人間は本来、蛇である | 天然記録

5巻261ページより

翻訳者の爬虫類神に関するコラム2/2

 

 

蛇というテーマを考えたとき、最大の疑問は

これほどまでに(古代において顕在的に、現代においては潜在的に)

蛇を崇拝していながら、なぜ人間は蛇を嫌悪するのかという矛盾である。

この疑問を考えていくと、宇宙の原初までさかのぼらなければならなくなる。

私はこのように推理する。

 

原初の状態。

ぼんやりとした中に根源意識(魂)があった。

特に問題もなかったが、少々退屈だった。

そこで複数に分離すると楽しいかもしれなと気付いた。

そこで、魂は分かれ、心(マインド)=物質(ボディ)となった。

これは何段階も行われ、いくつもの次元が誕生した。

陰と陽の二分割の繰り返しで、ニのべき乗的に複雑化する

(コンピュータの二進法との類似。

易の64卦と64種類のRNAコドン=遺伝コードなど)

思うだけで

物質を自在に操ることができるうつろいやすい次元もあれば

我々がいるこの現実世界のように

とても創造(想像)したものとは思えないほど

かっちりした物質世界もある。

 

そうしたプロセスの中で、神(蛇)が「人」という

心(マインド)=物質(ボディ)を作った(プログラムした)

神も次元の違う心(マインド)=物質(ボディ)であるが

自らが人として生まれ、楽しむためである。

男女を分け、性の快楽も作った。

神人が一体化すること(食べること、食べられること)

も快楽だった(カマキリの交尾のイメージ)

 

ある系統の神々が、人(となった神)が

この原初の過程を忘れ

ますます個別化した意識を持つように

人の心(マインド)=物質(ボディ)を改造した。

この現実世界にトラップする策謀である。

(エデンの園で蛇が人に知恵をつけたという話)

主な遺伝子プログラムの改造内容として

 

①老化を早め、短命にして、頻繁に生死を繰り返すようにした。

 

②女に月経を作り、本来は別のものであった性愛と妊娠(生殖)を結び付けた。

 

これにより、自ずと人間は増殖し、縄張り争いを続けることになる。

その戦闘で人々が恐怖するのが楽しかった。

(恐怖をエネルギー的な食糧とした)

人間が格闘技や闘牛などを好むのと同じである。

「古事記」の黄泉の国の話で

イザナミが「1日1000頭、絞め殺す」と言うと

イザナギは「ならば1日1500の産屋を建てよう」

と言い返したのは

このことを表しているのかもしれない。

 

③自らと同じような思考スタイルを埋め込んだ。

 

階層・秩序が好きで

特定の思い込みや信仰を固守し、権威に従属して集団を形成する。

そうして形成した集団間で大規模な戦闘をするようにしたのである。

また、思い込みが激しく、個別意識にとらわれ

互いに争うように遺伝子をプログラムした。

 

④神霊としての蛇を見えないようにするとともに

本能的に蛇を怖がるように人間の遺伝子を組み換えた。

 

神界(妣(はは)の国、常世)との接続を切断したのである。

クレド・ムトゥワが

爬虫類人は神々と人間の通信の妨害者と言っている通りである。

全体的(ワンネス)に考えると、こうすることで

水戸黄門的な勧善懲悪(二次元)ストーリーを

さらにリアルで複雑でエキサイティングにしたのである。

 

そして人は、自らの本体(魂)である蛇を

外側にある存在として誤認識するようになり

畏怖(いふ)し、崇拝するようになった。

これは、自分自身を怖がるのであるから

深層意識での自己否定(精神病)にもつながる。

そして、その宗教(想念パワー)により幽界が形成された。

死んでも神(蛇)の世界(常世)に帰ることなく

その幽界(想念が作っているので各宗教ごとに存在する)

にとどまるようにしたのである。

 

こうして、何度も生まれ、死んでは、現(うつ)し世と

幽界を往復するというループに陥ることになった。

人々が蛇を怖がるため、慈悲深いタイプの神々も

悲しいことに、身を隠すしかなかった(神が見えなくなった)

五感の現実世界にとらわれた人間は、文明を発達させては

自然を破壊し、神々の領域を侵していった。

地底(海底)に住む神々は、地球を守るため

何度も人間の文明を滅ぼす以外に方法がなかった。

 

時系列のように書いたが

時間は錯覚であるので、全て今発生していることになる。

この経緯からして、人間の遺伝子はもともと二元的に思考し

互いに争うようにプログラムされている。

意図的に欠陥を持つように改悪されたのである。

肉体(五感)にとらわれたままでは

平和が訪れないのはこのためである。

 

 

ところで

現在でも主流の学者たちは、爬虫類人をトンデモ扱いするだろう。

だが、いくら動物の蛇に生命力があり、脚なしで地上を滑り

水に泳ぎ、男根の形状をし、毒で一撃する能力を持つからといって

そうした理由だけで、「人間を蛇の末裔としてとらえ」たり

「古代日本人にとって、その初代の王も、また蛇となってしまう」

(吉野裕子「日本人の死生観」)であろうか?

また、動物の蛇が人間(巫女)と交合していたという説と

蛇のヒューマノイドが人間の女と交合するという話と

どっちが非常識で、どっちが現実的だろうか?

少なくとも、トンデモのレベルとしてはよい勝負だ。

 

アイクさえも出る幕がなくなりそうな

吉野裕子氏の言葉を引用する。

 

「世界蛇とは宇宙意志をおこなう大元の存在であって

想像を絶する巨大さで国土を取り巻き

その派生した蛇神、および人間を支配し

あやつり、争闘させて勝敗を決し

統一をはかるなど中央にあって静かに思念する根源的な存在である。

初代神武天皇が蛇出目である以上

天皇家の祖霊が蛇であることは当然であり

また世界各民族の神話でも見たように

太陽と蛇は密接に関係するものであるから

日神天照大神が蛇神であることは

きわめて自然に納得されるのである。」

『日本人の死生観』

 

天皇が爬虫類人ハイブリッドの血筋であるとしても

「良いレプティリアン」の系統だと

思いたいのが日本人としての心情である。

それについては、例えば、こんなエピソードが参考になる。

 

「古事記」によると、一夜を過ごしただけで

木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が懐妊したため

ににぎ命は自分の子供ではないのではと疑った。

木花咲耶姫は

それを悲しみ、産屋に火をつけて身の潔白を証明した。

そのとき生んだのが

火遠理(ほおり)命であり、その孫が神武天皇である。

つまり、恋人を信じることもできず

異常なまでに自らの遺伝子の存続に固執する存在が

現在憲法において「象徴(シンボル)(人形)」と

定義された存在の祖先であると公式の記録に書いてある。

 

では最後にこの言葉で締め括りたい。

 

人間とは

「仮に人の姿となっている蛇」であって

現世にあふれる蛇の一種なのである。

人間は本来、蛇であるゆえに祖霊蛇の領する他界から来て

他界に帰すべきものであって、その誕生は蛇から人への変身であり

死は人から蛇への変身である(日本人の死生観)

 

こうして2008年に91歳で「他界」された

(蛇に変身された)吉野氏は

神体とされる「鏡(かがみ)」は

「蛇目(かかめ)」または「蛇身(かかみ)」だと述べている。

神社に参拝すると、正面には鏡があることが多い。

 

あなたが拝んでいる鏡には

何が現っているだろうか?

要するに

私もそうだが、あたなも爬虫類神(レプティリアン)なのである。

 

5巻おわり 2巻につづく