母からの攻撃を体にしまい込むようになった―なぜ私がこの仕事をしているのか?③ | 自己実現を支える心身を育む シータヒーリング/マクロビオティック 溝上寿子【兵庫西宮 大阪 オンライン】

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あなたの問題は心身の声を聞くことで変えられます。体に閉じ込めているモノを手放しましょう。本心に気づき情熱が湧き上がってくるでしょう。それを体の外側に表現し、形としていくこと自分に許可しましょう。何をするために地球に来ましたか?あなたの夢の実現を応援します。

こんにちは。

 

 

心と食の地図帳

自然の直観力で

奇跡が“勝手に”やってくる

リライトイメージングメソッド

 

溝上 寿子(みぞかみ ひさこ)です。

 

 

 

 

 

なぜ私がこの仕事をしているのか?

 

数回シリーズで書いています。

 

 

かつての人生はどんなものだったか

なぜ今の仕事(マクロビオティック・シータヒーリング・アクセス・バーズ)に出逢ったのか

それによってどう変わったか

 

ご参考になれば幸いです。

 

 

 

 

これまでの記事

 両親を助けたくて生まれてきた―なぜ私がこの仕事をしているのか?①

 母の不幸の責任を負い結婚も子を持つこともあきらめた―なぜ私がこの仕事をしているのか?②

 

 

 

2歳で母親の不幸の責任を取ると決めました。

 

そしたら。

 

 

 

 

 

 

母からの攻撃を体にしまい込む私

 

 

母親の不幸:つまり愚痴や八つ当たりは
次から次へと降ってくるようになりました。

 


その度に体にしまい込む私。

 

 

 

 

姉は違ったんですがね。

絶対反対断固拒否の姿勢。

 

母とつかみ合いのケンカもバンバンやっていました。

私は囮となって姉を逃がしていた感じですかね。

 

 

 

 

 

 

 

母の破壊力を前に戦いをあきらめた

 

 

母は姉とのぶつかり合いや

仕事漬けの父への嫉妬で

ポキッと折れて死にそうだったので

 

 

私は母を助けるべく

反抗期は自粛

 

 

 

 

いや

本当は言い返したかったんですよ。

 

 

 

ただ

母親の破壊力が強く

何度も試みては撃沈しました。

 

 

 

なので

中学生くらいからは

戦うことをやめました。

 

 

 

 

観念した。

 

自分であることを放棄した。

 

 

という言葉がピッタリです。

 

 

 

 

 

 

 

 

母の攻撃から逃げないでいる、をいつまでやっていたか?

 

 

そうですねえ~、
程度の差はありますが




体にしまい込むのをやめたのは

2012年に卵巣嚢腫が発覚した時。

 


母の課題に踏み込まないようになったのは
2013年に父が亡くなった時。



母の攻撃に「痛いからやめてくれ」と言えたのは
2020年の秋口。

 

 

 

 

まあなんと

長年の習い性になってしまったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたはいつまで

人からの攻撃を体にしまい込みますか?

人の課題に踏み込むことを続けますか?

痛みから逃げず、全身で受け止め続けますか?

 

 

 

 

 

もう、やめてもいいんじゃないですか?

 

 

 

 

 

シータヒーリングでお手伝いしています。

 

 

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