大津市の保護司Sさんが保護観察対象者のE容疑者に6/8殺害された。
同じ保護司として他人事とは云えない重大事件であり、Sさんに深く哀悼の誠を奉げたい。
事件の真相は何も解明されていないが、SさんはE容疑者の保護観察対象者だった。

《保護司とは》
保護司は法務大臣が委嘱した更生保護のボランティアで、犯罪や非行をした人の立ち直りと犯罪予防に取り組んでいる。
身分は無給の非常勤の国家公務員で法務省の保護観察官と協力して保護観察対象者の社会復帰を支援し任期は2年で76才まで再任出来る。
《面接場所 今はサポートセンター》
私はこの保護司を受けて10年以上になる。
保護観察対象者とは、原則月二回面接をして「約束事を守るよう」助言し就労の支援や生活状況の把握など行っている。
月二回の面接が終ると所属県の保護観察所に報告書を月末迄に提出する。
新聞にも報道されていたが、かつての面接場所は保護司の自宅が主だった。
私も自宅で常時3人の対象者を受けていた時もあって、朝の9時から1時間ずつ面接をおこない、お茶やお菓子も出し部屋の掃除とか何かと大変だった。
報告書も3人分6回の面接の報告なのでそれなりの負担になった。
現在は公共施設を借りた「更生保護サポートセンター」と云う部屋を事務所にして面接をしている。
多くの保護司は「サポートセンター」を利用し自宅での面接はあまり無いと思うが、公共施設は17時過ぎると閉館になってしまう。
対象者も就労していると、面接時間が夜間になり自宅での面接になる。
他には「コミュニテイーセンター」の部屋を借りて面接をする方もいる。
また、事情により対象者の自宅を訪問して面接することもある。
《保護司の大変さとは》
よく「保護司は大変でしょう」「あんなことよくやっているね」など言われるが、周りが気遣うほど大変とは思わなかった。
職業柄、対人対応能力はそれなりに身についていたし、人と話すことは嫌ではないし、「罪を憎んで人を憎まず」の気持ちで接してきて、対象者とはトラブルも無く保護観察も出来た。
しかし、再婚した実母の少年の事件担当になり、対象者と義父の家庭内のいざこざを義父が「保護司がちゃんと指導しないからだ」など八つ当たり的な文句や要求を突き付けて、休日や深夜とかに長電話で散々文句を言われたことも2~3件あった。
また、対象者が深夜繁華街で補導され警察から問い合わせの連絡があったこともあり、気が休めないことが多かったことは確かだ。
予期せぬ出来事もあり、家族の理解が無いと誰もが引き受けられる任務ではない。
《急務な保護司制度の見直し》
Sさんは保護司歴20年にもなると云う。
罪を犯した人の就労支援や医療や福祉の専門家などネットワークをつくり、対象者の再出発を支える協会の柱として活動していたと云う。
文字通り「保護司の鏡」的な存在だったと思う。
その対象者に命を奪われるとは、Sさんの至極無念さを想うと辛くなる。
対象者はどんな人間性を持った人だったのか。
事件の解明はまだまだ先のことだが、今回の事件では無報酬の保護司に「再犯防止」を全面依存している「保護司制度」や「更生保護制度」の問題点や課題が露呈した。
制度の抜本的な見直しが急務の課題と思う。
2024/06/10
深夜の電話は着信拒否の〈フウチソウ〉
小学校時代の通学路は、中学になるとそのまま更に先まで延長された。
ただ、一つだけ大きく変わったことがある。
それは、自転車通学になったことだ。
当時、自転車は高価な品物だった。
私は父から中古の自転車をあてがわれた。
それは、父が懇意にしている自転車屋から格安で購入したものらしく、細身のタイヤで見た目に華奢な自転車だった。
モダンな自転車なのだが、未舗装の田舎道を走るにはふさわしくなかった。
私が欲しかったのは友達が乗っているようなゴツくてがっしりしたものだったのだ。
中学生になっても登校時は仲間と一緒だった。
集落の入り口付近にある私の家は、門の前が集合場所になっていた。
「ピーヨ・ピヨピヨ♪」と口笛の音。
これが、「おはよう! 来たよ!」という合図だ。
朝、会ってもほとんど会話は交わさない。
互いにクラスも違うし、あまり共通の話題もないからだ。
昼間はずっと一緒に遊んでいた小学校時代とは異なるからだ。
自転車通学とは言っても、家から出るとすぐに急な坂があり、自転車は押して歩くしかない。
因みに、中学校に到着する前も急な坂になっている。
しかし、この坂は下り坂に続く登り坂なので、一気にスピードをつけて下れば登り坂もかなりの所まで乗ったまま行ける。
一直線のダウン&アップの道は、まるでジェットコースターの線路のようだった。
ここで私は運転操作ミスを犯し、下り坂を下りきった辺りで右下の畑に転落してしまったのだ。
当時は舗装道路なんて滅多に見られなかった。
町の幹線道路である県道も砂利道だったのだから、私たちの通学路である町道は砂利が敷いてあればまだましな方だった。
道路に新しく入れたばかりの砂利が未だ定着していなかったのだろうか、私の自転車の細いタイヤは足もとをすくわれてハンドル操作が不能となり、
そのまま落差2m余りある畑に乗車したまま突っ込んでしまったのである。
一緒に走っていた友達は難なく登り坂を登って行ったので、私は自分の不甲斐なさより自転車の構造のせいにしたものだ。
柔らかい畑に転落したのが幸いして擦り傷程度ですんだため、何事もなかったかのように授業に参加した。
その後、しばらくはその自転車を乗り続けたが、乗る度に見えるハンドルに繋がるサスペンションの歪みは私の心を暗くした。
結局、新しい自転車を買ってもらうのは高校に入学するまで待たなくてはならなかった。
この通学路を含め、道路の整備は東京オリンピック開催前あたりから急激に進み、県道がかさ上げされて舗装されたり、
町に唯一ある国鉄駅の前の交差点に信号機が取り付けられたりした。
しかし、私が歩き自転車で走った通学路は、小学校から中学、高校、大学までの長い間、道は姿を変え辺りの風景も少しずつ変わってはきたが、
道そのものは相変わらずその場所にあり続けている。
今もなお…。
<すばる>
自らの労働条件は自らの手で! 教え子を再び戦場に送るな!日教組・東京教組と共に闘おう!
NEWS 江戸川区教組
2024/6/7 No.2404 江戸川区教職員組合(江戸川区中央3-7-11-102江戸川区平和運動センター)
第1回 区教委との話し合いを終えて
◎6月6日(木)5時半より、区教組が出した「申し入れ事項」について、江戸川区教育委員会指導課と話し合った。
以下の4点について、区教組の考えと併せて具体的な数字、対策を申し入れしたところ、指導課の方から、以下のような話を聞くことが出来た。
1.超過勤務、休職・退職者について
令和5年度の休職者は小学校29名、中学校16名。退職者は年度末で小学校35名、中学校14名。
年度途中は、小学校9名、中学校4名。超過勤務(80時間越え)は、70名(小30名、中40名)。
その内、69名が産業医の面接を受けた。
長時間労働の改善に向けた対策としては、例えば、SSSの配置。
それから、昨年度までは20校だった小学校アシスタント1~3名の配置を、今年度から全校配置とした。
学校規模によって人数は違うが、1~3年生の副担任として配置。
学校アンケートで、仕事量7%、月にすると19時間削減できた。
また、事務的なことでは、出勤や年休、出張時の押印、申請書提出等を廃止し、全てPCで済ませられるようにした。
2.教員不足について
今年度正規の教員の不足は数名だった。
小学校は講師で対応し、中学校は4月下旬に任用済み。
産休代替も数名不足だったが、講師で対応するなどして学校運営上支障のないようにした。
講師不足に関しては、講師の必要の有無が各学校の意向によって違うため、把握は難しい。
3.小学校の教科担任制について
江戸川区では、文科省のいう教科担任制導入で、令和5年度、いくつかの小学校で中学校の体育教員や理科教員を加配した。
一人教員を加配するのに多額の費用がかかる。
なかなかできることではない。
4.都立高校入試で実施された「スピーキングテスト」について
都立高校入試については、東京都が直に把握していること。
江戸川区教育委員会には、中学校や保護者から「スピーキングテスト」に関する情報は入ってきていない。
◎以上、教育委員会からの情報で、江戸川区の教員、教育の状況、現状を数値等で知ることができた。
今後は、現職の声や児童・生徒、保護者等の声を聞きながら、区教組としてできることは何かを考え、取り組んでいきたい。
中学校教科書展示会で読み比べをして
教科書全部を読むことは難しいので、私が気になっている「歴史」「国語」「道徳」をざっと読んできた。
「歴史」に関して、明らかに意図的に誤った記述があったのは“育鵬社”である。
例えば、太平洋戦争(大東亜戦争)とあり戦争の目的を、東南アジアを欧米の植民地支配から守って開放し、大東亜共栄圏を建設することと記述している。
しかし、日本は、大東亜共栄圏を口実に、他国を占領し、強制労働や物質の搾取、日本語教育の押し付けをしてきたのは事実である。
負の遺産を知ることは、これからの日本はどうあるべきかを考え、担っていく子どもたちには必須なことと考える。
「国語」は、実社会で役立つ国語、語彙を増やし、論理的な思考や表現に重点(商業的)が置かれているように感じた。
文学作品を読み、考えることが軽視されないことを望む。
「道徳」は、評価するものなのか、そもそも教科としてあるべきものなのか、改めて考えさせられた。
小学生が、「道徳が一番嫌なんだよ。順番に発表させられるんだ。言いたくなくても言わなくちゃならないんだよ。言いたい時は発表するのに云々」
と怒っていたことがある。
中学「道徳」も、意見を強要される(書くことも含め)ものになってはいないだろうか。
全体には、デジタル教材多過ぎ。
安易過ぎ。
「主体的な学び」をいうなら、自分で資料を探すこと、探し出し考えることを重視して欲しい。
夏の合宿 in石川 7月27日(土)~29日(月)
[主な日程]
27日(土)
〇出発 東京発9:20(上野発9:26)新幹線かがやき507号~加賀温泉着
※切符は、8号車の中央辺りを各自で購入。乗車してから顔合わせ。
〇珠洲原発の反対運動 ―円龍寺住職 塚本真如さんの話―
28日(日)
車でフィールドワーク
〇加賀温泉⇒金沢⇒輪島朝市の被災状況⇒金沢(泊)
29日(月)
〇石川県教組訪問~能登半島地震から今日までの学校現場とこれから~
〇金沢発13:50 新幹線かがやき532号~東京着16:20着
※切符は、8号車中央辺り。往復で各自で購入。
※参加される方には、合宿の栞をお渡しします。
詳細についてはそちらをご覧下さい
※行き帰りの電車は一応決めていますが、現地集合、解散なので、別行動する方は、
27日、加賀温泉駅12:09(かがやき507号到着時間)に集合すればOKです。
<今後の予定>
〇 7月 5日(金) 分会代表者会議 会場:タワーホール船堀405室 18:00~
〇 7月 6日(土) 「能登半島地震に学び脱原発を考える」
子どもと女性の人権を考える東京の会 会場:日本に教育会館2F 14:00~
〇 7月 9日(火) 江戸川区教育委員会定例会 傍聴 場所:教育委員会 13:30~
〇 7月15日(火) 江戸川区教育委員会定例会 傍聴 場所:教育委員会 13:30~
〇 7月27日(火)~29日(月) 江戸川区教組 夏の合宿in石川
〇 9月 6日(金) 分会代表者会議 会場:タワーホール船堀405室 18:00~
生活と権利を守るためにみんなで力を合わせましょう!
江戸川区教職員組合加入届
江戸川区教職員組合 執行委員長 様
私は江戸川区教職員組合に加入いたします。
( )学校分会 氏名( ) 印
ユウスゲの花が咲いた。
レモンイエローの鮮やかな色合いがとても良い。

良く似た花にニッコウキスゲがある。
株を通販の園芸会社から買ったが全然咲いてくれない。
以前、ニッコウキスゲは日光の高原で咲くから「日光キスゲ」と思っていたが違うようだ。
霧降高原にニッコウキスゲの大群生があると云うから、大きく違えているとも思えない気もするが…。
高い山の草原で「昼間咲く」のが「ニッコウキスゲ」で「ユウスゲ」はそれより低い山の草原で「夕方から夜」にかけて咲く花と云う。
花の色や形状は全くと云うほど同じで区別がつかない。
いろいろ調べたら、ニッコウキスゲは根が太くなり、ユウスゲの根は細いそうだ。
夕方から咲き始めるのが「ユウスゲ」で、夕方には閉じてしまうのが「ニッコウキスゲ」、
咲き始めの観察と植え替えのとき根も調べてみたい。
2024/06/10
<デラシネ>
今回は子ども時代の「通学路」にまつわる話を紹介する。
集団登校として組織されていたわけではないが、集落の子どもたちは自ずと友達どうしが連れ添って登校していた。
年長者は誰に言われるともなく、近所の下級生の面倒を見ていたように思う。
しかし、わんぱく盛りの私たちは、ある時、集団とは離れて独自のルートで登校を試みたことがある。
通常の道を通らないだけではなく、車はおろか自転車すら通れないような道なき道を進んだ。
下総台地の特徴とも言うべき赤土の畑地帯が続く先には複雑に入り込んだ小さな谷がある。
その斜面には雑木林が繁り、蔦が垂れ下がっている。
秋には、甘く美味しいアケビが獲れることもある。
この斜面を登る道が何ともスリルがあって楽しい。
場所によっては昼なお暗い細道である。
そこをワイワイはしゃぎなら歩くのはまるでハイキングだ。
この道を行くと時間がかかるのは分かっていたので早めに出発したのだが、途中を十分楽しみ過ぎたためか学校に着いた時は既に定刻を回っていた。
朝の掃除は終わっていたようだが、授業には間に合ったので先生からは何のお咎めもなかった。
下校は時間無制限だから安心して冒険ができた。
朝は絶対に私たちには加わらない女子たちも、帰りは時々一緒に下校することもあった。
そんな時は決まってイタズラをするのだった。
先に走って行って物陰に隠れ、おしゃべりに夢中な女子たちの前にワッ!と言って飛び出す。
キャーキャー言うのが面白くて作戦が次第にエスカレート。
畑に落ちていた縄を、「ヘビだぞ~!」と投げ出したり、中には道端の藪の中から水道の散水の様に小便で放水する仲間もいたりした。
こんな楽しい登下校であったが、一つだけ誰にも言えない(言ってない)苦い経験がある。
それは、どうしても我慢できずに大便をパンツの中に漏らしてしまったことだ。
当時の学校のトイレは男女の区別がさほど明確に分かれていなかった。
つまり、男子はドアなし境なし開放型小便所で、女子は当然ながらドア付き個室である。
男子の大便器はあったのかなかったのか記憶してないが、人目に触れずに大をするのは至難の技であった。
したがって、自ずと男子は大は我慢するしか なかったのだ。
そんなわけで、その日、私は一人急いで下校するのだったが、耐え切れず途中でちょっとだけ出してしまった。
幸いにも固いポロポロしたものだったので、外にはこぼれずに済んだが、帰宅して処分してからも絶対に母親にも言わなかった。
「道」からはだいぶ逸れた話になってしまったが、忘れられない少年時代のエピソードである。
<すばる>
金曜日の夕方、イスラエル大使館前(と言っても、警察がブロックしているので地下鉄麹町駅の交差点だが)で開かれた抗議行動に参加した。
言うまでもなく、依然として続いているパレスチナガザ地区での虐殺に抗議するためのものだ。
参加した人々は、それぞれにプラカードや、アピールボード、パレスチナの旗を掲げたり、伝統的なスカーフ(シュマーフ・カフィーヤ)を身に着けてパレスチナへの連帯の意思を表している。
ガザでは、絶望的な状況が今もなお続いている。
国連で「即時停戦を求める決議」が採択されたり「パレスチナ国家の国連加盟を認める決議」も採択された。
しかし、イスラエル政府と軍は軍事行動をやめようとはせず、先日は何と学校を攻撃し多くの子どもたちが犠牲になった。
当然批判の声が世界中で起こったが、イスラエルのネタニヤフ首相は「イスラエル軍は世界一道徳的な軍隊だ」と述べ、その姿勢を変えようとはしていない。
その背景には、自身の保身とともに、イスラエルの絶対的守護者であるアメリカが、停戦に向けて本気で動くことはないと考えているからだろう。
昨年10月からの犠牲者は、間もなく4万人に迫ろうとしている。
その大半が子どもと女性だということも、見逃すわけにはいかない。
こうした状況において日本の国会は何をしているのか?
この半年余り、自民党の裏金問題に費やされている。
与党寄りのコメンテーターが「ほかにも議論すべきことがある」などと言ってることに乗っかるつもりは毛頭ない。
彼らは、そのことで「裏金問題」を済んだことにしたいだけだ。
そして、参議院に送られた「政治資金規正法改正案」は、何の実効性もない「ザル法」にすぎない。
岸田首相は「増税メガネ」と揶揄されたが、今や「やってるふりメガネ」だ。
本来国会で議論すべきは、ガザの状況を前にどうしたら虐殺を止められるか?
そのために日本は何をすべきか?
ロシアに対して「経済制裁」ができるのであれば、イスラエルにはどのような圧力が効果的なのか?
アメリカを説得するにはどうすればよいか?等々。
それこそ、真剣な議論が必要だ。
「日米同盟強化」しか回答がないと思っている日本政府と与党議員は、思考停止しているといってよい。
こうしたことを考えても、日本政府は日本の国会は「世界から相手にされていない」というべきだ。
そのことを自覚しなくてはならない。
憲法をないがしろにした政権を長らくほったらかしにした結果「国際社会で名誉ある地位を占めたい」とする決意は、跡形もなく消えている。
さらに、そのことを恥ずかしいと思う国会議員が何人いるのか?
来るべき総選挙ではそうしたことも考えねばならないと思う。
-K.H-
《全国に900の系列店を持つ大手薬局が投稿した謝罪文とは》
東京新聞Web版によると都内在住の40代男性は5月30日、薬をもらおうと都内の薬局を訪れた。
処方箋と現行の保険証を出すと、薬局職員から「マイナ保険証のみの受付になります。マイナンバーカードはお持ちですか?」と告げられ、
現行の保険証は突き返されたと云う。
男性は「マイナ保険証が無いと薬が貰えない」と受け止めた。
マイナカードは持っていたが、不安からマイナ保険証には登録していなかった。
持病を抱えておりすぐ薬が欲しかったので、仕方なく読み取り機でマイナ保険証の登録をした。
納得できなかった男性は、X(旧Twitter)で「マイナ保険証じゃないと薬を出せないと言われた」と疑問をぶつけた。
薬局が薬を処方するとき、①処方箋②マイナ保険証③現行の保険証の一つがあれば良いとなっているが、
この大手薬局は③の現行の保険証での資格確認を昨年12月からやめていた。
謝罪文は「マイナ保険証がなくても受け付け可能」「誤解を招く説明でスタッフには厳しく指導」の内容だが、何をいまさらという気がする。
この大手薬局は政府の方針に沿って利用者をだまして、マイナ保険証に移行させ支援金を多く受け取っていたのだと思う。
まったく許せないことだ。
《マイナ保険証の強制は破綻している》
何度も言うが利用率が低く上がらないのは、医療機関のせいではない。
マイナ保険証が信用されていないからであり、利用率が上がれば上がるほど不具合が見つかってくる欠陥カードだからだ。
全国民の健康保険証をマイナンバーカードに組み込み一括管理することが、不具合な問題を多発させ医療機関の窓口を混乱させているのだ。
「しっかり対処する」しか言えないおつむが足りない河野デジ大臣では現場の大変さを想定できないのだ。
紙の現行の保険証が一番確実で安心・安全に治療を受けられる。
焦ってマイナ保険証にする緊急性や必然性に迫られている時期ではない。
2024/06/09
<まだカードいらない デラシネ>
《ファストフード店レベル以下のあきれるトークリスト台本》
東京新聞6/2にマイナ保険証促す「台本」の記事が掲載されていた。
千葉県船橋市の薬局で女性が薬をもらうため健康保険証を出した。
・窓口の職員「マイナ保険証を出してください」
・女性「ないです」
・窓口の職員「次回からマイナ保険証を持ってきてください」と言って厚労省作成のチラシを渡した。
・女性「作る気もないのに」とイラッとした。
窓口の強引な呼びかけは、217億円の予算をかけた利用促進キャンペーンだ。
キャンペーンは3つ。
「窓口の声かけ」「チラシ配布」「ポスター掲示」である。
窓口の声掛けには、「トークリスト」なる台本があるという。
1 「健康保険証をお持ちですか」に替えて、「マイナ保険証をお持ちでしょうか」
2 持っていない方に「ぜひ次回はマイナ保険証をお持ちください」と声かけして チラシを渡す
以前 どこかで聞いたことがあった。
これはファストフードの接客マニュアルと似た代物だ。
コーヒーとチーズバーガーを頼むと「ポテトは如何でしょうか」とか「期間限定の○○バーガーのセットはポテト付きでお得です」
など進められたことがあったがそれよりも稚拙かつ露骨な台本だ。
国民をバカにするなと言いたい。
《台本声掛けチェックリストと医療機関に脅しの一斉メール》
しかも、台本通りに声掛けしているか「チェックリスト」まで用意して病院や薬局に確認を求めていると云う。
「チラシ配布」も「ポスター掲示」も「窓口の声かけ」も支援金の対象になっており、
チラシには「12/2から現行の保険証は発行されなくなります」「マイナンバーカードをご利用ください」文言もあるという。
現行の保険証が無くても資格確認書が発行されることに触れない言い方は、だまそうとするおとりの文言だ。
更に医療機関にも圧力をかける。
「マイナ保険証利用率が3%以下の病院や薬局に活用を促進する一斉メール」も送り付けた。
これが物議をかもすことにもなっている。
2024/06/09

<まだカードいらない デラシネ>
5月11日、午後2時から群馬県教育会館ホールで、太平洋戦争下、強制連行され過酷な労働環境等で亡くなった朝鮮人を悼む追悼集会が開催されました。
20回目となる追悼集会ですが、県立公園「群馬の森」に設置されていた追悼碑について10年前の2014年7月に群馬県が「追悼碑更新許可申請」を不許可としたため、以来追悼碑前での追悼集会が開催できず、屋内での集会となっていました。

きっかけは、ヘイト集団「そよ風」が「強制連行はなかった!」と、追悼碑前での集会に言いがかりをつけ、県当局に圧力をかけたり、保守派の県議に「設置許可」を取り消す請願を採択させたりしたことによります。
付け加えれば、安倍晋三が首相に返り咲き、あからさまに歴史を歪曲する発言を繰り返してヘイト団体を元気づけたことが背景にあります。
さらに、守る会が「不許可決定」を不服として起こした裁判は、1審の前橋地裁が「強制連行発言は政治的発言」と認定した一方で事前の相談もなくいきなり「不許可」とするのは職権乱用、社会通念に照らして著しく妥当性を欠き違法とする一部勝訴の判決でした。
しかし東京高裁では「更新不許可は合法」という不当判決、さらに最高裁に上告しましたが、2022年6月、最高裁は審理すら行わず「上告棄却」して原告敗訴が確定してしまいました。
この不当判決を理由に、今年1月29日群馬県当局は、多くの市民の反対の声を押し切り、「追悼碑撤去」の代執行(追悼碑の破壊)を強行してしまいました。
こうした中で迎えた20回目の追悼集会では、ステージ上に追悼碑をデザインした美術家の白川昌生さんの制作した追悼碑のレプリカが、追悼碑から外された碑文のプレートとともに展示され、約200人の参加者が献花を行いました。
守る会の共同代表の宮川邦雄さんは、「知事の暴挙で碑は撤去されたが、強制労働で命を落とした方々を追悼し、平和にむけて努力していくと誓う」と述べました。
また、制作者の白川さんは、追悼碑のレプリカについて「朝鮮人強制連行という出来事、事件を記録として残すことに意味があり、持ち運びできる追悼碑として布と段ボールでレプリカを作った」と、制作の意図を紹介しました。
このレプリカをめぐっては、2017年群馬県近代美術館で開催された「群馬の美術2017」において、開催直前になって、出品が取り消されたという事件も起きています。
追悼集会に先立ち、県立公園群馬の森の追悼碑跡地には関係する人々が集まり、アプリケーションでバーチャル空間に追悼碑を再現する試みが行われました。

アプリケーションを制作したのは情報科学芸術大学院大学の前橋明次教授で、担当したエンジニアとともに現地でタブレットのアプリを起動させると、画面に追悼碑が浮かび上がりました。
現在はアップルの端末用のみですが、今後アンドロイド用アプリも制作するとのことです。
この問題はTBSテレビの「報道特集」が粘り強く取材を続け、各地の「追悼碑」やかつての日本政府の悪事の記憶を伝える銘文が消されていく状況を報道してきました。
今回の「追悼碑の破壊とバーチャル空間に追悼碑を再現する試みについても、日下部キャスターが現地を訪れ関係者に取材し、先週6月2日日曜深夜放送の「ドキュメンタリー解放区」(TBS制作)で報道しています。
この番組はネット動画アプリ「TVer」(無料)で見逃し配信しているので、視聴が可能です。
あと1週間の期間限定です。
ぜひご覧ください。
2024/6/9
-K.H-
夏の到来を告げるホタルブクロ、立ち上がった花茎から釣り鐘形の花を数輪下向きに咲かせる。
こぼれ種や地下茎で増えるそうだが、今年の花は例年よりも見栄えが良い。
花色は改良品種もあり白から赤紫や青紫などあり、咲いているのは白っぽいものと赤紫の色だ。


この花にホタルを入れて遊んだのが、ホタルブクロの名の由来として広く言われている。
野草辞典で調べると、古くは提灯のことを「火垂袋=ほたるぶくろ」とも呼び、本来はその花の形からきた名であるらしいとある。
山奥の農家育ちの私は小学生だったころ、田んぼのあぜ道でホタルを追いかけていた記憶がある。
そのとき母親から「ホタルブクロ」と云う植物の名を聞かされたような気がするが、その植物を見た記憶もホタルを入れた記憶もない。
山野に自生する普通にみられる花とあるが、自然破壊や気象変動で今は見つけることも困難と思われる貴重な野草である。
2024/06/04
<闇夜の明かりは星とホタルだった…デラシネ>