たばこという古代からの農作物は面白い。
たばこなんか吸ったこともない方々には奇妙な光景かもしれませんが、喫煙者にはお互いに火を貸す、借りるという暗黙の風習が今も残っているのです。
ライターやマッチがない場合、全く面識のない人に火を貸したり、借りたりする訳です。突然に!そしてその火は感謝の言葉以外、返す必要もないものなのです。
私は喫煙者にとって命より大事な(?)火を絶やさぬため、お気に入りのジッポ以外に100円ライターを予備として一個常に持ち歩いているのですが、今日もとある喫煙所で
「すんません、火、貸してくれませんか?」
とカラダの大きな男性が背後から声をかけてきました。私はその瞬間しまった!と思ってしまいました。何故ならば、ライターをバッグの中にしまっていたからです。喫煙者たるもの、武術と同じようにすぐさま相手の動きに反応できなくてはならないのに、バッグの中からモゾモゾとライターを取り出す失態を演じてしまったのです。
火を貸すという行動は、即ち、居合斬りのようなもの!その瞬間に全てがあるのだ。刀を抜いたら必ず斬る。火を貸すときには素早く、確実に渡す。刀と同じようにライターはポケットに忍ばせいつでも取り出せるようにしておかなくてはならなかったのです。男性は早く吸いたくてウズウズしているのだから!
これが本当の真剣勝負なら私は抜き打ちで確実に斬り殺されていたことでしょう。大袈裟でしょうか?
火を貸す、借りるというたばこ喫みならではの行動様式。ここでまた面白いのは火を貸すときには相手のたばこに火を着けてあげるか、ライターごと貸すかの2つに行動が別れるようです。
私は火を着けてあげる方です。サービス業にいるせいかライターごと渡すのは雑で投げやりな感があって気持ち悪いし、火を着けてあげたという自己満足感にも浸れるからです。たばこに火を着けてあげるのは夜の飲み屋みたいで嫌だという差別的情動的な意見もありますし、なんの道徳かはしりませんがマナー違反というのもありますし、ツキが落ちるからダメだという迷信のようなものもあります。
知ったこっちゃありません。火を貸す借りるという行動は損得勘定を超えた所にあるものだと思うので、火を着けてあげようがなかろうがどっちでもいいものだと思います。気持ちの問題。自分で着けます、という人にはライターごと貸せばいいだけで、大事なのは目の前にいる人がたばこを早く吸いたいってこと!
火の貸し借りの問題はどっちが上でどっちが下だというものでもありませんね。
貸した側が逆に借りる側になる場合だってある訳です。火ぐらい貸せばいい。全く面識のない人との瞬間儀式を愉しめばいい。
「お互い様」。この一言で事足りるのではないでしょうか。お互いに今やまさに社会に煙たがられ迷惑かけている存在なのだから!
火ではなく、たばこを一本だけ二十円で売ってくれとお金の大事さを痛感しているのか、単に資本社会に染まっているのかわかりませんが、そんな男性がおりました。一本くらいただで差しあげますよ。
喫煙者は少なくとも、燃えては消えゆく煙にこそ価値を認める人種なのですから。たぶん!



