お伽噺「桃太郎」では桃が一つ流れて来て、お婆さんは疑わずに拾って家に持って帰りました。
人生は魂の描く舞台ですが、このお婆さんの魂はお婆さんに洗濯させても選択はさせなかったのですね。お婆さんは疑わないという役を演じたようです。
この物語は「選択」の場面が重要で鬼退治は付け足しです笑。
もし桃が二つ、あるいは桃栗柿三つが同時に流れて来たら、お婆さんは「舌切り雀」のお婆さんのように三つとも取ろうと欲張って、川の中で必死のどじょうすくいをしたでしょうか笑。
魂の描く人生舞台は、好き嫌いを小道具に、因果応報を大道具に「善悪そして裁く」というテーマで正解を求めて、これでもかという繰り返しで進行します。
ごく簡単に言えば人生は出会いと選択です。長い人生で、出会わない、選択しないはないと思います。
出会いはいっぱいありますが、その出会いの選択枝の多少はそれぞれの魂のさじ加減です。
稀に家宝は寝て待てという、棚ぼた、兎が切り株にぶつかって転ぶのを待つ人生を描く、臍曲り?面倒くさがり屋の魂もいるようです。
私の場合は、あまり努力しない人生でしたので、もしかしたら切り株人生のような気もします笑。結果、そこそこ生きてきましたが、後悔のほうが多いです。
ふつうは二者択一の出会い、選択が多いと思いますが、中には一本道、選択肢がありすぎて疲れて、ご自由にと「誰か任せの人生」、あるいは下駄を投げる人もいるでしょうか?
真ん中、中庸では選択肢は無いのも同じです。
この世は太陽系(個人、カップル、家族)、銀河系(学校職場等)、銀河団(国家)のように廻っていますが、それでも小道具は好き嫌い、大道具は因果応報です。わりと単純です。
それぞれの舞台で渦巻き(衰勢、輪廻転生)、時間(意識)、物質、法則(想念、意思)が廻っていますが、いずれ宇宙の縁(ふち)が解けて、それぞれの渦巻きが緩み秩序がなくなります。
又螺が巻かれるのか、渦巻き以外の秩序が生まれるのかは、預かり知らないことです。
この世は、
原因と結果
光か闇か
生か死か
女、雌か男、雄か
右か左か
天か地か
表か裏か
凸か凹か
非干渉か干渉か
0か1か
善か悪か
正か負か
陰か陽か
美か醜か
ハレ(非日常)とケ(日常)
好きか嫌いか
恋愛か見合いか笑
大か小か
白か黒か
正解探し間違い探し
拾う捨てる
PCR検査の陽性か陰性か
アメリカかチャイナか笑
国産車か外車か笑
まだありますか?
この辺で列挙はやめますが笑、こうした二極化の中で地球には陸海空があって、それぞれに生き物がいます。天気で言えば晴れ雨時々曇り等があります。これらの二極崩れはヒントになるのではないでしょうか?
いずれ訪れる因果崩れ
次元の捉え方も私たちのいる世界は三次元とされていますが、十一次元まであるという、途方も無い学説もあるようです。
この世では、すでに二極が崩れているものがあります。
東西南北
大か小か中か
黒か白か半グレか
両棲類か陸棲か水棲か空棲か
雌雄同体
擬陽性か擬陰性
葉か昆虫か擬態する虫、鳥
光は波か粒子か電磁波か(?)
中性
糞味噌いっしょ
グラデーション
優柔不断
粗探しで、
きりがないです。
かたちあるものは左右対称が多いですが、いずれは左右非対称の世界も現れるようです。
レオナルド・ダ・ビンチも描いている自然界の対称性、黄金比、フィボッチ数列等にとってかわるものに、いずれ自然界は化けるのです。
遠くから見て宇宙があまりにも美しいので、人類は、
宇宙、この世、自分の存在に、
正誤で、
拙速に、
答えを見出し、納得しようとしています。
答えは正誤でなく、それぞれの思考想念から誘(おび)き出した笑結果が無数にあるのです。
私たちのこの世(宇宙、次元?)は、化けるが本質です。
だから味わうだけでいいのです…?
調理はご自由に笑。
宇宙は、人類が調理できるうちはカワユイのです笑
醜い宇宙の姿だったらどうします?