ソニア・ビアンチェッティ Absolute Skating (訳)-1 | マイクと michi のブログ

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マイクはアメリカン・ショート・シルバー・タビーのメタボ猫。michi はマイクの「飼い主」兼「婆や」。大事なマイクを忘れて、イチローや高橋大輔に夢中になることがよくある。マイクの名前はマイケル・ジョーダンから。ネコとネコ的な男性アスリートに胸アツ。

10月12日

飼い主の michi が気になる記事を見つけたらしい。僕に翻訳してって無茶ブリしてきたネコ
いくらアメショーでも、それは無理だよNG

仕方なく、自分でやるみたい。全文訳ではありませんが。
スケートファンの皆様に読んで欲しいと思い、少しずつここで紹介。ネコは登場機会ないようですぐぅぐぅ


Absolute Skatingの記事

Absolute Skating から



ソニア・ビアンチェッティ:「私なら”難しさ”でなく、”質の高さ”にポイントを出すでしょう」

2014年10月10日
ただしこのインタビューは去年、ヨーロッパ選手権が行われたザグレブで行われたもの

ソニア・ビアンチェッティは元スケーター、ジャッジ、レフェリー。1967年から1988年にかけて国際スケート連盟(ISU)のフィギュアスケート部会の議長、1988年から1992年の4年間は11人諮問会のメンバー。その後、世界スケートフェデレーションを組織、ISUから追い出された。しかし、依然として、スケーター、コーチ、そしてスケート界全体から広く尊敬されている。スポーツの将来を懸念し、ジャッジングシステムは変えるべきと考え、それを躊躇なく公言している。


あなたは、これまで現行のジャッジングシステムはフィギュアスケートの芸術性を壊してしまったと何度も述べられていますね。どのような意味なのか説明して下さいますか?
フィギュアスケートは常にユニークなスポーツでした。難しいエレメンツを、美、芸術、音楽と完全に結合させることができるから。しかし、現在のシステムは難しさを優先、スケーター達を難しいエレメントを含む様々なレベルへと追いやり、その結果、たくさんのミステイクを見ることになりました。スピンが一番ひどいですね。脚を上げたり、体がそれほど柔軟でないのに背中をそらしたり。そんなポジションや難しいバリエーションは、醜いエレメンツの実行という結果になっています。私たちのスポーツの美しさは失われてしまいました。
次は、ステップとスピンの要件。音楽を表現し音楽に基づいてプログラムを振付けることが非常に難しくなりました。プログラムのために音楽が作られ、音楽のためにプログラムが作られることがありません。全くといっていいほど。音楽は多くの場合、バックグラウンドのようなものになります。これまでとりわけ大事にされてきたものは、パッション、そして何かを伝えたいと望むスケーターの創造性でした。以前は感情を呼び起こすスケートを楽しむことができたのですが、今はほんの一握りのスケーターだけがそれを行っています。スケーター達は息をつく暇もなくスケートを行い、プログラムの終わりには、終えたことを喜ぶだけ。そこに感情が込められていません。これは気懸かりですね。
この状況はスケーターのせいではありません。多くの子供たちがあまりにも早いうちにスケートを止めてしまいます。なぜなら、システムが最初からあまりにも多くの事を求め、スケーターとして将来に向けた可能性が残らないからです。とりわけこのスポーツはお金がかかります。両親にも将来が見えないのですから、なぜこんなにお金をかけなくてはならないのか疑問に思い、他のスポーツに変更してしまうでしょう。このことはアメリカ、カナダ、ヨーロッパでも起こっています。

しかし、ルール変更の意向はあるのでは?
私はそう思いません。ISUのオッタヴィオ・チンクアンタとピーター・クーリックがいる限り。彼らはシステムが思ったほど成功していないと認めようとしません。もともとのアイデアが悪いと言っているのではありませんよ。年々、細かな事を追加していることが問題なのです。スピンではスケーターがレベル3、もしくはレベル4に達すると、さらに難しくするために何か新しいものを作り出してしまうのです。もし、チンクアンタ達が「フィギュアスケートが魅力を失っているのはなぜだろう。スケーターやコーチ達に分かりやすいものに改正できないかな」と話し合うならね。私はいつもシステムが複雑すぎると言っています。見ている人にはスコアが理解できません。私もこれらの要件全部は分からない。ですから、マークを見ても、それは何の意味のないものになっています。彼らはシステムをシンプルにし、見ている人に理解しやすく、そして気の毒なスケーター達にとって簡単なものにするべきだと思います。

このシステムは、ジャッジングがより客観的に、そしてジャッジがスコアを恣意的に操作できないようにと導入されました。それは作用しているでしょうか?本当により客観的なものになっていますか?
全くできていませんね。ジャッジングの匿名性のため、ジャッジはより自由に好きなことができるからです。プログラム構成点を見れば、それがスケーターの順位付けに利用されていることに気付くことでしょう。氷上で起きたことを全く反映していないことがしょっちゅうです。パトリック・チャンといったスケーターが2度も3度も転倒しているのに、依然としてプレゼンテーションで9.5を得るということを何度も見てきました。こんなこと、あり得ないですよね。おそらく、テクニカル部分は、エレメンツが評価される際、もう少しクリアでしょうが。しかし、ジャッジは依然として、出来栄え点(GOE)を使うことでポイントを操作することができます。でも、大きな問題はプログラム構成点。そのため、より透明性のある、または、より良いジャッジングがこのシステムで達成できるとは思えないのです。

(続きます)