大空賞(ストーク修復①) | オバサン、52歳からのオートバイ挑戦日記

オバサン、52歳からのオートバイ挑戦日記

夫のオートバイといっしょに、出会ったこと、感動したこと、書いています。
このブログ見てくださった方が、元気になってくだされば、嬉しいです!

2023年3月1日 水曜日

 

49年前、小5の冬、

 

私は大空賞をもらった、

 

 

大空賞とは、

 

母校の小学校の学校行事の凧揚げ大会で、

 

一番飛んだ凧を作った児童に贈られる、

 

名誉ある賞である、

 

 

11歳の私は、

 

竹ひごをロウソクの火であぶり、上手に曲げ、

 

和紙を洗濯のりを薄めて貼り、

 

荒縄を農家から譲ってもらって尻尾にし、

 

 

横幅が約1.8mの楕円形の、

 

軽くて巨大な凧を作った、

 

 

 

私の凧は、

 

いったん空に上がると、

 

風に乗って、一定の高度を保ち、

 

いつまでも空高く泳いでいた、

 

 

 

私が降ろそうとしない限り

 

凧は降りてくることはなかった、

 

 

1974年は、

 

寅年だったので、

 

 

 

黄色と黒の絵の具で、

 

可愛いトラの絵を凧に描いた、

 

 

青空に浮かんだ

 

私のトラ凧は綺麗だった、

 

 

私が大空賞をもらって、

 

クラスの男の子たちは、

 

悔しかったのだろう、

 

 

なぜなら大空賞は

 

手先が器用な男子がもらうことが多かったから、

 

 

男の子たちの

 

悔しかった気持ちは、

 

凧揚げ大会が終わってしばらくあと、

 

私の凧に向けられた、

 

 

凧揚げ大会のあと、

 

私はすぐに凧を、

 

家に持ち帰らなかった、

 

 

団地住まいの狭い我が家には、

 

巨大な凧の置き場はなかったから、

 

 

教室の後ろのロッカーの上に、

 

私は凧を置いていた、

 

 

ある日の放課後、

 

何人かの男子が私を見て、ゲラゲラ笑いながら言った、

 

「お前の凧、ボロボロになったぞー」

 

ロッカーの上の私の凧は、男子のパチンコ遊びの標的にされ、

 

可愛いトラ凧は、穴だらけで無惨な姿だった。

 

 

私は、

 

あまりのことに、

 

言葉が出ず、呆然とした、

 

 

凧を標的にした男子たちに

 

怒る気力も失せて、

 

 

ただただ、

 

悲しかった、

 

 

骨だけになった凧を、

 

私は、自分の手で壊し、そして捨てた、

 

 

大空賞のことを思い出すと、

 

最高に良く飛ぶ凧を作った誇らしい気持ちと

 

ボロボロにされた悲しい思いが同時に蘇る、

 

 

 

ストークのことを、

 

書くことになって、

 

調べ始めた頃、

 

 

ストークは世界記録更新後、

 

格納庫でボロボロになっていったと聞き、

 

私は自分の凧のことを思い出し、胸が痛んだ、

 

 

けれど、ストークは国立科学博物館に入館し

 

国の宝物となったので

 

もう壊されることはないのだ、

 

 

 

 

 

2021年8月23日、

 

私は小山駅に降り立った、

 

駅には、石井さんが迎えにきてくれていた、

 

 

4日前、

 

石井さんからの切迫した電話があった、

 

「大江さん、何時ヒロサワに来れますか?なるべく早く来て修復を手伝ってください!」

 

 

 

~つづく~