記憶に残るスケーター達(3) | マイクと michi のブログ

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マイクはアメリカン・ショート・シルバー・タビーのメタボ猫。michi はマイクの「飼い主」兼「婆や」。大事なマイクを忘れて、イチローや高橋大輔に夢中になることがよくある。マイクの名前はマイケル・ジョーダンから。ネコとネコ的な男性アスリートに胸アツ。

4月22日

飼い主の michi、彼女のスケート愛フィギュア・スケート、まだまだ叫び足りないらしい叫び
仕方がない  エクササイズをやめたマットレス  僕が使おうネコ  おやすみぐぅぐぅ

エクサはしない



3.動きで魅せる:デニス・テン、ジェイソン・ブラウン、そして……

簡単に言えば、踊れるスケーター。リズムに合わせて、もしくはリズムを先取りして動けること。音を動きで表現できること。印象的なポジションをとれること。そして、最も大切なことは、見ている者に何かを伝えること。
動きやポーズを見せかけるスケーターはそれなりにいるが、そこに求めるものの浅さが見えると、見る側の心のシャッターが閉じる。点数のためにポーズをとるなら観客の感情はいらないからである。

身体の堅さを軸の美しさに変え、記憶に残るスケートをするのがデニス・テン。端正なとか、ノーブルなとかの形容で語られることが多いスケーターである。まだまだ若いのに、心構えの違いなのか風格と気品を兼ね備えているのは見事。振付師のローリー・ニコルのお眼鏡にかなうはずだと納得してしまう。

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基本に忠実で、スケートに真摯に取り組んでいる姿が見て取れる。話はとんでしまうが、日本の宮原知子選手に同じ色合いを感じている。これから作品を完成する力をさらに身につけ、北米のコーチ、振付師に囲まれてはいるが、最終的にステファン・ランビエールの域に達するのではないかと期待している。
ステファンもデニスの事を自分のタイプと感じ肩入れしているように見える。劇場型というか、しっかりした台本のある舞台パフォーマンスというか。己を制御する力がある。

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印象に残っているのは2012-2013シーズンに披露した『アーティスト』。作品として仕上げたいという意志が見えたプログラム。不調のシーズンが終わり、演じる楽しさを観客に伝える動きが見えた。気持ちの余裕が生まれたのだろう。これから、怪我や病気に煩わされることなく成熟期を迎えて欲しい。

さらに演技の幅を広げていかなければならないデニスにとり、課題は端正な表情かもしれない。顔の筋肉にもう一つ動きが欲しい。リズム感の良さからラテン系の音楽も充分滑る力があるが、濃い表情が作れるかどうか。マンボで「ウッ!」と恥ずかしげもなくアッピールするデニスの姿も見てみたい。高橋大輔とのマンボ対決とか。次のカザフショーで、どうだろう。自国ではやりにくいかな。


踊るスケーターと言ったら、アメリカの新エース、ジェイソン・ブラウンの名があがる。メジャー大会のメダルが期待できるパワーもあるので、アメリカ男子復活の旗頭になるかも。こちらも怪我をせずに伸びて行って欲しい。

ジェイソンの身体の柔らかさと体幹の強さ、リズム感とバネのある躍動感溢れる動きは見ている者を間違いなく演技に惹きこむ。作品としての成熟はこれからの課題であっても、ひとつひとつの動きに動物的な美しさがあるので、何度でも見たいと思える。
理屈より感覚で動いている部分が多いのではないのだろうか。子供の時に楽しくスケートをし、その純な気持ちを持ち続けている、そんな印象を持つ。だから、こちらも見ていて楽しい。

プログラムを壊す危険を冒してまで無理に難度の高いジャンプを跳ぶ必要があるのだろうか。ルールは毎年、選手の努力を弄ぶかのように変わる。ジェイソンのようなスケーターは、点数や順位よりもっと価値あるものに夢中になって欲しい。髙橋大輔がヒップホップでフィギュア界の新しい幕を開けたように。身体能力なら大輔を超えるものを持っているのだし。

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ジェイソンのプログラムで驚いたのはシニア1年目で滑った『The Question of U 』。プリンスの曲にこれほど相応しいスケーターはいないと思えるほど、ビートの効いたパワフルな動きを見せてくれた。
思いつく言葉を並べると、ネコ的で、肉厚で、ギラギラで、点滅していて、うっとうしくて、汗臭くて、中性的。最後のは、多分にキスクラでの印象に影響を受けているのかもしれないが。これからも様々な分野の曲に挑戦してくれると期待。

そして、今シーズン、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』を選んだ事に乾杯!といっても、どこがワーグナーで、どこが『トリスタンとイゾルデ』なのかが不明な編曲。途中、これは『死の舞踏』か、と思える部分もあり、クラシックファンには困惑でしかなかったが。

従来、ワーグナー作品をフィギュアスケートでタブー視するというのはあまりにも残念。今回、この作曲家の名前が挙がっただけでも前進なのかもしれない。気力の点でハードな曲だったが、ジェイソンの動きはクラッシクの重さを表現できていたと思う。

プログラム決定の際、同じ曲ばかりで観客をうんざりさせるより、手垢のついていない名曲にチャレンジする気概が欲しい。その点、ジェイソン陣営の選択は、これからも楽しみである。

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ジェイソンには、いつか、『ワルキューレ』を演じてもらいたい。女性的なものを表現できるジェイソンならではのプログラム。アメリカでは映画「地獄の黙示録」のイメージが強くて難しいだろうか。全米チャンピオンにはふさわしくないとの声があがるだろうか。


ここで、もう一人、動きの魅力的なスケーターをあげよう。高橋大輔と言いたいところだが、ぐっと我慢して(えっ?)、別の名前を。宇野昌磨である。

彼の動きにはスケートを大事にする思いが溢れている。2013年さいたまアリーナでの全日本。フリーの演技を最上階、最後列の席から観戦した。表情も細かな動きも全く見えない。それでも、緩急ある滑り、リンク全体を使う滑りの大きさ、全身を使った動きはかえって遠くからの方が比較できるし、スケーターからの気迫は充分に伝わってくる。
ジュニアの昌磨が滑り出した時、おそらく女子ファンと思われる近くの男性が、「こいつの方がうまいじゃん」と連れの人に話しかけていた。前に滑ったシニアの選手より伝わるものがあったのだろう。

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小さいころから魅せるスケーターとして評価を得ていた昌磨を、メディアは大輔2世と呼んでいた。ライバルで煽るか、2世呼びで似た者同士にするか、おきまりのアプローチ。
2013年の全日本、昌磨の頑張りで、フリーを同じグループで闘うことになる。昌磨と大輔の6分間練習は奇跡のような時間だったが、それを楽しむ心の余裕は私にはなかった。
昌磨が目指すのは、見ている人を惹きこむ気迫ある滑り。彼が憧れ手本とするスケーターと、また一緒に滑れる機会が来ますように。

少し前、大輔が昌磨の腕の動きが好き、"力が抜けている”ので好きだ、と話していた。そう言えば、昌磨の手の動きにバレエよりも日本舞踊の雰囲気を感じたことがある。彼の内向的な気持ちの表れかもしれない。
ストイックにスケートに取り組むだけでなく、遊びの心も大事かな。はじけるパワーがこれから絶対に必要となってくる。

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印象的だったのは今シーズンのフリー『ドンファン』の冒頭の動きである。手の一振りで、彼の本気が見えてくる。これから、他の振付師のプログラムや海外でのトレーニングなどを経験し、おとなの魅惑的なスケーターになって欲しいとかなり真剣に願ってしまう。


デニス、ジェイソン、昌磨に共通していることは、体型に弱点があること。デニスと昌磨は小柄であるし、ジェイソンはバランスに恵まれていない。氷の上に立っただけで、絵になる身体ではない。それだからこそ、彼らは工夫し努力し、オーディエンスの視線を気にしながら演技を行い、その結果、観客とのコミュニケーションが取れるようになっている。
記憶に残る動きとは相互作用の産物だと思う。独りよがりで自己満足の滑りは観客の心に残ることはない。

彼らが、断片的に見せている魅力的な動きを、最初から最後まで連続できるようになるのはいつだろうか。デニスはできつつある。ジェイソンもすぐ追いつくだろう。昌磨は無理をしないで。でも少しずつ、スケートで綴る芸術作品を氷上に広げ、大輔ロス症候群の私達を慰めて欲しい。

この3人が、それぞれ高橋大輔を好きなスケーターとして挙げていてくれるのは嬉しい。観客に伝えることを大事に思う選手なら、大輔は無視できないメルクマールであるのは当然だけれども。動きを真似る必要は全くないが、競技の場で彼の心意気を継承していって欲しいと願う。


記憶は夢に繋げたい。デニス、ジェイソン、昌磨が大輔の下に集い、一つの作品を滑る。テーマは共通ながら個性溢れる構成で。群舞などもったいないことは絶対にしないこと。
交響曲が楽章ごとに異なる色合いとテンポを持つように。そう、アレグロ、アンダンテ、メヌエット、そして最終楽章へと昇華していくように。

昌磨、ジェイソン、デニスの順番かな。いや、ジェイソンとデニスは入れ替えた方がいいかなと、夢で模様替えをしてみる。最終楽章の大輔はどう滑るのだろう。3人の個性的な動きにはそれぞれ大輔色が見えるのに、大輔は誰にも似ていない。誰にでもなれるけど、誰の色にも染まらない。

モーツァルトフリークの私は、最終楽章を見終えたとき、交響曲41番『ジュピター』で味わう感動を得るに違いない。天才が地上に降りたことに感謝しつつラブラブ        (続く)