12月15日火曜日、大阪府は羽曳野市まで走りました
南阪奈道の美原東ICで下車して十数分で『青龍山 野中寺』に到着
今回は西国薬師霊場めぐりで行きました。
【仁王門 左右の仁王さん】
仁王門から境内に入ると、こんな感じです
大きな松の木がありました
略縁起、読めません
【略縁起】 羽曳野市のHPからお借りしました
《野中寺は聖徳太子が建立した46寺院のひとつで、太子の命により蘇我馬子が造ったと
伝えられ南河内町の叡福寺を「上の太子」、八尾の大聖将軍寺を「下の太子」と呼ぶのに
対し、野中寺は「中の太子」と呼ばれています。本寺は丹比郡野中郷を本拠としていた渡来系
の船氏の氏寺ではないかと言われています》
【三重塔跡】
《丹比道(たじひみち)(後の竹内街道)沿いに南大門を構え、七堂伽藍(金堂・講堂・塔・食堂・
鐘楼・経堂・僧坊)を備えた大寺院でしたが南北朝時代の戦火によって消失、江戸時代に山城国
の僧覚英(かくえい)が律宗の戒律道場として再興し、丹南藩主の高木氏や狭山藩主の北条氏、
大和郡山藩主柳沢氏の帰依をうけて、本堂・薬師堂・経堂・鐘楼・地蔵堂・僧坊などが建立され
ました。また、大和郡山藩主柳沢吉里が寄進した別邸を移築して客殿・仏閣・食堂とし、方丈や
勧学院(僧侶講学の機関)として使用されました。境内には三重塔や金堂跡など飛鳥時代の伽藍
の一部が残されていて、国の史跡に指定されています》
【鐘楼】
【石棺】
これは人を葬るための部屋で、二上山で採れる凝灰岩を加工して
10個の石材を組み合わせて作られています
石棺、詳しくはこちらで説明されています
ちょっと薄くて読みにくいですけど・・・。
【本堂】
仁王門から正面に見えるお堂です
【本堂】
「お染・久松の墓所」があるので行ってみます
「お染・久松」と言えば水間寺にもあったな~って思ったら、それは
「お夏・清十郎」だった勘違い。お染久松は野崎観音だった~。
【お染・久松の墓】
【地蔵堂】
【客殿】
【大師堂】
【金堂跡】
ふむふむ、なるほど
受付に行って、
「庭園の拝観の拝観出来ますか?」
「庭園の拝観は毎月18日の御開帳の時だけしています」
「あ、そうなんですか!」
という事で、お隣の【野々上八幡神社】も参拝
【鳥居をくぐって一つ目の狛犬さん】
【拝殿】
【拝殿前の狛犬さん】
【平和の社】
再度、「野中寺」へ。
【西国約霊場の御朱印】
今回はこんなところです
ではまた次回に