自分の外側で見聞きすること、

起きていることに焦点を当てるのではなく、

自分の心が何をそこで受け取っているか、

自分の内側に意識を向ける心の訓練を続けてきて、

自分に対し、知らずに随分厳しく接してきたんだなあ、と改めて気づいています。

 

これ位大したことではないとか、

これ位我慢して当たり前、と自分に言い聞かせ、

ちょっとした不快や苦痛を見過ごす中で、

いつの間にか人生には苦痛があって当たり前、そこで頑張るしかない、

と疑いもなく信じていました。

信じ込ませてきた、という方が正しいと思います。

 

そして今、その思いは私一人だけの意識ではないことも、理解しています。

 

「私たちはみな、困難依存症」という話を聞いたことがあります。

もちろんそんな診断名はありませんが、

困難があって当たり前、頑張って困難を克服することが、

この社会では美徳だったり、称賛を受けたりします。

 

それほど頑張ってでも私たちが得たいもの、

究極のところ、それは安心ではないでしょうか。

 

変わらない安心は、自分の心の源に今もあり続けています。

心が持っている力に気づいて意識を向ければ、それは誰でも経験できます。

 

今まで慣れ親しんできた”自分が頑張るしかない!”という信念、

そして必死に頑張ることで支えてきた自分に、心からの感謝とさようならを告げ、

両手を空にして内なる教師に委ねる意識の向け方を、私は今日また選択します。

 

自分自身も含め、あらゆる人や物事を、

愛とやさしさ、寛容と信頼、安心と調和に満ちた心でぜひ見たい、

見続けたいと思います。