2011年1月発行
[新装版]2020年2月発行
 

↑より抜粋


私たちは明治天皇陛下を

共通の祖父として生を与えられております。
けれども明治天皇というお立場上
肉声を伺うということになると
なかなかできません。

小林様のお母様であられる仁(しのぶ)様は
明治天皇のお言葉や、御(み)思いを
ふだん親しく伺っておられたと聞いております。
今日はぜひ、そこのところをお伺いできればと思います。

小林牧師
母・仁は、私が成長し、やがて日本という国について
意識するようになりました時に
初めて本当の事を言ってくれました。

私(仁)の父(明治天皇)が言われたのよ。

「日本は神道だが、神道はもとはユダヤ教である。
天皇の権限で日本の歴史を調べたが
神道は紀元前には、この日本にユダヤ教として入って来た。
そして、のちに入って来た原始キリスト教に習合させている。
だから日本はキリスト教が中心になってくるべきだ」と。

天皇家の由来についても
明治天皇はこのように語っておられたと
母は、繰り返し言っておりました。

「日本は元は、ユダヤ教が母体として入ってきたのだから
日本の天皇家の中心も、日本の国全体の中心も
その源はユダヤにある。
それを完成したのがキリストでありキリスト教である」と。

それは本当に衝撃的なお言葉ですね。

明治天皇は、平素深い愛をもって
信頼をおかれていた内親王(ないしんのう)である母、仁に
「おまえが男であったらなぁ」と何度も洩らしておられたことを
母は私にポツリと話したことを憶えています。

更に続けて
「いよいよ、お前が結婚して男の子が生まれたら牧師にするんだよ。
きっと役に立つ時が来るよ」とも話したことも。

「仁、覚えておけよ。これは推測じゃないよ。
自分が天皇という立場で調べさせた結果、それをお前に言うんだ」

その結果というのが
「日本の国は古代からユダヤの流れなんだよ」
ということでした。

ご存じのように私(中丸)の父
堀川辰吉郎は、明治天皇と御側女官(おそばにょかん)の
権典侍(ごんのなしのすけ)
千種任子(ちぐさことこ)との間に生まれた子でした。
ですから、明治天皇といえば
私の実の祖父に当たる人物となります。
そんなことを知っている、ある新聞社の記者が
私の元を訪ねてこられました。
2001年4月9日のことです。

そして、その記者は天皇家の系図を広げながら
こんなことを言い出したのです。

「明治維新というのは
単に幕府を倒して王政復古を実現するためだけに
あったのではありません。
実は北朝の天皇家には足利義満(よしみつ)の時以来
天皇の血脈が流れていません。
そのため、天皇家の血脈を持っている南朝に
天皇の座を取り戻すために
勤皇(きんのう)の志士たちが決起した革命なんですよ。」

たしかに系図によりますと、南北朝の動乱後
天皇家は北朝の流れを汲んでいます。
99代の後亀山(ごかめやま)天皇(?ー1424年)
を最後に南朝は絶えています。
その後は系図上でも抹殺されているようで
その子孫についても文献が無く、定かではなくなっていたのです。

その一方で、北朝は100代目
後小松(ごこまつ)天皇(1377ー1433)の即位の後
121代孝明(こうめい)天皇へとずっと継承されてきていたのです。
歴史上は、この孝明天皇が明治天皇の父となる人です。
しかし、その記者は言い放ちました。

「南朝の末裔に、大室寅之助(おおむろとらのすけ)

という人がいました。
後醍醐(ごだいご)天皇(1288-1339年)
の玄孫(げんそん)のさらに孫ぐらいに当たる人物です。
その寅之助を勤皇の志士である伊藤博文や桂小五郎らが
本来の天皇であるべき血脈である
寅之助の擁立(ようりつ)をはかったのです。」

この時の私は
まだこのようなことの調査に着手する前ですから
非常な驚きに打たれました。

滅亡したとされる南朝がその血脈を絶やすことなく
守り続けていたことも驚きならば
維新のさなかに
北朝天皇家と入れ替わったというのですから。

「ここからが重要なのですが……」

先ほどの記者が続けます。

「犬猿の仲だった
薩摩(さつま)と長州(ちょうしゅう)は
どうして同盟を結んだと思いますか。
一般には坂本龍馬が尽力(じんりょく)して
両藩を説き伏せたといわれています。
果たしてそれだけで仲良く手を組めるものでしょうか。
最後は西郷隆盛(薩摩)が折れて
両藩が同盟を結ぶことになったとされていますが
実はその理由は西郷に隠されていたのです。」

どういう事かといいますと
西郷の本家である菊池家の祖先は
南北朝時代に九州勢力の中心として南朝の側にあった。
そのような家系にある西郷は、南朝の末裔が

長州にかくまわれている事を知っていたというのです。

私は以前、山口県の萩(はぎ)市へ講演へ行った折
主催者に案内されて毛利(もうり)家ゆかりの寺へ行きました。
するとそこに
明治天皇が来訪したことを伝える石碑が建っていたのですが
その脇にはなんと
井上馨(かおる)の胸像(きょうぞう)があったのです。

私の父、堀川辰吉郎は、実は生まれるとすぐに
井上馨の元に預けられていたのです。

調べてみると
長州藩主、毛利敬親(たかちか)の祖は
大江季光(おおえのすえみつ)
大江家は代々、南朝に仕えていたのです。
南朝の末裔たちは、毛利家、長州藩の武士たちにかくまわれて
細々と生き延びてきていたのではないか。
ならば、明治天皇となった寅之助にとってみれば
ここは故郷となるわけです。

その記者はさらに、こう続けました。
「寅之助には弟が1人いました。
その弟に久子さんという孫がいて
現在92歳になられ、九州のほうで暮らしています。
その久子さんからDNA鑑定書をいただいてきました。
そこで、あつかましいお願いなのですが
先生にも鑑定を受けていただきたいのです。」

私が了解すると、その記者の方は翌日再び訪ねてきて
私の口内から鑑定に使う細胞を採っていったのです。

その翌日4月11日
私はかねてから予定しておりました
桜にぎわう奈良県の吉野というところへ行きました。
そこで、後醍醐天皇の祀(まつ)られている
吉水(よしみず)神社に参拝し
神武(じんむ)天皇ゆかりの地を訪問する予定だったのです。
さっそく出かけてみると、吉水神社の前にはなんと
「明治維新は南朝の確立」と刻んだ碑が建てられてあったのです。

私にはこのようなシンクロニシティ
(共時性)がついて回るようです。
その時同行の人に、その記者のお話をしますと
すでに明治天皇の謎に迫る本が出版されているというのです。
それは「裏切られた3人の天皇」という本です。

その本には、坂本龍馬の門下生であり
のちに伊藤博文とともに明治天皇の腹心になった
田中光顕(みつあき)伯爵(はくしゃく)の証言が
掲載されています。

田中伯爵は
「明治天皇は孝明天皇の皇子(みこ、おうじ)ではない。
睦仁親王(むつひとしんのう)は、孝明天皇崩御(ほうぎょ)
と同時に、ただちに即位したとなっているが
実は睦仁皇子は殺められ
擁立(ようりつ)された明治天皇は
後醍醐天皇の、第11番目の皇子
満良(みつなが)親王の御王孫(ごおうそん)で
大室寅之助である」と述べています。

つまり、この満良親王は、毛利家の先祖である
大江氏にかくまわれて長州に逃れたのです。
その後、毛利氏がその血脈を山口県の萩において守り続けたのです。

そのために王政復古の狼煙(のろし)は
長州から上がることになったのです。

桂小五郎(木戸孝允:きどたかよし)こそ
吉田松陰(しょういん)の後を継いで
勤皇の志士たちを率いた人物ですが
この桂小五郎が

「われわれ南朝の御正系をお立てして王政復古をするのだ」

と、西郷隆盛に打ち明けたのです。

西郷は西郷で、南朝の忠臣だった菊池家の子孫でしたから
その裏があってこそ、薩長同盟は成り立ったのです。

私は、寅之助の弟の孫である久子様にもお会いして
その事を確認しましたし、その事実を隠すために
実の弟さんが、どのような目にあったかもお聞きしています。
それはそれは、すさまじいことになっていたのですが
今回は触れずにおきます。

さらに
寅之助の出身地である山口県田布施(たぶせ)地区は
ユダヤ・秦氏とも関係の深い特殊な場所だったようです。
そのごくわずかな地域に
伊藤博文、桂小五郎らの生家が隣接しているのです。

吉野の里をあとにして
私は4月14日には、講演会のために大阪に入ったのです。
帝国ホテルでの講演のあと
食事会に招かれた時、正面に座った方から
「これはフルベッキのお孫さんが持っていたものですが
私より中丸先生が持っていらした方がよいと思います。」
と額に入った写真を手渡しされたのです。

それは驚くべき集合写真でした。
その写真には大室寅之助(明治天皇)を始め
維新の志士たちがフルベッキを囲んで総登場しています。
フルベッキは1864年に
長崎の済美(さいび)館で教えはじめるのです。
そこで明治維新の主力たち40人以上の志士たちの指導にあたった。
彼らは皆、フルベッキの塾生たちなのです。

 



明治維新とは
結局フルベッキの思想と、吉田松陰の思想に触発され
薩摩藩の資金で達成されたとも言われていますでしょう。
グラバーも、龍馬に資金を与え、1866年正月の
薩長同盟の背後で、武器供与をしていたと言われています。

幕府側には、フランスのロッシュ
尊王(そんのう)側には、イギリスのグラバーが
武器と資金を提供しました。

日本では志士たちの活躍
そして、徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還(たいせいほうかん)
(政権返上を明治天皇へ奏上:そうじょう)
したことなどによって
危機を最小限におさえたのだと思います。

その後、日本は富国強兵(ふこくきょうへい)を成し遂げ
45年で欧米列強の産業国家に追いついてしまった。
その指導者が、明治天皇であったことは疑い得ないことですが
そのバックには、フルベッキとその思想があったことが
ようやく明るみに出てきたわけです。

リボルバーを懐に忍ばせた姿は
坂本龍馬にぴたりと重なります。
それもそのはず、彼の師匠はフルベッキだったのですから。

 



それにしても、当時フルベッキを慕ってきた
あらゆる階層にわたる、おびただしい日本人の皆が
フルベッキの働きについての「緘口令(かんこうれい)」
を忠実に守った。
誰一人口外しなかったということ
これは驚きです。
そしてここに、近代史の隠された大きな部分があるのですね。

正しい内外の情報と的確な判断
そして何よりも決然たる実行力を持ったフルベッキという
指導者の存在があってこそ
初めて未曾有(みぞう)の難局に打ち勝つことができた。
それは歴史が証明しています。
日本人はもっとこの事実を知るべきです。

フルベッキの存在が
明治天皇の御思いに、深く刻みこまれた訳がよくわかります。

植民地化の魔手(ましゅ)から逃れている国は世界中で
タイと日本の2つの国だったわけですから。

日本人は不思議な民族ですね。
「伊勢大神宮」は外国の諸賢(しょけん)が
口を揃えてその神秘性と厳粛(げんしゅく)さを体験されております。
それに世界遺産で話題になっております。
「熊野古道(くまのこどう)」での「熊野詣(くまのもう)」は
その後、お伊勢参りに引き継がれ隆盛を極めたと。

「熊野詣で」も平安時代、天皇の参拝の聖地でした。

中東のムスリム諸国では、古くからイエスのことを
イセ、イス、イシュ、エシュと呼び
偉大な聖人、預言者として礼拝しています。
日本の歴史を知らないイスラム教徒の知人は
伊勢神宮のことを聞きつけて
イエス・キリストが祀られているのかと聞いてきたことがあります。
その時私(小林牧師)は
「その通りです」と答えたことは言うまでもありません。

なんと、伊勢神宮の元始は
原始キリスト教だったのですね。

しかも、明治天皇が指摘されている通り
旧約時代のユダヤの神が、その基盤となって習合したのです。

神殿建築を司り、神事を執(と)り行った特権階級の神官
レビ族の血をひく神(じん)長官らによってこの列島で
今に至るまで大切に守り引き継がれてきたのです。

ちなみに、「イナリ」という音は
元来アラビア語で「尊いもの」「光かがやくもの」
という意味であることと看破(かんぱ)しています。

「伊」は天地を繋ぐ人の意味
「奈」は文字通りイエス・キリストを表す漢字
「利」は人を利する、高めるという漢字です。

あの奈良時代の「奈」という字ですね。

そうです。奈良という都は当初
「寧楽」と表記されていましたが、ある時なぜかわざわざ
「奈良」という漢字表記に替えられたのです。
「示」という漢字は「丁」は祭壇を表します。
上の「一」は祭壇の上の「生贄(いけにえ)」の意味です。
両脇の斜め線は祭壇から滴り落ちる「血」を表しています。

「奈」という漢字の冠(かんむり)の
「大」という字は本来、木であったものが省略され
「大」になりました。
つまり「奈」という字は、何と
木に架けられた生贄より流れる血が
祭壇の上の贖(あがな)いの座に滴り落ちている
という原義だったのです。

つまり「奈」という字は
十字架に架けられたイエス・キリストの血が
契約の聖櫃:せいひつ(アーク)の
贖いの座に注がれている様を表した
「イエス・キリスト」という意味をあらわす。
驚くべき漢字だったのです。

伊勢大神宮や諏訪大社などに
稲荷神(いなりしん)が祀られているのはそのためです。

しかし時代が推移するにつれ
仏教によって統一を図ろうとする為政者が
「伊奈利」という表記では
語源から原始キリスト教なることを
察せられるということを厭(いと)い
まったくの当て字であり、比較的音の似通った
「稲荷」という漢字に替えてしまうのです。
空海没後の平安時代後期と見ています。

維新前まで、つまり南北朝時代から江戸時代まで
天皇の祭儀は全て仏式で行われていたのですが
明治時代になって、数百年ぶりに伊勢神宮が日本の
そして皇室の祖神(そしん)として名実共に復活するのです。
明治というのは開国の時代を挟んで
日本の国が正に根底から震われたのです。

かつて元禄(げんろく)時代、日本を訪れたドイツ人医師
ケンペルはその著者の中で日本人を称して
「バビロン捕囚(ほしゅう)されていたヘブライ人の末裔」
の民族であることを記していますが
やがてフルベッキは、その記述を彼自身の目で確認するのです。

フルベッキは日本人を
「聖書に記された特別な民族」「約束された民族」
と位置づけていたのです。
彼自身の心の中に、大きく占めていたのは
「明治天皇」という存在であり
「日本人」であったことは明白です。

晩年のフルベッキの伝道講演会では
日本人が「海からやってきた」ことを告げる説教をしています。
この鋭い彼の洞察は、非常に重要な意味を含んでいます。

沖縄と近隣の諸島では、ヘブライの習慣が色濃く残っています。
私はユダ王国のユダの王族の一部とユダ族
ベニヤミン族の一部、そしてエルサレムの祭司の一部すなわち
中枢のレビ族の一団が、ソロモン船団によって大挙渡来したとみています。

沖縄では神武(じんむ)天皇の生まれた島や
産湯(うぶゆ)に浸かった場所も言い伝えられています。

失われたイスラエル10支族探索のイスラエルの国家機関
「アミシャーブ」の長、ラビ・アビハイルも
全世界のどこにも見出すことのできない神殿様式の社殿が
この日本だけにあることを断言しています。

この事実はユダ王族の直系の渡米とともに
レビ族の一団、特に諸部族の中心である
エルサレムの祭司集団の一部が渡来してきたことを意味するのです。
なぜならば、神殿建設はもっぱらモーセ・アロンの血統を引く
レビ族によって定められた職務であり
他の部族がこの聖務に携(たずさ)わることは
「死」を意味することとして聖書に記されているからです。

いずれにしろ、ユダヤのダビデの王統もどこを探しても
もう日本以外にはありえないのです。
そして、キリストを救世主と認めるユダヤ教徒たちが
日本のもともとの霊統と一つになって
日本の今日を有らしめたことが明らかになりました。

神道には
ユダヤもキリストもイスラムも全部入っているのです。
そのことが皇室に渾然一体(こんぜんいったい)となって
存在しているのです。
日本は聖書の国です。

それと同時にあらゆる宗教を超越した根源の神
宇宙創造神の薫陶(くんとう)が、あまねく行き届いた国柄
民人(たみびと)に満ち充ちた国なのです。

万物一系の皇室というものは、あり得なくとも
万物一系の皇室システムと
血脈というものは存在しうるのだと思います。
それは普遍・不朽(ふきゅう)の道でなくてはなりません。
そのかたちから
人々を宇宙の心へとつなげるものでなくては意味がないのです。

宇宙は意思であり、心そのものです。
それを神と言います。
その神を心に抱いた人々によって
万物、生きとし生けるもの
森羅万象が一つとなって生きる姿
それを地球上において、かたどっているのが
皇室のシステムであってほしいと思います。

日本国と日本人の特殊な使命は明らかです。
だから、日本からまず世界を変える動きが始まらなければなりません。

そして、私はここにおいて昭和天皇の真実というものもまた
明らかにしたいと思うのです。
昭和天皇もまたバイブルの精神がその根幹に入った人でした。

昭和天皇は、今だに戦争責任を云々(うんぬん)
されることがありますが、本当に戦争は嫌だ
自分は戦争には反対であると公言していたのです。

昭和天皇は、実は(大正天皇ではなく)
明治天皇のお子様なのです。

川村純義(すみよし)中将という薩摩出身の方がいました。
この方は単なる軍人ではなく
文人それも聖書の精神にあふれた文人だったのです。
その娘である花子様が
昭和天皇(裕仁:ひろひと様)の生みの親だったのです。

明治天皇は、幼き裕仁様を川村家に預けました。
つまり、将来の天皇になると決まっていた裕仁様は
仁様(小林牧師の母)と姉、弟のような関係で一緒に生活をし
仁様が乳母のような役割を担っていたのです。
という事は、仁様と裕仁様は本当の姉弟だった。
小林様にとっても私にとっても
昭和天皇は叔父(おじ)ということになるのです。

それで昭和天皇というのは
やはりイエス・キリストを受け入れた
メシアニック・ジューの流れ
聖書の精神がばっちり入った方だったのです。

私の父、堀川辰吉郎は井上馨に預けられたと言いましたが
その後に頭山満(とうやまみつる)にも預けたれたのです。
「万世一系の原理と般若心経の謎」という本には
次のように書かれています。

「明治天皇には
皇子は大正天皇しかいなかったと歴史は伝えています。
しかし、大正天皇より数時間早く千種の典侍
(ないしのすけ:てんじ)からお生まれになった皇子がありました。
千種の典侍は柳原(やなぎわら)の局(つぼね)をはばかって
皇子を皇女として育て、後に片山満に預けたのです。」

その預けられた皇子が父、辰吉郎です。

当時明治天皇は、大隈重信(おおくましげのぶ)
一派と組んで国政を進めなければ
国が成り立たないという状況にありました。
柳原の局の背後にいたのが大隈重信だったのです。

そんな事情があって
父は大正天皇より早く生まれたにもかかわらず
明治天皇御自身の判断で
第一次伊藤内閣の外相だった
井上馨に預けられたのです。
その後、政財界の重鎮(じゅうちん)であった
頭山満の手によって教育されたのです。

当時中国では
孫文(そんぶん)が革命運動を盛んに行っていました。
しかし、それに失敗して日本に亡命。
その時、孫文をかくまったのが頭山満です。
辰吉郎はこの時、孫文の決意に打たれて
その後、孫文と共に中国に渡り
辛亥(しんがい)革命をなし遂げる
一翼(いちよく)を担ったということがあったのです。

父の偉大な足跡も公的には認められることなく埋もれています。
それは皇室にとって、このようなことは秘密だからです。

しかし、これからの世の中の進む方向を見据えました時
あらゆる情報は開示されていくべきものと
天上界もそう言っております。

このように皇室はとてもややこしいのです。

笹川良一という人がおりました。
日本船舶振興会、競艇のトップだった人です。
この人が日米戦争を始める前に講演で
こんなことを言っていたのです。

「この昭和天皇さんは、弱虫で、戦争嫌いで
非戦論者で、あんな天皇替えちゃいます」と。

2・26事件にはそんな背景があった。
だから昭和天皇ご自身の命も危なかった。
実際、ピストルを持った将校が
昭和天皇の部屋まで入っていったと聞いております。

マッカーサーは戦後
昭和天皇に「神を見た」と言いましたが
実際この時の将校も、なぜかきびすを返し
自らこめかみに銃弾を撃ち込んだというのです。

それはともかく日本の歴史は近代史において
まったく伝えられていることと違う。
古代史においても全然違います。
こんな誤解と錯覚とバーチャルの中で
日本と日本人が骨抜きにされていく。
偽りのアイデンティティからは
偽りの世界しか作れないのです。

ここで本当の事を言わなければ
いつまでたっても日本はよどんだ国のまま
国際金融資本の思うままに
蹂躙(じゅうりん)されてしまいかねません。

今、日本は明治維新の時以来の国難に直面しているのです。
その認識を持たなければだめです。
あの維新の時のように志士たちが出てきて立ち上がらなければ
日本という国そのものがなくなってしまう。
そんな瀬戸際にもう来ているのです。

明治天皇の孫同士、意を決して
ここまでのことを言いました。

 

おわり