7月13日土曜日、羽曳野市にある誉田八幡宮から応神天皇陵
を目指したのですが、拝所の場所が結局分からずに仕方なく、
河内長野方面へと進路を変更しました。
通行量の多い旧国道170号線を避けて石川沿いを走ります。
その途中で『壷井八幡宮』へ立ち寄りました。
公園のような【境内】
【手水舎】には七夕らしく「笹」が添えられていました。
いや、七夕はもう過ぎていた。
石段を登って正面に見えるのが【壷井八幡宮の本殿と拝殿】。
《神社周辺一帯は河内源氏の本拠地で、寛仁4年(1020年)に源頼義が河内国司
に任じられて以降、頼信・頼義・義家の三代にわたって当地に居住し、河内源氏
と呼ばれるようになった。》
このストーンサークルみたいなの何やろ
樹齢1000年以上の天然記念物【楠の木】
【壷井八幡宮拝殿】
康平7年(1064年)5月5日、前九年の役に戦勝して凱旋した源頼義が、河内源氏
の氏寺・通法寺の北側で、現在地である河内国香呂峰の私邸の東側に社殿を
造営し、河内源氏の氏神である岩清水八幡宮(京都市八幡市)を勧請したのが
当社の始まりである》
【壷井八幡宮本殿】
《頼義の5世孫である源頼朝が鎌倉幕府を開いた後は、河内源氏の総氏神は
壷井八幡宮から鶴岡八幡宮に移り、壷井八幡宮は河内源氏の祖廟にして当地
に土着した河内源氏である石川源氏の氏神となる》
《南北朝時代から戦国時代にかけてたびたび兵火にかかり荒廃。
現在の社殿は綱吉の命で柳沢吉保が再建したもの》
【壷井神社 (壷井権現社)】
《天仁2年(1109年)、源義家の六男義時が創建して河内源氏の宗廟としたもの・・》
【狛犬】
壷井神社拝殿の奥に見える【壷井神社本殿 (河内源氏宗廟)】
【句碑】
【源義家公の歌碑】
義家は前九年、後三年の役で活躍した武将です。
え~と何と記されているかはですね~
なるほど、ふむふむ。
【御朱印】
このあと雨もさらに強くなってきたので、これで帰路に着きました。
ではまた次回に