5巻255ページより

翻訳者の爬虫類神に関するコラム1/2

 

 

日本の歴史を振り返ると、この地球物語の縮図のようである。

江戸時代(過度に美化するべきでないが比較的)

自然と調和した生活をしていた日本に

発達した技術を持った西洋人が黒船でやってくる。

西洋人は、日本人を西洋の思想で洗脳し

現在に至るまで日本人を代理人として日本を支配している。

さらにさかのぼれば、自然と調和した生活をしていた古代の日本に

水稲栽培や土木技術などの高度な技術を持った大陸人がやってきた。

これが王権を樹立し、歴史を捏造して、日本を支配してきた。

もっとさかのぼれば

縄文時代にも同じ乗っ取りのパターンが繰り返されていたのかもしれない。

我々日本人としては

日本こそは自然と調和して生きるナヴィであり

地球を蝕む邪悪な勢力と対峙する存在であると信じたいところである。

先史文明に詳しい浅川嘉富氏は

古今東西の情報をもとにこのように総括している。

 

①地球の創成期には龍蛇族(龍神系宇宙人)が深くかかわっており

その中心となって働いた龍神は

国常立尊(くにのとこたち‐の‐みこと)

「日本書紀で、天地開闢ののち最初に出現した原初の神」であった。

また天照大御神(あまてらすおおみかみ)も

白龍神ともども大いなる働きをされたようである。

 

②人類は龍蛇族のDNAをもとに創造され

その初期の姿は人魚と両性類を合体させたような水棲動物的で

時代を経て今日の姿に変容してきたものと思われる。

 

③龍蛇族系のグループに属する宇宙人には

プレアデス人やシリウス人のほか

グレイ型のゼータ・レクチル人などもいるようだ。

 

④レプティリアンや龍蛇族の中には

「幽界」(アストラル界)に住む者と、「神界」に住む者がおり

前者の一部には地球人の進化を妨げようとしている邪悪な存在もいる。

この種の存在とオリオン系の一部の宇宙人が

地球支配を目論む地球人と手を組んだ集団が、いわゆる「闇の勢力」である。

ただし、龍蛇族のほとんどは人類を導く高次元の存在である。

 

⑤かつて龍蛇族はムー文明を興し、ムー大陸を統治していたが

やがて、オリオン座からやってきた物欲と支配欲を持った

アトランティス人との間に戦いが起こり

最後は天変地異により滅びることとなった。

ただ、ムー大陸の一部は沈まずに残され

それが現在の日本列島となっている。

また、ムー時代にも日本という国は存在しており

それを統治していたのが国津神(国土の各地方の有力な神々)

と呼ばれる人々であったようである。

 

⑥滅亡したムー文明を引き継いだのが

大艱難に遭遇しながらも生き残った日本で

再スタートを切った地の一つが

九州の高千穂峡や幣立神宮一帯であった。

その後、神武天皇が戦い続けたのは

オリオン系の獣神に導かれた一族であったようで

現在も両者の戦いは次元の違う世界で続いているようである。

 

➉「闇の勢力」により

人類の創成に龍神や龍蛇系宇宙人が

深く関与していたという事実はこれまで巧妙に隠されてきた。

そして、龍神や宇宙人たちも長い間神界に身を退き

また海底基地に潜んで、陰から人類を指導してきたふしがある。

「龍蛇族直系の日本人よ!ヒカルランド、2011年」

 

また、聖徳太子が編集したという

「先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんぎたいせいきょう)」

(1679年に江戸の書店で発見)には

神武天皇など初期の天皇が龍蛇を思わせる姿をしていることが

記述されていることも指摘してある。

記紀にも、さまざまな神・人がワニから生まれたとか

蛇から生まれたと堂々と記述されているのであるから

何ら不思議はないことであるが

この文書は偽書扱いされ、関係者が処分されたそうである。

 

アイクもこのように述べており、おおむね共通している。

 

「ずっと昔から地球に狙いを定め、資源を略奪し

人々を支配しようとしていた爬虫類人のグループがいた。

念を押しておきたいが

特定の爬虫類人グループのことであって、全ての爬虫類ではない。

爬虫類種の多くは、より高次なレベルの意識につながっている。

だが、霊能力と物理的(肉体的)な手段を使い

両性的だった人間の振動状態を崩そうとする無法者の爬虫類人グループがいた。

そして、こうした爬虫類種が生命の糧(エサ)としている

「恐怖」の振動を非常にゆっくりと徐々に植えつけていったのである。」

(第10章)

 

星座には動物の名称を付けたものが多いが

宇宙のいろいろな星の生命体が

地球を舞台に勢力争いをしていることも想像できる。

稲荷台遺跡(千葉県市原市)の古墳群が

北斗七星の配列になっていたことが

今年(2011年発行)発表されているが

他の古墳でも壁画に星座が描かれていることや

エジプトのピラミッドが

オリオン座の三ツ星の配列になっていることなどを考えると

それぞれ故郷の星との接続を暗示しているのかもしれない。

 

ところで

善良なレプティリアンと邪悪なレプティリアンは何が違うのだろうか。

こうした問いを考えるとき、我々は人間を中心に考えてしまいがちである。

つまり

邪悪なレプティリアンとは人間に災いをもたらす存在で

善いレプティリアンとは

人間に豊かで安定した生活をもたらす存在だと考えてしまう。

あるいは、恐怖をエサにするのが邪悪なレプティリアン

快楽をエサにするのが善良なレプティリアンという区分もできるだろう。

 

人間を中心に考えるということは、ヒューマニズム

人間の生命尊重主義であり

究極的には人口の増加を善とする思想に行き着く。

科学技術の発達や相互の思いやりなどにより

なるべくたくさんの人間が生きているべきという思想である。

そして、人口の増加を技術の向上により克服したかと思えば

また人口が過剰になり新たな技術の開発が必要になるという

エンドレスに新たな問題が噴出する状態に行き詰まってしまう。

 

動物の蛇は、善だろうか?悪だろうか?

生理的な嫌悪感(心と感情)を除去し

よく習性を観察すれば分かるように

蛇は特定の刺激に対して

特定の反射的行動を取っているだけであって

それが危険かどうか

農作業の邪魔になるかどうかは、人間が判断しているだけである。

善悪は人間(心)が決めているに過ぎない。

 

自然に対する人間の思いも同じである。

生命を育む太陽の光など人間にとって都合のよい部分は「善」と捉え

地震のような災害をもたらす部分は「悪」だと決めている。

同じ自然

一体をなしている自然を、人間中心の視点で善悪に分けている。

津波の被災者に対する「同情」も

人間が人間に同情しているに過ぎない。

我々が自然(竜)を敵だと思考すれば敵になるし

味方だと思考すれば味方になる。

 

我々が「人間」という肉体と心に束縛されている限り

この人命尊重主義の観点から一歩も抜け出すことはできない。

そして、支配システムは、その人命尊重主義

肉体サバイバル至上主義を利用することで人類の魂を支配し続ける

(根源意識と絶縁し続ける)ことができる。

病気に感染しないようにワクチンを打ちましょうとか

食品の衛生管理を徹底しましょうとか

安全のために警備を強化しましょうとか

テロを防ぐために戦争しましょうというようにである。

 

人命尊重主義から脱却したとして、それに代わる価値観として

例えば「美しい地球」に人命よりも高い優先順位を付すなら

良いレプティリアンと悪いレプティリアンは、どこで線引きできるだろうか。

今の人類は、「美しい地球」に貢献する存在だろうか

それとも地球を汚している存在だろうか。

その人類を殺戮しようとするレプティリアンは善悪どちらになるだろうか。

人類を支配・支援し

地球の汚染に拍車をかけているレプティリアンは良い存在だろうか。

他の動物、樹木などの植物にとって

良いレプティリアン、悪いレプティリアンとは、どんな存在だろうか。

 

地球を一つの生命体(竜)として見ると

(地震兵器が使用されたか否かにかかわらず)

天変地異は地球の免疫反応、排毒作用とも考えられる。

アイクが言うように、地球そのものも

今、新たな振動に同調しようとしているならば

癌におかされた人間が自己治癒力で回復していくように

地球にとって有害な生物を排除しなければならない。

そのプロセスを人間の立場から見ると「自然災害」になる。

それは肉体レベルの生死だけでなく

振動的に地球と共鳴できない魂(霊的なボディ)は

追放される(または消滅する)ということだろう。

 

第6巻に詳細に記述されているが

この仮想現実はホログラムであり

地球と個々の人間の肉体は、相似形で連動している。

ということは

地球の汚染は、我々の身体の病気となって現われるし

我々の身体を健全に維持することが、地球の浄化になるということである。

医薬品が糞尿となって地球を汚している。

 

テレビの時代劇「水戸黄門」は

悪代官や商人に苦しめられている民衆を

最後の場面で光圀公が救出するというストーリーであるが

それと同じように、良いレプティリアンがいるならば

最後の土壇場で

人類を救出してくれるのではないかという期待を抱くことも可能である。

だが、巧妙なことに

悪代官が大部分の民衆をピラミッド支配体制に組み込んだ国があり

民衆が互いに監視し、競争し、奪い合うように操られ

そのことを民衆が自覚していない状態だとすると

水戸黄門に救出できるものだろうか。

 

あるいはこのように言い換えるとよいかもしれない。

自分に何でもできる超能力があったとして

悪い連中を好きなだけ殺すことができるとしよう。

それで、例えば

アメリカの現在の支配勢力を皆殺しにすれば、世界は平和になるだろうか。

地球の人間を覚醒させ

精神的に高次元に導くのが良いレプティリアンならば

「闇の勢力」を構成するレプティリアンこそ

我々に人間の臆病さ、醜悪さ、卑屈さを痛いほど分からせ

自らの欠陥を直視させる、最高の指導者的

反面教師的レプティリアンとも言えるのではなかろうか。

人間の積極的な協力なくして彼らの支配はありえないからである。

 

なぜ、そもそも邪悪なレプティリアンが地球に介入してきたのか?

全てが必然であるならば、その「必然性」はどこにあったのか?

アイクもその答えはまだ示してくれていないようだ。

今後の解明に期待しつつ、我々自身で考えなければならないことだろう。