記憶に残るスケーター達(4) | マイクと michi のブログ

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マイクはアメリカン・ショート・シルバー・タビーのメタボ猫。michi はマイクの「飼い主」兼「婆や」。大事なマイクを忘れて、イチローや高橋大輔に夢中になることがよくある。マイクの名前はマイケル・ジョーダンから。ネコとネコ的な男性アスリートに胸アツ。

4月24日

飼い主の michi、まだ続けるんだフィギュア・スケート
皆さん、僕のことも忘れないでねネコ  グスン


☆☆☆☆彡


4.生き方で印象付ける:ブライアン・ジュベール、ケビン・ヴァン・デル・ペレン、そして………

意味不明なタイトル目

長く競技を見ていると、その滑りが好みでもないのに気になるスケーターが出てくる。彼らの生きざまが心に響く。どこがいいの?ときかれると、うまく言葉にできる答えがないけれど。ただスケートをしてくれて有難うと、感謝の想いが浮かび上がる。

フランスのブライアン・ジュベールもそのひとり。彼が偉大なスケーターであることは、その成績からも明らかなのに、受ける印象がなぜかドンくさい。発言が俺様だったり、4回転を跳ばないスケーターを批判したりと、憎める性格なのに憎めない。イケメンなのにダサいと、まぁ色々あった。

ジュベ東京


2007年の東京ワールドでは圧倒的な強さを持っていた。が、勝ちを信じ込み、フリーの後半を手抜き。後から滑った高橋大輔の怒涛の追い上げにあい、モニターを見る顔がみるみるこわばっていったのは可笑しかった。今思えば、この時にワールドチャンピオンのタイトルを取っておいて良かった。

同様のことが2008年のワールドでも。対抗馬の大輔が不調で、ジュベールの連覇が確実と誰もが思っていた。フリーで見事に4回転を決めるが、また後半に手を抜いたようなレベルの低いジャンプやスピンをしてしまう。それなのに、勝利を信じて派手にガッツポーズ。

ジュベイエーテボリ


後から滑るジェフリー・バトルが逆転優勝。ジュベールは、プログラム構成点でジェフを上回っていたのに技術点で負けるという、これは完全に失態。勝ち切ることへの周到さや計算高さが、彼には少しだけ足りなかったのかもしれない。

駆け引きが苦手で、強いけどツメが甘い。途方もないアスリートなのに凡人くさい。フランスのスケート連盟とのギクシャクした関係も、器用に立ち回れない彼の純朴さを示している。
もっとも、仏スケ連は汚職で追放された者が会長に返り咲くような、日本スケ連以上に政治的にドロドロした組織。ここに気に入られるようになったら人としての魅力に疑問符が付くけれども。

ルールがどんなに不利であっても、4回転へのこだわりを貫き通した“勇者”ジュベール。シーズン最後の試合で音楽の減点を受けたり、ゆらぐレベル判定とか、不信感を誘う採点も数多くあったが、彼はジュベールの闘い方を貫いていた。ワールド12回連続出場、ユーロ13回連続出場、この25回のチャンピオンシップ大会で16回表彰台に立つ。

ジュベラストシーズン


ベテランになってからは愛おしいものを受け取るようにファンからの歓声を喜んでいた。勝者への歓声は一時のこと。スケートへの姿勢に敬意を表する歓声こそがベテランアスリートの価値を決める。そして、彼は本当にいい男になった。今は迷うことなくスタンディングオベーションを贈っている。

2012年自国でのワールド、表彰台に相応しかったのは彼。仏スケ連と日本スケ連。何があって何がなかったのか、「ジュベールと大輔は自国のスケ連がバックにつかなかった」というタラソワコーチの発言をどう読み取るべきなのだろう。


同じくジャンプ馬鹿とも言えるベルギーのケビン・ヴァン・デル・ペレン。彼の名前を知らないスケートファンも多いだろうが、2002年世界ジュニアの銀メダリスト。表彰台で隣にいた金メダリストが高橋大輔だった。ただし、年齢は4歳上、ジェフリー・バトルと同世代のスケーターである。ケビンもブライアン・ジュベールと同じくジャンプに優れた人。4回転ジャンパーであり、コンビネーションを付けるのが上手だった。

2010年トリノ開催のワールドで4回転トウ3回転トウ3回転トウのコンビネーションジャンプに成功。男子の試合はリアルタイムでたくさん見てきたが、4-3-3はこの1回のみしか記憶にない。この成功は衝撃的だった。
4回転技術の最高峰と言える4-3-3。現行ルールでは点数的にうまみがないため、点数を意識する選手はまずチャレンジしない大技である。4-3-3は彼の矜持。フィニッシュを決め、直後に見せた少年のような表情が忘れられない。

4回転不要と言われた時代に、こうやって最高レベルの技術を見せた選手がいたことを忘れるべきではない。4回転時代と言われる現在、挑戦する若者が現れてくれるだろうか。

KDVP


ケビンはジャンプと、それ以外の技との差が目立った。スピンやステップに対しての印象が残念ながらノロノロ。見ていて、後ろから押してあげたくなる。当然ながら、プログラム構成点も伸びない。ジャンプが成功し興奮気味の表情と、点数が発表された後の落胆した表情との差に、こちらも共に落ち込んでいた。
それでも、現役最後の数年は、スピン、ステップにも格段の上達を見せる。その真摯な姿勢に、あぁスポーツっていいなと感銘を受けたものである。ユーロのメダリストにも2回。故国ベルギーの期待を一身に背負って世界で闘う姿は、漢らしくすがすがしかった。


そしてもう一人。生きざまの魅力的なスケーターを。高橋大輔を語りたいがブログが永遠に終わらなくなるので、ここは別の名前を。ジュニア時代から歯ぎしりしながら見続けていた町田樹である。

大事な試合になると僅差で敗れる。ジュニアシーズン最後の全日本ジュニア。優勝が確実視されていた樹はショートで大差をつけてトップ。ところが、ショートで4位につけていたジュニア初参戦、14歳の選手が優勝してしまう。12点以上の差があったのに、フリーが終ると1.26の差で逆転負け。この少年、ショートからフリーにかけてプログラム構成点がぐっと上がり、ジャッジにあの人の名前が、と今から見るとスケ連の押しはこの頃から始まっていたのか。
この年、世界ジュニアの枠は1つだけ。優勝者しか派遣してもらえない。樹は、ジュニアチャンピオンになれる力がありながら国内で敗れ、最後の機会を失ってしまった。18歳、すでに世代交代の圧力を受けていたのである。

シニアにあがってからも、歯がゆい状態は続く。魅力あるスケートを見せるので、もう少し勝って欲しいと思って見守るファンも多かった。バンクーバー前の全日本で4位となり五輪代表の補欠となったが、この補欠のポジションが似合ってしまうのが町田樹という選手だった。そして、いつからか己を削るような自己啓発をスタート。

なぜ、いつ、彼の心に火が付いたのか、私は知らない。気付いたのは、バンクーバー後、高橋大輔に憧れていると自分から発言することが減ってきたこと。大輔を真似た動きが少なくなってきたこと。日本人男子初のオリンピックメダリストを見て、かえって憧れの気持ちを封印し、自らの道を進もうとしたのかと、これは全くの想像だけれども。

早いうちから、樹はエキシビションナンバーで個性を発揮する。大人しく内気な青年、でも表現したい欲望が押えきれないというように。今から思うと、町田樹劇場の前触れだったのかもしれない。

黒い瞳


忘れられないプログラムは2010年からの『黒い瞳』。彼にとって何かが見えたプログラムだったのではないだろうか。2011年のNHK杯、スピンで大きなミスがあったにもかかわらず、この時の『黒い瞳』には痺れた。いつも陰にいた樹が、光を発するようになった頃である。

2012年の中国杯。ここで記憶に残っているのは試合後の上海蟹。
樹はグランプリシリーズ初優勝で嬉しさ半分、戸惑い半分の様子だった。無理もない。世間は高橋大輔の不調による番狂わせとしか受け取っていないし、女子の優勝は浅田真央。メディアの注目は真央と大輔。樹は試合後の番組に邪魔にならないよう姿を見せていれば良かった。

上海蟹


上海蟹が用意された部屋に向かう廊下の3人。真央を先導するように大輔が先頭を、そして樹が2人の後ろを歩く。
ドアを開け部屋に入る時、大輔は真央にレディファースト。そして、足が止まった樹の背中にさりげなく手をあて、先に入室させる。優勝したのは君なのだから、さあと、語りかけるように。

高橋大輔が良識ある行動をとる男であることは充分知っていたが、思わず有難うと口に出したくなった。ジュニア時代から選手を見ていると保護者気分でいる自分に気付く。憧れの先輩の心配りに、樹はきっと嬉しかったに違いないと、勝手に思い込んでいる。

そして、その翌年、町田劇場哲学者編がスタートするが、無理をしているようで、それほど心を動かされなかった。自分を追い込まなければ勝てないと分かっていても、見ているのが辛かったのである。
強烈な印象と素晴らしい結果を残したが、樹はとうとうチャンピオンにはなれなかった。ジュニアワールド、四大陸、ワールド、全日本。

2014年さいたまワールド。ショートを完璧に滑り、トップに躍り出る。しかし7点ほどの差で3位につけていた選手に逆転される。差はわずか0.33。そう、全日本ジュニアの時と同じ選手に。ジャッジ席にはあの時と同じ人もいた。
様々な憶測もあったが、私は陰謀論より運命論を取る。その方が挑戦者の彼に似合っているようで。

彼の心の中で、町田劇場はこの試合で終わっていたのではないかな。アンコールに応えて『第九』を滑り、彼は舞台を去って行った。

保護者気分の抜けない私は、突然の引退を耳にして正直ほっとした。彼は元来の町田樹に戻り、賢く充実した時間を過ごすだろう。
競技生活を振り返れば、勝ちきれなかった辛さが込み上げてくるかもしれないが、あの上海蟹の夜だけは何の曇りもなく楽しく思い出せるのではないだろうか。

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記憶の中にいるスケーターを書き連ねるのは、ここで終了
次回、番外編として、記憶の外のスケーター達の事を、少し書かせて下さい。
ネコの呆れる顔を眺めつつ