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電波整体士

とある医業類似行為者の混沌とした生命論。


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「やわらかな頭、もっと動ける身体のための!最強のリラックス システマ・リラクゼーション」(北川貴英著/マガジンハウス)。


「システマ」とはロシア軍特殊部隊も採用していると言われている心身訓練法。ロシア武術と言われたりもします。


その動きは柔らかく水のようですが同時に岩をも打ち砕くが如き力強さがあるものです。私は過去に一度だけシステマのセミナーに出席したことがありますが軟体動物のような動きで自由度が高くこりゃ面白い!という印象でした。


閉塞感や緊迫といった切羽詰まった表現がお似合いの現代社会に呼応するかのようにゆるキャラブームから更に脱力系武術ブームの到来です。


”システマ・リラクゼーション”はリラックスしたいけどどうしていいか解らない。回復する力を高めたいが何やっていいかわからない。そもそもリラックスって何なのか?回復って何?何故必要なのか?といった方々に明確な方向性を示すものです。


リラックスや回復力を高めるには呼吸が大事。この本では繰り返し呼吸の大切さを説いています。ウォッカを愛する屈強なロシア人だろうが菊を愛でる腰の低い日本人だろうが呼吸をしないヒトはいませんね。食べなくても数日は生きて行けますが、呼吸は数分止まったら死に至ります。呼吸は生命活動の要。呼吸をいかにコントロールするかがリラックスと回復力のキーポイントなのですね。リラックスと回復力はセットなのです。上手にリラックス出来れば回復も高まる。


呼吸法というテクニックが必要なのは、恐らくヒト科の動物人間だけですね。例えば犬や猫やハトがそんなテクニックを使っているところは見たことがありません・・・。


ヒト以外の動物種は生まれながらにして実に無駄なく、賢く、平和的に生きていると言えるでしょう。


だからといってヒトがどうしようもなくダメであるとかムダとか悲観的になる必要もないと思います。進化の過程で必然的に少しだけ大脳が発達しているだけ。


”No Fate”(運命ではない)。自らを変え調和していく呼吸法を生み出すことのできる智慧がヒトにはあるのだから。


「僕の腹をパンチしてみてください」


極真空手をやっている仲間にそうお願いしました。システマ式に痛みをコントロールする方法を実験してみたのです。


「い、いいんですか?」


仲間は突然の実験申し出に一瞬ためらいましたが、正確に私のみぞおちに数発打ってくれました。


結果は、イタイ!苦しー!恐ろしいー!肩の方まで響いてくる重い突きでした。すぐさまフッフーと呼吸を整え痛みと苦しさと恐怖が引いていくのを観察しました。


痛みや苦しさに優劣はありません。一時的なものも長期的なものもそれは同じ痛みであり苦しみ。生きることは呼吸すること。呼吸によりそのあり方をコントロールすることが可能だ!という実験でした。


腹パンチ実験は指導者のもとに行われる行為だということは言うまでもありません。


今回はお互いそれなりに痛みを知る武道経験者だったからこその同意のもとでの実験でした。


















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我が宮崎の焼酎といったら芋焼酎「霧島」が有名ですが、そば焼酎も旨いのです。


そばを原料にするそば焼酎は宮崎が発祥だったという事実を最近知りました。


ですから宮崎の芋焼酎=霧島は大衆的であり、本当の宮崎の焼酎を知るツウな者はそば焼酎を嗜むのだ!と勝手に思っています。


そんなこといいながら私は酒はあまり呑めません・・・・。酒も飲み会も好きだけど一杯で十分。質に拘りたい。


まあ宮崎は芋にしろ蕎麦にしろ農作物が豊富かつ焼酎呑みが鹿児島とトップ争いを繰り広げる土地でもあるので、どんなものでも焼酎化してしまうスキルがあると思います。


雲海酒造のそば焼酎”吉兆雲海”は焼酎の味がわからん私でも旨い。甘みがあってフルーティーな感じです。日向灘黒潮酵母というのを使用しているらしく、海の幸と山の幸が融合した神話伝承的な逸品です。


宮崎は古事記の日向神話の舞台であり初代天皇である神武天皇ゆかりの土地でもあります。


関係があるのかどうかは謎ですが宮崎の天孫降臨伝説が語り継がれる高千穂町に近い五ヶ瀬町にある祇園山という山は九州で最初に出現した山だそうです。山は海からズズっとせり上がってきますね。最初に九州の海から出現した国生み的な土地、それが祇園山らしいのです。


学術的にも祇園山にはウミユリだの三葉虫だのといった4億3千年前の太古の生物化石が沢山発掘されてるそう。


4億3千年前といったら人間はヒト科の動物にすらなってませんが古代人はそんな土地の歴史を本能的に感じ取っていたのやもしれません。古事記は天皇の正統性を意味するだけでなく、本能と生物としての伝承、そしてヒトとしての智慧、遊ぶ心といったヒトらしい創作が入り混じった宇宙観溢れる古典だと思います。


焼酎。焼酎のよさはお湯割りで頂けるところ。お湯で割ったほうが風味が増すというところ。すぐに噛み付く冷血変温動物化しないように恒温性の哺乳類として温熱エネルギーを美味しく頂けるようにしたのはヒトの素晴らしい智慧です!


忘年会はお湯割りで!



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中国の古典「老子」は面白い。


「老子」は道教のベースとなった”道”という言葉を最初に使った東洋の哲学思想書だ。


”道”は見えには見えぬが宇宙の根源みたいなものと言われる。で、この根源はヒトにも影響を及ぼしているという。宇宙の根源即ちヒトの根源だからそれに従っていれば万事OKよと垂れている。自然のままにしてみれば?と提案するのだ。


いかに迷いなく不安なく幸せに生きるか。それが東洋哲学思想のいいところだと個人的に思っている。私はバカだから先人の智慧を借り、バカなりに考える。で、


老子は最初に”道の道とすべきは常の道にあらず・・・”


と垂れている。東洋思想では一番大事なクライマックスなお話を最初にもってくる傾向がある。ここで言っている”道”とは儒教のことであり、儒教が人の道とはこうだ、とヒトに示すことができるものを老子はそんなちっぽけなモンじゃねーだろ。そんなんでいいの?それが本当のヒトの道かね!?と軽くあしらうのだ。


それでは”道”とはなんぞや?”道”と聞くと多くの人々がなんかいいもの、一度は”道”と名のつく武道なり茶道なりをやってみたいと思う”道”とは?


”道の道とすべきは常の道にあらず・・・”


が”道”なのではないか?とこれは私の武術のセンセーが語っていた言葉だが私はなんとなく頷いてしまった。常の道に非ずが道であれば、道は無限。方法は一つじゃない。生き方も一つじゃない。多様性。


ちなみに日本の伝統武術というのは老子や荘子の老荘思想を強く受けているという。柔術の”柔”は老子の中に頻繁に出てくる水を模範とした生き方、例えば”上善は水のごとし”と水を模範とするから競い争うこともなく負けることもない。柔らかいやつは固い奴に勝てる。なんでかって水みたいにどこにでも柔軟に染み込んでいけるし、勢いを増せば岩をも打ち砕く。


みたいなところから来ているそうだ。


他にも先入観ゼロでカラダがほとんど水分で出来ている赤ちゃん最強説を唱えたり、その赤ちゃんを生むことのできる女性を万物を生み出す”道に”近いとフェミニストが喜んでしまいそうな説を垂れたりと老子は面白い。


老子は一人の人物じゃなく複数の人間が記したものという説があるけれど恐らく世の常識に疑問を抱いた男女が混合で記したものなんじゃあなかろうか。”常の道にあらず”が”道”であるならば。


道とは眼に見えないものだと老子はいう。現象の背後に隠された働きを感じることが大事だというのだ。どうやって?無欲になれと。ヒトの後からついていけ。そうやって谷底みたいにしていれば全ての根源つまり”道”があなたに集まってくるだろうと。道は根源だから親みたいなものだ。親だから子の全てはお見通し。何でも知ってる、だからどうすりゃいいかもわかる。不安もない。穏やかな日々。ストレスフリー状態となる。全ての歯車が順調に回り始める。


無欲になるのは私のようなバカには難しいことではある。無欲って何だ?飯を食わないまでのレベルではないことだけは確かなようだ。自然に。まあこれだけでいいんじゃない的な寛容さであるとか。ヒトを抑圧するような方向ではない。


老子よ。あなたやっぱり難解だ。だけど解りたい。面白い。偽装が蔓延する社会で、息詰まる社会で、それを壊し何か創造できそう。何かありそう。


老子は”道の道とすべきは常の道にあらず・・・”ならば、”道”を”老子”に置き換えると、老子すらも消えてしまうという有るのか無いのか不思議な書物でもある。どんなものでも拘りをなくせというシークレットメッセージか。


老子は社会からリタイアしたヒトの余暇の読書ではない。今を柔軟に力強く生きる事を求める者への技術書だ。


頑張る代表が儒教の孔子だったら、頑張らない代表が老子だ。


頑張らないことを、頑張ってみる。道は未知数。


理想を求めるならどっちにしても生きる方向にしかいけない。


勇気という名の元に。


谷底に流れる水のように・・・。カリスマ不要のヒトと対等にヒトに交じり下から支えるという新時代のリーダーシップの概念も老子の中にヒントがありそうだ。