ボクが断絶するにあたり、もっとも不安だったのは、家族のこと、そして自分自身の信仰の維持についてです。
組織人から個人として歩んでいくということは、自由を得るという反面、サポートを失うということでもあります。
JW独自の教理は別として、聖書そのものについて関して言えば、それを仲間と学び、理解を分かち合うというのはボクにとってかけがえのないひと時でもありました。
ん~、自分の信仰を植物に例えるなら、そうした関わり合いは肥料のようものなのかなぁ。
断絶するなら、別の宗教組織に属さない限り、こうしたことについての自分の気持ちや考えを他者と分かち合えず、信仰を果たして維持できるのだろうかと不安でした。
信仰に組織が不可欠だとは考えていません。
ですが、見えないものだからこそ、語り合い、励まし合う必要性も大きいと考えています。
この点で自分なりにどう折り合いをつけていくか、正直のところ未だ模索中ですが、のんびりと探していきたいな、と思っています(^.^)
そんな今のボクの支えになっているのは、信仰とは"集団ではなく個人で成立するもの”だという事実です。
聖書を神の言葉と信じ、その道徳規準を重んじること、そして神とキリストを信じることなどは、どれも一人で成し遂げられますもんね。
維持する点でも、個人で聖書を読んだり祈ったり、ちょっとした時に聖書の言葉を思い出して試してみたりして。
結局のところ、ボクが断絶した理由もJW独自の教理ゆえであって、聖書とは何の関係もありませんでした。
聖書に対する敬意は持っていましたし、それは今も変わらないようです。
ホッとするような、しないような(笑)
これから先の探求の旅は長く、死ぬまでに果たして答えを探しあてられるかどうかの確信もありません。
でも、もしかすると、それが人生ってやつなのかもしれませんね。。。。
そんなことを考えた日曜の朝でした。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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この場をお借りして感謝申し上げます(*^_^*)