右左脳統合セラピスト・yuko -23ページ目

右左脳統合セラピスト・yuko

徒然なるままに
日々の気づきをシェアすることで
わかるわかる、とか
あ、この人わたしとおんなじこと考えてる、とか
あー、そうかも、たしかに。とか
そんな『場』を作っていけたらいいなぁ
と思って始めてみました。



気がつけば
ワナシリーズが作れそうなくらい
『ワナ』ネタが増えてきました(笑)


裏を返せばすべて
わたしがまんまと引っ掛かってきた
トラップでもあるわけで、、



トラップに引っ掛かる経験も
抜け出せずにもがく経験も

場合によっては
トラップに引っ掛かっていることに
気づくことすらなく生きることも

それぞれに面白いとは思うのですが



・しんどくなってきた方のために

・もう限界間近でリタイアしたくなってきてしまった方のために



今日も試行錯誤しながら

しんどい状況から抜け出す手がかりになる情報を提供できればと思っています。


なんだかRPGの攻略本のような感じになってきましたね、、(笑)





さて、本日のテーマは


『思いやりのワナ』


これを 論理的に分解して
またひとつ
しんどい状況から抜け出しましょう。




さて、さっそくですが

『いまここ』についての記事のときと同様、今回も


『思いやり』を3つに分類してみます。


普段の自分と照らし合わせながら
読み進めてみてくださいね。




【3つの思いやり】


①自分がよい(嬉しい・助かる)と思うこと(もの)は相手もよいと思うはずだ、

という思考を前提に

相手を喜ばせたり
助けになろうとしたりする



②自分がよい(嬉しい・助かる)と思うこと(もの)ではなく
相手にとってよいものとはなにか、

という思考を前提に

相手を喜ばせたり
助けになろうとしたりする



③自分がよい(嬉しい・助かる)と思うこと(もの)に加え
相手にとってよいものとはなにか、

という思考を前提に

相手を観察し
情報を集め
相手の抱える様々な状況や心情を考慮し


根拠に照らし合わせながら推理した上で


相手を喜ばせたり
助けになろうとしたりする




以上が3つの『思いやり』です。

どうですか。
もしかしたら すでにハッとしてるかもしれないですね。


いまいちピンとこない方のために
もう一声(ひとこえ)、、


もうすぐバレンタインなので
チョコレートをプレゼントするというシチュエーションを当てはめてみましょう。



①自分の好きなチョコをあげる

②相手の好きそうなチョコを自分なりに考えてあげる

③相手の趣味・嗜好(しこう)やその他の情報収集(年齢 職業 健康状態etc)をもとに

相手の好きそうなチョコを推測し、あげる



といった感じでしょうか。


この3つの思いやりは
どれが間違いで どれが正しい、

というものではありませんが

明確な『違い』があることがお分かりいただけましたか。



そして、その違いによって
摩擦が起きる、
つまり 誤解したりされたりする確率が変わってくるのですが、

それに関しても明確にお分かりいただけましたか、、?




では もう少し分析してみましょう。



①は 自己満足の要素のみ

思考回路の中に相手が存在していないので、
おそらく『自分にとっての思いやり』を提供したら そのこと自体に満足して

提供後の相手の反応をみたり
気にしたりすることはなく

ひたすら自分自身が満足いくかどうかに照準が合っている思いやりです。

でも 価値観が非常に近い相手なら
大喜びしてくれることも十分考えられます。




②は 相手のことを考えているけれど
考えるための根拠が

『自分のモノサシ』

つまり自分の経験から良いと判断したものだけからきているので


相手の反応がイマイチだった場合に


【あなたのためを思ってやったのに】

(わたしがしてもらったら 嬉しいのに)

→全然喜ばれない
→恩着せがましくて むしろ迷惑


という結末に至る確率が高いタイプの思いやりです。

大概『自分のモノサシだけ』に偏(かたよ)っていることを

本人が自覚していない場合が多いような気がします。




③は 自分の価値判断基準も尊重しつつ、


『観察』や『情報収集』などの
【根拠にもとづく推理】によって

相手の喜びそうなこと
相手にとって助かりそうなことを探すので


確率としては当てがはずれにくく

万一 喜ばれなかったとして
あるいは むしろ
相手の気分を害してしまったとしても


相手と自分は違うのだ、

という健全な理解に至れば
自分の価値観を否定する必要もなく


むしろ
自分の観察力や推理力の及ばなさに視点が移り、

それをこそ『磨く』必要がある
という結論に至れる

・摩擦が起きにくく

・相手を責めず 自己否定もせず

・経験を重ねるごとに『改善』あるいは『洗練』されていく可能性が高い

思いやりです。


が、
背景や時間軸をしっかり考慮しなければ

瞬間的に相手が喜んでも
長い目で見たときには むしろ悪夢を引き起こす

『浅はかな』思いやりになることも十分考えられます。





どうですか。
なかなか面白いと思いませんか。



それから
何かに気づきませんか。

そう、これって実は
いわゆるビジネスのマーケティングをするときに

『大前提』となる基準ですよね。
つまり、、



①自己満足の製品やサービス

②一生懸命考えた製品やサービス

③市場調査、情報収集、取材などを丹念に行った上で提供する製品やサービス

(個人的には +世界情勢と地球環境も考慮しているものを極力選びますが)

またお客様の声をもとに反省と改善を繰り返すことで、

まだまだ向上していく可能性が高い製品やサービス


といった具合に。



でも意外と
マーケティング戦略を練るときに
実践しきれていなかったり


逆にマーケティングのときには
大前提の概念として頭に入っているのに

対象が身近な人、、


恋人や友人や
親や兄弟、
あるいは娘や息子とコミュニケーションをとるときには


途端に応用がきかなくなって、
まったく検討違いの思いやりでもめてしまったりと


一筋縄(ひとすじなわ)ではいかないのがこの

【思いやり】なのかなと思うのですが、いかがでしょうか。




そして あと一つ。

どんな種類の思いやりにも

『とんでもない化学反応が起きる可能性がある』

ということを知っておくことが大切です。

特に『演出』によっては



・まったく自己満足の追求だけだったのに
感動をもたらすこともある

・中途半端な推理で自分の価値観を提示しただけなのに
泣くほど喜んでもらえることもある

・懸命に調べて推理して準備したにも関わらず イマイチな反応しか返ってこないこともある


などなど、、
面白いというか難しいというか、、




では、そろそろまとめに入ります。


相手を思いやる、という言葉は
小学生でも知っていますよね。


でも、度々お伝えしている通り
この『知っている』という感覚がクセモノです。



思いやりという言葉の中には
たくさんのワナが潜んでいて

無自覚に(気付かずに)
思いやりとは真逆のことをしているかもしれないのです。

特に観察力と推理力が低い場合は。



でも、怖がることはありません。
思いやりになっていない可能性があるのだと知っていればよいのです。


そして、真逆の思いやりにしたくなければ
観察力と推理力を磨けばいいのです。

ベースとなる情報収集を怠(おこた)らず。




『思いやる』を言い換えると

『根拠をもとに推理する』こと

と言ってもいいかもしれないですね。




そして最善を尽くしたあとには
こう言いましょう。

『これでいいのだ』と(笑)


でも
この言葉を使っていいのは
最善を尽くしたときだけです。

それに、いつでも反省(フィードバック)は必要です。
反省の中には宝がたくさんありますから。



以上はあくまでも

向上したい、変化したい、同じ失敗を繰り返したくない

相手に自分の価値観を押し付けたくない

気付かずに 独りよがりの思いやりで満足するのは怖いetc


という思いを強く持って生きている場合は、です。



なぜなら これが正しい生き方だ、という思いはないですし、

やはり生物は多様だからこそ
色々な人間模様があってオモシロイ

のかなぁと近頃しみじみ思うので、、



ただ一つ言えるとしたら

ワナの存在を知っていたら

相手や自分を責めたりガッカリさせたりという体力気力を消耗する時間を

もっと楽しい別のことにも使えるかも、

ということ。



なんでもそうですが、
『選択肢を手に入れて使い分ける』
ことができるほうがいいですよね。



さあ、今日も内在する可能性を磨く旅を
じっくり楽しみましょう。

わたしもまだまだ旅の途中です。