巨石遺産に観る人類進化 | 風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

霊性、祖霊、魂、精霊、生霊など見えない存在、植物、動物など言葉をもたない存在と対話して自分の役割(本質本性)を知り、風と対話してご縁の結び目を解くことで、この世あの世さらにはその向こう側の謎を解いていきます。

遺跡遺構、発掘物、巨石等人類の足跡の説明として、信仰、宗教施設に結び付けるのはなぜでしょう?


信仰心が、それほど人類進化の原動力になったのでしょうか?


巨石の切り出し・運搬・設置等は現代の土木技術をもってしても相当な時間を労する作業のようです。


当時の技術、労力では、想像するだけ十分過ぎる困難なのに、その目的を迷うことなく信仰、宗教施設と位置づけてしまう、現代学者の想像力の乏しさ、先入観には、呆れてしまいます。


超古代の人々は何処に居る人でも、異なる環境の人々でも、何をさしおいても、信仰が生きることだったのでしょうか?


縄文人の血を引く私としては解せません(笑)


百歩譲って信仰がどれほど大切だとしても、信仰と巨石を設置することがどうも結びつきません。人類の進歩進化の原動力になっていたとは思えません。


私が師と仰ぐ筑波山曰く…

「巨石は、自然界の気象変動、食糧確保、感染症等の猛威、脅威に対抗する、負けないぞという気持ちの現れ、奮い立たせる虚勢の表現です。現代人も信仰心はありますが、自然の恩恵と脅威を熟知した上でとりあえず克服して造る巨大建造物には信仰の欠片も伺えません」


「さらに言うと、古代人は今の人がテレビやネット見るような気持ちで、太陽、空、星空、月を見上げ見入り、憧れ、妄想を抱いていたと思います」


「天からやって来る者、それが自分たちに危害を与えるものなら巨石が警告になり、神のようなものなら自分たちのもとへ降り立ってほしいという願いの目印だったのです」


以来数千年、数万年経った今日でも、私たちは天(神)に期待する気持ちは消えていないようです。


車椅子に乗った理論物理学者のホーキング博士は「人類が異星人とコンタクト取るのはまだ早い」と警告していましたが、人類の心はまだ神の領域を出ていないようです。まだ神のゆりかごで揺られていましょう…


太陽系の自然=恵み=脅威=神を心底理解して、天を仰ぎ見る謙虚さがあれば地上に神は無用です。巨石も無用です。