことを
実現しようと試みたという可能性は十分にあります。

では、日本の天皇はいつから存在し始めたのでしょうか?
伝承の上では
初代天皇である神武(じんむ)天皇が即位したとされる
紀元前660年からといわれています。
日本の皇室は、秦氏が最初に来日するより前に
すでに存在していたのです。

日本の皇室は、早くから渡来した
イスラエル10支族の王家血統とつながっているのでしょうか?

古事記、日本書記に記されている日本の初代天皇である
神武天皇の正式名称は、注目すべきものです。

「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」

と言います。

これを、ある程度のなまりを考慮して
ヘブライ語に訳すと

「サマリアの王、ヤハウェのヘブライ民族の高尚な創設者」

これは、必ずしも、神武天皇が実際にサマリアの王
イスラエル10支族の王であったという意味というより
むしろ来日したサマリアの王家の記憶が
日本の初代天皇の神武天皇伝説に取り入れられた
ということを意味するのかもしれません。

645年、日本では、極めて貴重な古い文書や
古記録が保管されていた、朝廷図書館が全焼するという
大変残念な出来事がありました。

神道推進派と仏教推進派の間で闘争が起こり
その結果、仏教推進派である蘇我氏が図書館に放火したため
収められていた重要な書物も記録も
すべて焼失してしまったのです。

現存する日本の書物の中で最古のものは
「古事記」ですが、この古事記でさえも
712年成立で、朝廷図書館が全焼した67年後になります。

その図書館には「古事記」より古い書物が
山のように所蔵されていたのです。
トーラーの巻物もそこにあったのではないかと
憶測をめぐらす人もいます。
その可能性は否めませんが、大化の改新で制定された法律は
どうやらトーラーの教えを参考にしたようなものです。

日本人の過去、あるいは起源を知る方法が絶たれてしまったと
諦める必要はありません。
多くの日本の天皇陵(りょう)の内部は
いまだ調査されていないか
あるいは未公開だと聞きました。

それが調査される時には、日本人のルーツについて
もっと知る事ができると私は信じています。

日本の天皇陵が、学術的に調査されたら
日本人は自らの過去を取り戻すことができるかもしれません。

三重県にある伊勢神宮は
日本の皇室のために建立された神社です。
神宮への参道の両側には、石造の灯籠(とうろう)があります。

それぞれの灯籠の最上部付近に
ユダヤのダビデの星のマークと同一のものが彫刻されています。
(現在は別の紋におきかえられている)
元伊勢神宮である、真名井(まない)神社の紋章もまた
ダビデの星と同じデザインなのです。



ダビデの星がユダヤの正式なシンボルとなったのは
17世紀のことですが、ユダヤは古来より
このシンボルを記念碑によく使用していました。

日本の皇室では
古代の日本神話に由来する3つの貴重な宝物があります。

その3つとは、剣、勾玉(宝石のペンダント)、鏡です。

鏡は、八咫鏡(やたのかがみ)と呼ばれており
伊勢神宮に保管されています。
この神聖な鏡の裏には、ヘブライ語で
神の名前が記されていると噂されています。
この鏡は、極めて神聖なものとみなされており
通常は誰もそれを見ることを許されません。

ところが
それを見たことがあると主張する数名の人物がいるのです。
数百年前、当時の文部科学大臣、森有礼(もりありのり)は
神聖な鏡の裏側を見たと主張しました。
森氏が言うには、そこに書かれていた神の名前は
(私は「私は在る」という者である)
に相当するヘブライ語であり
これは、神がモーセに語った時に使った名前です。

また、ヘブライ語で
「ヤハウェの光」と判読できるという見解の人たちもいます。

いつか、鏡の現物か、あるいはその写真でも構わないので
公開される日を待ち望んでいます。