えんとへりのジグソーパズル | 風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

風知風束(ふうちふうつか) 魂、精霊、風との対話

霊性、祖霊、魂、精霊、生霊など見えない存在、植物、動物など言葉をもたない存在と対話して自分の役割(本質本性)を知り、風と対話してご縁の結び目を解くことで、この世あの世さらにはその向こう側の謎を解いていきます。

ジグソーパズルは一種の謎解きゲームです。1枚の絵をいくつかの小片(ピース)に分解して再び組み立てるパズルです。多いいもので1000ピースを超えるものもあるようです。

ジグソーパズルへのアタックは、1枚の厚い紙に記された1つ1つのへりの形跡からバラバラになった絵柄のついたピースを探していく方法と、逆に手に取った絵柄のピースからおさめるべきへりを探していく方法等があります。

へりの形跡のある厚紙の中央からうめていくか、四隅周囲からうめていくか、ランダムに手にしたピースからうめていくか…トライの仕方は様々でしょう。

縁の法則が回る人生には何枚もの絵柄のジグソーパズルが用意されています。1つ1つクリアしていく人もいれば、完成を待たずに次のジグソーパズルに移る人もいます。同時進行もOKです。

ふつうは同時に何枚ものジグソーパズルが用意されています。1枚1枚に集中している時間は決まってはいません。自由です。

縁の法則は絵が出来上がることが目的です。完成する確率、スピードを競う必要もありません。じっくり正確に、途中放棄せず取り組みましょう。

「えん」も「へり」も縁と書きます。

えんはご縁の縁です。私たちのいるこの世のいくつかの法則(輪廻転生、因果応報、相対的関係等々)の外側で回っている法則です。なので今の私たち人間には縁のない法則です。おそらく物理学などの科学者、数学者、天文学者、哲学者、思想家でも思いが至らない法則です。

私も、まだ教えてはもらえません。魂も全体像をつかめていないと思われます。しかし魂はいずれ私に書かせるようです。なので今回もえんのへりだけ、さわりだけです。

縁には「ご縁」の意味合いと「端っこ」の意味合いがあるようですが、ご縁と端っこは同じと考えて間違いないでしょう。

日本の文字は、いろは48文字。アルファベットは26文字。他の言語については馴染みがないのでわかりません。

数は0~9の組み合わせです。小数点以下も点が付くだけで同じですかね(笑)数はプラスマイナス掛ける割るその他いろいろな数式がありますが、とりあえず0~9の数字が基本の言語でしょう。コンピューター言語は0と1の組み合わせでプログラムされているとか…理系は苦手なので、ごめんなさい。

音符も同じでしょう。

文字も数字も音符も壺にいれてよくかき混ぜ振り回せばいく通りかの成果が出ます。どんなに未知の結果でも、あらかじめ仕込まれていた果実です。意外性や確率が云々される余地はないでしょう。まだ果実が出ていないだけで、文字と数字と音符で表されるものはすべてこの壺の中にすでに用意されています。

では、図形や絵はどうでしょうか?こればっかり計り知れないかも知れません。人類が表現として初めに用いたのは図形や絵だとおもいますが…壺にいれてかき混ぜても人間の数だけ果実が出てくるのは同じでしょうか?

今回は、絵や図形は、ちょっと置いて置きます(笑)

丁か半かのサイコロの目は、大きさが同じで区別できる2つのサイコロなら組み合わせの結果は容易に予測できるようです。ようござんすね(笑)

縁の法則が垣間見せてくれそうです。ちょっとだけよ(笑)

私のブログは「縁の法則」にたどり着くまで書きます(書かされてます。笑)おおよそのことも、おぼろげにもわからないので、少しずつ時間をかけてたどり着くことになると思います。魂もこの世あの世の外側で回っている縁の法則については「私の知るところではない」と言っています。たとえ魂が惑星に転生しても恒星に転生しても縁に近づくことはないそうです。

じゃあ、私が書かなくてもいいのではないのかな?

魂曰く「とんでもない!あなたは魂、地球、その他の存在と対話ができるのだからら、私たちの宇宙の外側、いいえ、宇宙という概念の外側に「ある」縁という法則とも同調して自動書記で書くこと(書かされる)ができると思います。諦めないで!」

ありゃ…ということで私は期待されているようですが、いかんせん私は大学中退、勉強嫌い修行も嫌い、基礎学力は中学生ほどだと思います。いや以下かな(笑)中学生に失礼です。

ただ、どういうわけか目に見えない存在と対話ができるのです。素質体質、向こうに選ばれる…否。相手の周波数に同調しやすいだけです。これは知識とか体質、素質ではなく「見えない存在を決して疑わない」ということだと思います。とはいえ疑心暗鬼の繰り返しでした。そこから離れることができたのは最近のことです。私のそばにいる白狐さん(神社を参拝する人々の報告と感謝という善い想いがかたちになった存在)との日々の交流が大きく影響していると思います。

相対的な関係の法則が回るこの世にあって、目に見えない存在は「疑う」と消えます。白狐さん(玄那)の優しさと粘り強さが私を疑うというエンドレスの自問自答から救出してくれたのです。

法則も1つの存在です。対話は可能です。縁の存在はすでに垣間見せてくれています。あとは疑うことなく縁の存在の意思をこの世の言葉に置き換えることができれば自動書記のスタートです。

よーいドン!レッツゴー!

笑、笑、笑。

そこでジグソーパズルなのです。縁(ふち)取りしてあるところ(へり)へ同じ形の小片(ピース)をはめ込んでいくわけですね。いくら時間がかかってもいいのです。この世あの世の法則から離れていますから相手も時間も存在しません。

ええ?因果応報、相対的関係、数のプラスマイナス掛ける割るその他の計算、数式からも離れるということなのでしょうか?確率もないです。ただ「在る」だけのようです。

時間もないということは輪廻転生が作用しない法則ということなのでしょうか?

手強い相手!

縁は異なもの乙なもの。ご縁が結ばれて…でも、縁(えん)は、へりでもあるわけです。

えんとへり。

縁起をかついだって縁の姿は見えません。無縁有縁の縁ではないようです。

えんとへり。

う~ん?

えんとへり。

疑うことなかれ。疑うと消える。

作用反作用がないのでしょうか?

ジグソーパズルをしている自分になってみましょう。ジグソーパズルはへりの形に同じ形のピースを探してはめ込んでいけば完成。一見選択肢があるようで、実はないのですね。探す、見つける、かといってピースの数は無限であって有限のようでもあります。

一見不自由な、選択肢の限られたこの世が、実はピノキオのような操り人形の世界だとわかっても、操る糸、操り手は星の数ほどあって手を延ばしてきます。魂の描く人生ドラマは悪と善とそして裁くがテーマですが、エンドレスに繰り返すので際限がありません。多様性がいっぱい。個性がいっぱいです。個性という名の脚色ですね。本当は自由度は3割というドラマなのですけどね…作られた個性なのです。

一方、えんとへり。

今回はここまでです。置き換える言葉が出てきません。私の用意ができていないということです。

この世あの世は相対的なものですが、「生まれたからにはいずれ死ぬ」という事実以外に絶対的なものはありません。太陽が西から登って東へ沈むことだってないとは言えません。ものは落下しないで上にあがっていくことだってあるかもしれません。

一方、縁の法則が回る「縁世」では相対的な関係は働きません。選択肢は縁が描いたジグソーパズルの絵がヒントです。縁の描く「絵」は、最後の1ピースをはめるまで絵柄、図柄はわかりません。

しかし、へりに合わせてピースを探していけば必ず完成します。たとえ数億ピースのジグソーパズルでも…

不可能はありません。決まりごとに沿っていきますが、選択肢のピースは無限有限です。有限だけの相対的な関係のこの世とは、ここが大きな違いです。

へりに合わせてピースを探す。一見決めごとのように見えますが、決まっているのは数あるピースの中から「探す」という作業だけです。

縁の法則の中にいるものたちは、相対的もなく、「死」という絶対的なものもありません。ひたすらへりを見てピースを探す、ピースの形を見ておさめるべきへりを探します。

これは、ある意味で「自主性」「自律」です。

自律は自立とは違います。自分という存在が自ら律して奏でることです。それぞれが奏でたものであっても不調和は生まれません。

自律した1つ1つのピースが奏でるものと、できあがった絵柄が奏でるものとがピタリと収まります。

個と「総意」の完璧な一致です。好き嫌い、反発、引き合い、妥協、遠慮、譲合いのない世界です。

一致するとは「大は小を兼ねる(含む)」ではありません。「小は大の一部」でもありません。大も小もない一致です。それが自律した個体(ピース)と完成した絵柄(総意)の関係です。

一致した大=小です。無限に足しても、無限に引いても答は同じ、ということでしょうか???

ああ、呼吸するのを忘れてた(笑)なので大きく深呼吸。