一神教は悪魔教 | 天然記録

なぜならキリスト教、他一神教が戦争になっているから

明治維新は日本人だけでやりとげたわけではないけど

この著者はそう思っているので

天皇教があったおかげで近代化できたと

認識のずれが生じる

 

 

 

↑より抜粋

 

日本はずっと多神教の国であった。

「八百万(やおよろず)の神」という言い方も

「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」も

複数の神の併存状態を認める考え方だ。

これに対して

ユダヤ・キリスト・イスラム教の世界は一神教

つまり「神を一つしか認めない宗教」であり

その神を「絶対神」とする。

日本人には極めてなじみにくい考え方だ。

だから日本人は昔から「絶対」という事が分からない。

逆にもし「絶対神」とはどういうものか理解している人なら

本居宣長(もとおりのりなが)がなぜ「正直の頭に神宿る」

という思想を許せなかったのか分かるはずだ。

 

明治以降、日本にキリスト教の布教が認められてから

日本のキリスト教信者の中に、ある特有の型が認められたという。

型といってもいろいろあるが、これは悪い例のことだ。

それは日本人信徒は

“神を万能の召し使い”と勘違いするということだ。

たとえば、ある信徒が必死に祈る。

祈りの内容は「目の前の悪人を倒して欲しい」

というような「正義の祈り」である。

しかし、現実世界では悪人の方が勝つなどということもよくある。

ここで日本人信徒は何と言うか。

「なぜ神は悪をやっつけてくれないのか!」

 

この信徒は「神の存在」は信じている。

だからこそ「何もしてくれない」ことに腹を立てているわけだが

こうした態度を

キリスト教(ユダヤ・イスラム教も)は厳しく戒める。

なぜなら「腹を立てる」理由は

「神が自分の思い通りに動かないことへの不満」だからだ。

この底には

「神は自分の思い通りに動くべきだ」という考えが潜んでいる。

それは神を「主」ではなく

「下僕:げぼく(召し使い)」であると考えていることになる。

もっとも、そういう態度の信徒に

「おまえは神を、アラビアンナイトに出てくるランプの精のように

何でも自分の望みを叶えてくれるものと考えているのか?」

と尋ねれば

「そんなことなない。神は主であって召し使いではない」

と断固否定するだろう。

では、否定するにもかかわらず、実質的には、なぜ

「神はそうすべきだ」と考えるのか?

 

「正直の頭に神宿る」からである。

しかし、絶対神というのは

「人間が正直であれば必ず動く」というものではない。

それでは人間の方に「絶対」があることになる。

人間が「正直」であるという条件さえ満たせば神は必ず動くというのは

人間の方が「スイッチ」を握っていることになるからだ。

そうではなくて神の方に「スイッチ」があるのが絶対神なのである。

「スイッチ」がある方が、ない方を「コントロール」できる。

ところが「正直の頭に神宿る(至誠:しせい=天に通す)」

という思想は、正直(誠あるいは至誠)という「スイッチ」を

人間側が入れれば、神をコントロールできる、と考えているわけだから

これは神を絶対とする人々にとっては

とんでもない冒瀆になるわけだ。

 

これでも、分かりにくいかもしれない。

そこで、日本人キリスト教徒が一番抵抗を覚えるという

「旧約聖書」の「ヨブ記」をご紹介しよう。

 

ヨブは神への信仰心が強く高潔な人柄で

まさに「正直」を絵に描いたような人物である。

しかし、神の敵であるサタン(悪魔)がヨブの信仰心を疑うと

神はサタンが信仰心の強さを試すことを認めてしまうのだ。

サタンは、ヨブの最愛の息子と娘をすべて死に至らしめる。

そればかりか財産もすべて奪い

ヨブ自身も人々の忌み嫌う重い皮膚病にかからせる。

ヨブは神を信じ、悪い事は一切していない。

だが神は、サタンがヨブにそのような仕打ちをすることを認めた。

サタンが間違っていることを証明するためだ。

ただそれだけのために、善人の中の善人ヨブを

不幸のどん底に陥れることを認めたのである。

一人生き残ったヨブの妻は、神を呪うべきだと主張する。

それも当然だろう。

自分の腹を痛めた子をすべて殺されたのだから。

だが、それに対してヨブは何と言ったか。

「お前まで愚かなことを言うのか。

私たちは、神から幸福をいただいたのだから

不幸もいただこうではないか」

このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すこと

(神を罵ること)をしなかった。

(ヨブ記 第2章第10節)

 

日本人なら「神も仏も無いものか」とか

「こんな神のやり方は間違っている」と叫ぶことだろう。

しかし、それは絶対神に対する態度ではない。

「しもべ」なのは人間であって、神ではない。

だから神が何をしようと、それが人間から見て

「悪」であったり「過ち」に見えても

それは決してそうではなく、すべて「正しい」のだ。

それが「神が絶対」ということなのである。

この日本人には極めて理解し難く

また受け入れ難い思想を、本居宣長は声高に提唱した。

なぜなら、天皇は絶対神であるべきだからだ。

「神に誠を尽くせば受け入れられるなどと考えることも

漢文:からぶみ(中国思想)であって、大きな間違いである。

この世界で起こることは、凡人の浅はかな心で

いろいろ解釈してはならない」ということになろうか。

もちろんその理由は

「この世で起こること」は「神だけが決める」ことだからだ。

 

宣長の研究者である相良亨(さがらとおる)は

この部分を紹介して

「はじめて、世の中のすべての「事」は神のしわざであり

よくもあしくもこれにしたがわなければならない

という神観念が登場した」と指摘しているが

これがまさに絶対神の概念であることは、もうお分りだろう。

もちろん、仏教において阿弥陀如来は絶対神に近いし

儒教における「天」はさらに人間を支配する絶対神に見えるかもしれない。

しかし、儒教はもともと天人(てんじん)相関説

(人間、特に帝王が良い政治をすれば天はそれを祝福する)

から出発しており、これは結局「至誠通天」と同じような考え方である。

だからこそ、宣長はそれを

「漢心(からごころ)」として否定したのだ。

 

仏教も、そもそもはインド思想の因果応報説

(前世の善悪の行ないによって後世が変わる)を基本としており

これも人間が善を行なうというスイッチを入れれば

救われるという考え方だから

主体は人間にあり、絶対神をも認める立場ではない。

だから、宣長はこれも「漢心=外国思想」として否定した。

その「引き算」のあげくに残ったのは天皇であった。

だからこそ、天皇は絶対神なのだ。

では、その祖先神である天照大神(あまてらすおおみかみ)と

その子孫である個々の天皇の、どれが絶対神なのか?

 

 

ここで一つ問題なのは、日本がこのように

「神」によって守られているならば

なぜ天災や飢饉や戦争のような

不幸なことが起こるのだろうかという点である。

この「逆説」の愛読者はよくご存知のように

日本ではそれを怨霊という「悪」のしわざだとしてきた。

だからこそ、怨霊鎮魂は仏教・神道を問わず

宗教における最大の課題であったのだが

天皇を絶対神とする宣長はそういう考えを採らない。

なぜ、採らないかは前出の

「ヨブ記」の内容をもう一度思い返して頂ければ分かるだろう。

 

ヨブを不幸のどん底に陥れたのは

直接にはサタンであったが

それはそもそも神が認めたことでもあった。

すなわち「神のはからひ」なのである。

もう一度言うが、この世で起きる(起きた)すべての事は

神のしわざと考えること、それが絶対神ということだ。

だから、国中に疫病が流行するようなことも

それは怨霊などのしわざではなく「神のはからひ」なのである。

では、神はなぜそんな事をするのか?

宣長はここでマガツヒの神という神に注目する。

マガツヒの神は黄泉の国(死者の世界)のケガレから生まれた神で

災厄(さいやく)をもたらす神として知られていた。

ところが、宣長はこの神は特別な性格を持つものとした。

それは次のようなことだ。

 

宣長は「古事記伝」において

禍津日神(マガツヒの神)の別名を瀬織津姫(セオリツヒメ)とする。

瀬織津姫は、ハヤアキツヒメ、イブキドヌシ、ハヤサスラヒメと共に

この世の罪を海の彼方に流して、祓い清める霊力を持っている神である。

宣長の考えによれば、神道五部書のひとつである

「倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)」にあるように

この瀬織津姫はまた、天照大神の「荒魂」でもある。

つまり、宣長によれば、マガツヒの神は天照大神の分身なのである。

 

神は元々

「和魂(にぎみたま)」と「荒魂(あらみたま)」の

二つの霊魂を持つと考えられていた。

これは昔からある考え方だ。

言うまでもなく和魂は、あらゆる恵をもたらす善なる魂で

荒魂は天災、疫病などをもたらす悪の魂である。

そこに注目した宣長は、アマテラスが神なら当然

「(人間から見て)悪」を為す部分があるはずだと考え

アマテラスの荒魂をマガツヒの神だとしたのである。

これは国学というより、キリスト教における三位一体説のような

天皇教神学と言っていいだろう。

こんなことを言い出したのは、もちろん宣長が初めてである。

では、われわれ日本人は、この絶対神であるアマテラスや

それと同体であると考えられる天皇

すなわち現人神(アラヒトガミ)に

どのように仕えていくべきと、宣長は考えたのだろうか?

 

唯一絶対神(アラー)を信じるイスラム教には

ムスリム(イスラム教徒)が絶対に信じなければいけない

六つの信仰がある。六信という。

その第一はもちろんアラーの存在自体を信じることだが

その第六に挙げられているのが「カダル」である。

カダルとは「この世におけるすべての出来事は

すべてアラーの思し召しであると信じること」だ。

これも日本人にはなじみにくい考え方である。

というのは、まさに前節に述べたヨブのように

「まったく正しく善良な人が極め付きの不幸になる」のも

「神の御意志」ということになるからだ。

 

それまでの「多神教」では、正しい人が不幸になるのは

「悪神」のしわざであった。

そして「善神」がそれを阻止する。

したがって人々は「正義の神」を信じ「悪神」を信じてはならない

というのが「一神教」が出現するまでの世界の常識だったのである。

 

しかし、一神教の世界では、たとえば

「サタン(悪魔)という人間を不幸に陥れる

(能力を持った)存在は登場するが、これも神ではない。

なぜなら、絶対神(唯一の神)がすべてを創造したからだ。

したがって、サタンといえども人間と同じ被造物

(創造神によって造られたもの)の一つになってしまうからだ。

 

宣長の「天照大神=天皇=絶対神」という神学では

他の神は認める。それはおそらく

「一つの神がすべてを創造した」という概念が

日本の神話には無いためだろう。

アマテラスも

イザナギ・イザナミという「両親の神」から生まれた。

しかし、「この世のすべての出来事は神の思し召しである」という

まさにイスラムのカダルとまったく同じ考え方には

「絶対神信仰」であるがゆえに、宣長は独自で到達した。

 

宣長によれば、人事の吉凶禍福は人間の心のあり方や

行為の善悪によってもたらされるものではなく

また死後の行き先も、それによって決まるわけでもない。

どこまでも吉凶禍福は一方的な神々のはからいであって

人間の意思とはまったく関係ないのである。

 

 

キリスト教には、原罪という考え方がある。

もともと絶対神(創造神)によって造られた存在(被造物)

に過ぎないアダムとイブが、同じ被造物である蛇の誘惑に負けて

神が食べることを禁じた知恵の木の実(禁断の果実)を食べてしまった。

この神に対する最初の罪を原罪という。

神道には再三述べたように

「創造神(あるいは被造物)」という考え方は薄いので

「キリスト教的原罪」はない。

しかし、「罪の根源」を「原罪」と呼ぶとするならそれは存在する。

言うまでもなく「ケガレ」がそれだ。

 

ケガレはあらゆる罪の根源なのだから

そして、だからこそ天皇は

ケガレと対極の最も清浄なるものであり尊い

という考え方が生まれてくる。

それゆえに、庶民も日常生活において

ケガレを忌避し続けることが必要ともなってくる。

 

「宣長に従えば、マガツヒの神

黄泉の汚穢:おわい(死の世界のケガレ)

から生まれた神であったが、日常生活において

これを避ける具体的な行動を取ることが

マガツヒの神の荒びから逃れることになる」

 

ということだ。

実は、「宣長神学」の問題点はここにある。

この神学では、庶民は天皇が「現人神」であることを信じ

その「荒魂」の働きを弱めるために

「ケガレ排除」の「具体的行動」を取らねばならない。

それは家の中では「不浄「とされる場所を

「お札」を貼ることで清めるという

ある意味で他愛ない行動で済むが、家を一歩出るとどうなるか?

 

それは

たとえば「ケガレに満ちた人々」を徹底的に差別するという

「具体的」な行動にもつながってしまうことになるのだ。

日本では、皮革(ひかく)製造業など生物の死

(という穢:けがれ)に連続して触れなければならない

職業につく人々を、穢れが除去できないほど

つまり、ミソギ不可能な人間たち、という意味で

「穢多(えた)」と呼び厳しく差別していた。

彼等は、居住地も制限され、「一般民衆」の居住区との間には

「ケガレを流す」川があり、その間には橋を架けなかった。

すなわち「橋のない川」の向こうに彼等の居住区がある。

西日本ではこれを部落と呼んだ。

(ちなみに特に関西人で誤解している人がいるが

東北地方等に行けば「部落」は決して差別語ではなく

日常生活で「集落」の意味として通用している)

 

これは「神道という宗教」に端を発する差別だから極めて根深い。

それは「愛と寛容」を説いているはずのキリスト教が

根深いユダヤ人差別という問題を抱えているのと似ているが

この厳しい差別が一時的に緩和された時代もあった。

それは鎌倉時代以降、仏教が日本向けにリニューアルされ

こうした問題点を解決したからだ。

たとえば親鸞(しんらん)は、こうした人々も救済の対象と認めた。

それは当然で、仏教には「ケガレは罪」という感覚はなく

仏の下では万人平等だからである。

 

問題は

その「万人(すべての人々)」の中に、天皇が入るかどうかだ。

本来の教義を貫くならば、本願寺教団はその方向へ行ったかもしれない。

しかし、既に述べたように、実際に親鸞の後継者たちが選んだのは

「天皇は別枠」という考え方だった。

特に本願寺教団は、准門跡(じゅんもんぜき)

という形で、天皇ファミリーの一員となった。

だが、それでも、神道側は満足しなかった。

そして、江戸時代以降、神仏習合論が否定され

仏教の神道からの分離が進むと

こうした差別はむしろ助長され、強化されることになった。

 

 

ところで、前節、この「宣長神学」こそ

かつて江戸初期に熊沢蕃山(くまざわばんざん)が期待した

「天皇を中心とする国民統合の原理」だと言った。

確かにそれは事実で、その影響は前に述べたように

昭和前期の国定教科書にまで及んでいるのだが

実は宣長によって、すべて完成したわけではない。

「宣長神学」は「国民統合の原理」としては

一つの大きな欠陥があった。

その欠陥は、もはやお分りかもしれない。

「宣長神学」における「死後の救い」を述べれば次のようなものになる。

 

「そんなものは無い。

それが善人であれ悪人であれ、死んだら黄泉の国へ行くのだ。

それはケガレに満ちた悪所である。

しかし、そのことも含めて、それは絶対神の「思し召し」なのだから

われわれ人間はどうしようもなく

ただ「悲しいことだ」とあきらめるしかない。

しかし、我が日本には万世一系の天皇家が永遠に続き

この国を守るという、異国には無い素晴らしい奇蹟があるのだから

それを誇りに思い、我慢せよ」

 

おわかりだろうか?

これは、エリートである公家や武士はともかく

一般庶民は極めて受け入れにくい考えである。

庶民はやはり「来世の救い」が欲しいのだ。

その問題を解決したのが、宣長の「後継者」ともいうべき

平田篤胤(ひらたあつたね)なのである。

 

あなたは、人間死んだらどうなると思っていますか?

あなたがキリスト教信者なら「天国に行きます」とか

「天国に行けたらいいなと思っています」あるいは

「残念ながら地獄行きですね」と答えるかもしれない。

しかし、キリスト教徒は日本人全体で1%しかいない。

つまり、こう答える人は100人に1人だということだ。

門徒(もんと)いわゆる本願寺の信者なら

「阿弥陀様のお導きで極楽浄土へ参ります」と答えるだろう。

こう答える人は、キリスト教徒に比べればはるかに多いには違いないが

それでも日本人全体から見れば少数派である。

「死ねば何もかも無くなる」と答える人もいるだろう。

しかし、これもやはり少数派だ。

 

このことでアンケートを取ったら

おそらく一番多い答えが「わからない」であろう。

しかし、日本人に対するアンケートには、私に言わせればコツがある。

それは基本的には「和」の民族で

自己主張が苦手な日本人に答えやすい形を作ることだ。

まさに「設問」である。

たとえば子供のいる若い親には、こう聞けば本音を引き出せる。

 

Q1 あなたは自分が死んだら子供と関係なくなると思いますか?

 

こう聞けば、ほぼ100%の人が「いいえ」と答えるだろう。

続いて、こう聞けばいい。

 

Q2 「いいえ」と答えた人に聞きます。

では、あなたは「死後も子どもを見守っていきたいと思いますか?」

 

これも、Q1ほど多くはないかもしれないが

ほとんどの人が「はい」と答えるだろう。

しかし、そう答えるということは

「人間死んでも(肉体が滅んでも)霊魂はそのまま

(子の親という形)で「生きている」と認めている。

あるいは「そうありたい」と考えているということだ。

ということは、心の底では「霊魂不滅」を信じているということでもある。

 

多くの日本人は誤解しているが

本来の仏教は「霊」の存在を認めていない。

初めて釈迦が仏教を開いた頃は、人間は死ねば輪廻転生する

つまり生まれ変わるというのが前提だった。

だからこそ、その輪廻のサイクルの中から解脱:げだつ(脱出)が

釈迦の仏教のテーマだったのである。

世界の民族の「死んだらどうなる」についての考え方は

大きく分けて三つある。

 

① 霊魂は永久に不滅で別の世界(天国、地獄、霊界等)へ行く

② 輪廻転生

③ 死ですべては消える

 

さらに大きく分けるならば

②も、少なくともヒンズー教では輪廻転生する主体

つまり個人(=我)の本体と考えられるアートマン

というものを認めていたから、このアートマン(我)が

霊魂と同じものと考えれば

それが永遠に転生することになり、①に入る。

 

ちなみに仏教では

このアートマンなどというものは存在しない(無我)とした。

しかしそれでも輪廻転生を認めるならば

転生する主体は何なのだ、という疑問に

大乗(だいじょう)仏教の理論家たちは

「それは識(しき)である」と答えた。

これが唯識論(ゆいしきろん)だ。

しかし霊魂(自我)が消滅してしまうのは「寂しい」

あるいは「物足りない」と考えた人々が

「死んでも阿弥陀如来を頼れば極楽浄土に生まれ変わり

(往生:おうじょう)、仏に成れる(成仏)」

といった信仰を生み出したのであろう。

これが大乗仏教である。

これは「肉体は滅んでも霊魂は不滅だ」

という考え方に相通じる。

したがって、特に本願寺の門徒(信者)でなくても

日本人は一般的に死ぬことを「往生」といい

人が死んだ際に「成仏」してくれというようになったのだ。

しかし、そこまで言及すると本題からはずれるので、ここでやめておく。

つまり、大きく分ければ

 

① 死後も霊魂は不滅

② 死は完全は消滅

 

の二つになるのだが、日本人が圧倒的に共感してきたのは

やはり「霊魂不滅」の方である。

そもそも、外来宗教に触れる以前、日本の古代信仰がそうだった。

日本武尊(やまとたけるのみこと)は死後

輪廻転生したのではない、そう考えるからこそ

その神霊を神社に祀ろうという発想になる。

「輪廻転生」や「死は消失」と考えるなら

神社は「からっぽ」ということになってしまうからだ。

では、死者の霊魂はどこにいるのか?

それについても、明確な定義は実は無かった。

 

しかし、ここで考えてもらいたい。

若い父親が子に先立って死ぬような破目に陥った時、何と言うか?

「パパの魂は必ず近くにいて守ってあげるよ」

これであろう。

日本の原始信仰がまとめられた形の神道では

死者は地下の黄泉国に行くという見方をしたが

それ以前の感覚では、むしろ雲の上(天)でもなく地下でもなく

身近にとどまるという考えがあった。

たとえば、ヒット曲というよりも

スタンダード曲として定着した感のある

「千の風になって」も

もともとアメリカで親しまれていた詩を日本の作家

シンガーソングライター新井満(あらいまん)が

訳して曲をつけたものだが、実はキリスト教以前にあった

人類の霊への感覚をよく表現しているのである。

 

 

もちろん忘れていけないのは怨霊信仰である。

怨霊というにはまさに霊魂不滅の思想から出て来るものであって

鎮魂(ちんこん)されたとしても消滅するわけではない。

むしろ御霊:ごりょう(良い霊)となって生き続けるのである。

したがって、日本人の「死後」あるいは「霊魂」に対する考え方をまとめれば

日本人は

「人間は死んでも、つまり肉体が滅んでも、霊魂は不滅である。

ただし、その霊魂がどこにいるかについては様々な見解がある。

しかし共通しているのは、霊魂は意志を持ち子孫を守る」

ということになる。

 

これは別の言葉で言えば「祖霊(それい)信仰」ということであり

儒教以前の古代中国にもあったし

(むしろ孔子の儒教はこれを体系化したもので

朱子以降の宇宙の原理を追求する「新儒教」とはまったく異なる)

キリスト教やイスラム教など

一神教が発生する以前のユーラシア世界にもあった。

だからこそ「千の風になって」も出て来たのである。

しかし、孔子自身も「先祖のまつり」は大切にはしたが

「死後」については語らず、逆にキリスト教やイスラム教は

「別の死後」を提示することによって、「祖霊信仰」は否定した。

 

つまり、この信仰は日本だけに「しぶとく」生き残ったとも言えるわけだ。

当然、それには、その「生き残り」に貢献した宗教家がいるはずである。

平たく言えば、現在でも日本人の霊魂に対する最大公約数的な考え方である

「死んでも霊となって側にいる」は誰が定着させたのか?

生み出されたのは、はるか古代のことであったが

他の国々や民族の間では消滅するか衰亡していた信仰を

日本の場合は一体誰が強化固定したのか?

それこそ、本居宣長の後継者と自ら称した

国学者にして神道家の平田篤胤の「仕事」なのである。

 

今、まさに述べたように、平田は

宣長の「天皇教神学」に欠けていた「死後の救い」を

明確化し、天皇教を完成に導いた人物なのである。

これは日本宗教史においても、少なくとも十指には入る大きな功績だろう。

そして、そんな大きな功績を挙げた平田篤胤のことを

多くの若い人が知らないということは

まさに日本の歴史教育、ひいては歴史学の大きな欠陥であると言えるだろう。

これは、ドイツ、いや欧米世界で言えば

「マルチン・ルターって誰か知らない」と同じようなことになるからだ。

 

 

それは、平田派の国学、篤胤に創始した「宗教」が

「宣長神学」に不満を抱く多くの人々の心を捉えたからである。

 

 

最初、平田は、「宣長神学」の説通りに

「善人も悪人も死ねば黄泉国に行く。

それは汚くて悪い所だが、これも絶対神である

アマテラスの思し召しの一環であるから仕方がない」

という死生観に従っていた。

しかし、宣長の

「それで我慢せよ、この国は「アマテラス=天皇」という

現人神のいます、世界唯一の国なのだから

それを誇りに思えばよい」

という考えに、平田は次第に反発の度合いを強めていく。

口では、「私は宣長先生の後継者だ」と言いながら

この部分に関しては、師の説を大きく「改変」していったのである。

おそらく平田は、この部分に強い不満も持っていた。

善人であろうと悪人であろうと

死んだら同じ運命だというのは、あまりにも「救い」がない。

そのことを「改善」するための「神学理論」は

37歳の年に既に、平田の頭の中に出来上がっていた。

そして、それを著作の形にして世に問うきっかけとなる

平田個人の歴史では最大の不幸がこの年に起こった。

愛妻の死である。

 

 

平田は「霊の真柱(たまのみはしら) 」で

これまでの「古事記」「日本書紀」解釈に対して

幽冥界という魂の行く世界があり、それをオオクニヌシ

(大国主命)が主宰しているという

新しい「解釈」を打ち出したということだ。

もちろん「大国主命」は「古事記」に登場するが

「幽冥界」などという言葉は無いし

人間の魂がそこへ行くという記述はもちろん無い。

そんなものがあれば、とうの昔にそれが定説になっていただろう。

そして、それが無いからこそ、宣長は

「死ねば黄泉国へ行くしかない」という他は無かったのだ。

しかし、平田は、特に宣長の直弟子たちから見れば

「強引」で「コジツケ」とも考えられる解釈で

「神学」を構築し、宣長説を否定した。

だから、彼等は「平田はニセモノだ」と怒りの声を上げたのだ。

しかし、庶民はこれを歓迎した。

当然だろう。これまで神道が認めていなかった

「死後の救い」を初めて認めたのだから。

 

平田によれば、われわれは死後に

肉体と切り離された魂(霊)となって幽冥界に行く。

幽冥界とは、まさに幽霊がそのまま存在している世界であって

霊体となった人々は

生前の行ないについて「審判」を受けるというのだ。

しかし、平田は、その「審判」がどういうものか

具体的にはほとんど述べていない。

ただ、審判を下すのはオオクニヌシで

生前の「功」には褒賞を「罪」には懲罰を科すと言っているから

生前この世では報われなかった「善人」は救われ

悪人が一方的にいい思いをすることは有り得ない。

すなわち庶民は「安心」を得られるわけで

「死は誰にでも等しく訪れ、死ねばキタナイ黄泉国に誰もが行くのだ。

神の国に生まれて生きることが出来たのだから

この事実を正面から受け止め耐え忍ぶしかない」

と主張する「師」の宣長とはエライ違いである。

宣長は「学者」だが平田は「神道家」

つまり「宗教者」だと言われるのも理由はここにある。

 

そして、神の世界に関する平田の解釈を受け入れることは

「平田教」の信者になるということでもある。

 

 

現世のことを顕事(あらわごと)

それ以外のことを幽事(かくりごと)として

分担しようということだ。

アマテラスと子孫である代々の天皇が現世の実際の政治を受け持ち

オオクニヌシがそれ以外(いわゆる来世とは言っていないことに注意)

の「神」の世界、目に見えない運命を受け持つと言っているわけだ。

実は、宣長以前の神道(国学)では、吉田神道でも垂加神道でも

人間の死と「顕幽(けんゆう)分離」は関連付けられていない。

確かに人間の死は「神の領域」で扱うことのはずだが

「死をケガレ(=悪)の極致」と捉える神道の常識では

それは扱いたくなかったか、扱うにしても

「キレイゴト」としたかったのだろう。

たとえば「日本書紀」の冒頭にある

「混沌」の中に帰っていく、などという解釈をしていた。

 

 

「平田教」つまり「平田派国学」はこの後に

その弟子たちの手によって「布教」され

熱狂的な信徒を生み出すことになる。

それは「天皇教」の完成ともいうべき出来事であり

これが幕末動乱期の欧米列強の侵略をはね返した強力な力となった。

 

つまり、第16巻に述べたように、明(みん)の滅亡を目の当たりにして

日本も「国民統合のための強力な原理」を持たなければならぬと考えた

熊沢蕃山の理想が、平田によって実現されたということだ。

しかし、こう書くと

万事めでたしのように見えてしまうかもしれないが

決してそうではない。

 

たとえば、既に紹介した1963年(昭和38)に書かれた

「平田篤胤」の冒頭に

著者の田原嗣郎(つぐお)は次のように書いている。

 

「平田篤胤という国学者の名を見ると、今でも私はいい気がしない。

なにやら気味がわるくなってしまう。

というのは、言うまでもなく戦時中の、あの途方もない

ジャーナリズムにのっていた、脅迫的な諸論文を思い出すからである」

と堀田善衛(ほったよしえ)は書いている。

(海鳴りの底から)

これが1945年の敗戦まで荒れ狂う天皇制ファシズムに

痛めつけられた日本人民の偽わらざる感想であろう。

天皇制国家の観念的支柱となった国学の中でも

篤胤はことさら太い支柱であったのだから。

 

堀田善衛(1918~98)は「広場の孤独」という

言葉の生みの親でもある「戦後」を代表する知識人だ。

その彼をして「気味がわるく」させてしまうもの

それは一体何なのか、ということである。

 

私は平田篤胤という人物を

宗教家にして「天皇教」の完成者と見る。

いや、これは私だけでなく、客観的に見れば

少なくとも宗教家であることは誰もが認めるだろう。

もちろん、その宗教とは神道であり「天皇教」だ。

ところが、彼自身の主観では必ずしもそうではなかった。

「神の実在」を信じる点では宗教家だが

宇宙論など本来科学に属する分野では

自分のことを「科学者」あるいは「哲学者」と考えていたのである。

分かりにくいかもしれないが、キリスト教と進化論の関係を考えれば

分かりやすくなるかもしれない。

キリスト教原理主義者にとっては

ダーウィンの言説はインチキであり

アダムとイブの起源説の方が正しい「科学」だということになり

当然それを主張する人間は

その一点では「科学者」であるということになる。

「私が述べているのは化学的事実であって、信仰ではない」

ということになるからだ。

 

 

では、「実証主義者」のニュートンは宗教家ではないのか?

とんでもない。

既に述べたように極めて熱心なキリスト教徒であった。

では、実証主義と熱烈な信仰は矛盾しないのか?

皮肉なことに彼の場合は矛盾しないのである。

皮肉と言ったのは

そもそもニュートンが「実証主義」になったのも

それまでの科学のテーマであった

「重力はなぜあるのか?」といった、根本的な存在論を

「それは神の領域の話で、われわれ人間には解明できない」

と探求しなかったからなのだ。

そう割り切れば、残されたことは

「神の創造したシステムやルールをいかに解明していくか」

ということになる。

そこからは「実証主義」でも信仰とは決して矛盾しない。

つまり「神の存在」という

本来実証主義ではまったく解明不可能なことを

大前提とした「実証主義」なのである。

皮肉と言ったのは、そのことだ。

 

ニュートンはだから聖書研究家としても有名であった。

「旧約聖書」の記述に基づいて、ソロモン王の宮殿の復元に取り組んだり

「新約聖書」の「ヨハネの黙示録」の「真意」を追求したり

いわば聖書に込められた「神からのメッセージ」を

何とか「解明」しようとしていたのである。

なぜ、ニュートンのことを長々述べたかというと

実は平田は日本史

いや世界史のレベルで観た方がいいかもしれないが

「ネガ(陰画)のニュートン」

だからなのである。

 

 

江戸期まで日本に定着していた宇宙論は、たいていの場合

仏教経由の須弥山(しゅみせん)システムや仏教宇宙論

あるいは天文暦法の星図であって

現実の太陽系を人々に示すまでにいたっていなかった。

平田はここに眼をつけて

コペルニクス、ケプラーの天文学を講じながら

すでに日本の古代神話(とくに国生みの物語)が

この思想を先取りしていたことを実証する仕事にかかる。

仏教や儒教の世迷言(よまいごと)を西洋の合理精神が論破し

さらにこの西洋科学が古道の教えに含まれていたのだとすれば

それはすなわち古道の大勝利であり

すべて思想の上下関係は決定することになる。

(本朝幻想文学縁起 荒俣宏著)

 

この路線を受け継いだのが、佐藤信淵(のぶひろ)であった。

毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人物だが

経世家(けいせいか)としては一流であり

彼を褒める人は、日本を封建制:ほうけん(地方分権)から

強力な中央集権国家にすべきだという

青写真を作った明治維新の先駆者だという。

その信淵は

国学こそ日本が世界唯一の優れた国家であることを証明するために

西洋の科学を取り入れるという、師平田の考え出した

奇想天外な路線をさらに拡大するものだった。

 

佐藤信淵が

「鎔造化育論(ようぞうかいくろん)」を表わして

古道国学宇宙論の完成をはかったとき

彼の心にあったのは、つまりそういうことであった。

西洋の科学により明らかにされた宇宙の姿は

日本神話の中ですべて語られており

西洋は最近になって、やっとそれに気がついた

という具合に論旨をもっていくことである。

ということになれば

古道の生みだした(日本的狂気の源流)も

実はこの一点から出てこざるをえない。

古道の教えが世界最高のものであるのなら

それを守ってきた日本人も必然的に

「もっとも幸福な民族」でなければならないからだ。

古今を通じて、日本人はえらい、という意識が

これほど明確にでてきた思想もないだろう。

(引用前掲書)

 

お気づきのように

荒俣の指摘する「日本的狂気の源流」こそ

前節で述べた堀田善衛をして

「気味がわるく」させたものなのだ。

 

実は、平田にはそういう「志向」があって

今で言えば「トンデモ本」にあたる本を出している。

しかし、ここが肝心だが平田もニュートンも主観的には

「オカルト」だとは思っていないのである。

彼等は大マジメであり

要するに自分の信じる「聖典」の解釈によって

「事実」を述べているに過ぎない、という立場である。

もっとも、平田は

「××年、世界は滅ぶ」といったような本は書いていない。

キリスト教には「最後の審判」に基づく終末思想があるから

とりあえずの「終わり」がいつ来るかということに

大きな関心があるし「終末が来る」というのは「事実」でもある。

しかし、神道の世界では

アマテラスが「天壌無窮(てんじょうむきゅう)

 天地は永遠に極まりなく続くこと」と言っているように

世界は永遠に続くのだから終末論はない。

「諸行無常(しょぎょうむじょう)

永遠に変わらないものはないということ」や

「盛者必衰(じょうしゃひっすい)

栄えている者も必ず衰える」というのは

仏教の思想であり、漢心(漢意)だから関係ない。

したがって、平田はそういう思想とは無縁である。

では、どういう「トンデモ」かといえば

いわゆる「霊界もの」であった。

 

 

また平田は、いわゆる「前世の記憶を持つ子供」にも会って

その内容を詳しくインタビューしてまとめている。

それは「勝五郎再生記聞」という著作である。

 

 

ここで重要なことは

勝五郎が自分で藤蔵として、いったん死んだ時

冥界(幽冥界)で産土(うぶすな)の神(氏神:うじがみ)の

熊野権現(くまのごんげん)に会って

再生させてもらったという「証言」をしていることだ。

では、平田が主張するところの幽冥界を主宰する

オオクニヌシとの関係は一体どうなるのか?

ここにおいて平田は、勝五郎少年の証言に基づき

熊野権現に限らず産土神はその地域において

オオクニヌシの仕事を分担している、と位置づけたのである。

つまり、平田の主観では

これはケプラーやコペルニクスの天文学と同じもので

勝五郎の発言という「科学的事実」によって

その理論を打ち立てたということになる。

平田本来の立場から言えば、再生を真実とすることは

実は仏教の基本的前提である輪廻転生を認めることになってしまい

仏教そのものを妄説として排除してきた従来の姿勢と矛盾するはずだが

平田はその点については語っていない。

 

 

平田はこう考えた。

仏教において伝えられていることは

実は完全無欠な正しい教えである「日本教」の

訛伝:かでん(不充分な形で伝えられてきたこと)

だと言うのである。

 

お察しの通り

仏教についてこうなら当然儒教についてもそうなる。

もちろん、キリスト教でも、この「方法論」は応用できる。

つまり、有名なエホバが天地創造したという神話も

それは、それよりも古い、イザナギ・イザナミの神話が

不完全な形で西洋に伝わっていた、ということにすればよいからだ。

「神州」である日本以外の国

たとえば中国、インド、あるいは西欧では

日本人が認識している正確な神話を

まさに彼等が神州の民ではないがゆえに知ることが出来ず

結果的に訛伝となってしまった。

だからこそ、平田がこれらの分野のすべてを「研究」しても

「古道」を否定するものは一切出て来ない。

むしろ、ますます自説を「補強」する結果になるわけだ。

 

それどころか、宗教とは「正反対」の科学ですら取り込める。

たとえば、それは「西洋ではコペルニクスという男が

ようやく真理である地動説に気づいたようだが

それは既に日本の(古道)に述べられていることだ」

という言い方になる。

では、たとえば聖典である「古事記」「日本書紀」の

どこに地動説が述べられているのか?

もし述べられているなら何故これまで語られなかったのか?

実際はそんなことは語られていないではないか!

という問いには、彼一流の強引な「解釈」で結論を「立証」してしまう。

平田は論争においては、自分が絶対に正しいと信じたが故に

相手を徹底的に攻撃し、いささかも妥協を示さなかった。

こういう点ではなかなかの「政治家」なのである。

 

そして、この考え方を推し進めていけば、世界の中心

すべての民族の発祥の地は

天皇という神の子孫が統治する日本だということになる。

「世界に冠たる日本」こそ、世界を指導すべきだ

そのためには日本が世界のすべてを仕切るべきだ

という考え方につながることになるのだが、それはむしろ

平田の弟子たちが発展させていったことである。

 

 

優れた弟子たちが全国津々浦々にその教えを広めた。

その教えは、従来の神道に比べて明快であり

何より「死後の救い」を明確化させたことにより

かえって日本古来の神々への信仰心

ひいてはその「代表」である天皇への忠誠を高めることになった。

明治維新を成功させた要因に

この「平田教」の力が大きいことは間違いのない事実である。

しかし、その後成立した近代日本が

徐々に「神がかり」になっていったのも歴史的事実であって

多くの人々、特に戦中・戦後が少年期だった知識人の多くは

日本のそういう部分を

「平田篤胤という神道狂信者のせいだ」と捉えている。

 

 

ここで、再認識して頂きたいのは「平田教」つまり古道(神道)が

そのまま明治維新以後の国家神道に

ダイレクトにはつながらないということだ。

つまり、実は、終戦直後から比較的最近まで行われてきた

平田の評価は、この点の認識があいまいであり

そこが平田いや「平田教」の真の理解を妨げているという考え方が出て来た。

幕末から明治維新の「近代化」という流れの中で

平田とは西洋の科学や宗教を日本の思想と融合させて

新しい方向性を示した人物として、高く評価しているのだ。

 

 

そして、多くの人々が考えているのとはまったく逆に

その平田派国学、つまりそれは平田自身は「古道」と呼び

私は「平田教」と呼んでいるものだが、明治維新以後の日本の

国家神道とは、決して直結していない、ということである。

荒俣も言及しているように

島崎藤村が自分の父親をモデルにして書いた小説

「夜明け前」は、平田派国学の熱れつな支持者であった主人公が

その理想「新しき古(いにしえ)」を求め

そして近代化の中でそれが否定されていく過程をつづったものだ。

では、「新しい古」とは何か。

藤村によれば、古代に帰ることは自然に帰ることであり

「古」に帰ることによって「新」を見出すということだ。

これが幕末期に「革命」ではなく「王政復」を通じて

「明治維(すべてを新しくする)」を実現した

多くの人々の心情の底にあったものだ。

決して、単純な

「海の向こうへの憧憬(しょいけい)」ではないのである。

明治という時代への道は、平田篤胤という人物の

まさに「維新」によって開かれたと言っても過言ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イングランドの最高勲章って何をした?